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内向型の世界放浪
自分で言うのもなんだけれども、
私は「内向型」である。
昔からシャイな性格で、小学生の時にはレジに立つ女性に「遊戯王のカードをください」と一言いうことすらできず、母親に何度も呆れられた。
特に私の英語と日本語への苦手意識は、シャイな性格を助長するだけだった。
現地校で「自分の意見をクラスみんなの前で述べるように」と言われ、赤面してただ黙っているだけの木偶の坊になることはよくあった。
内向きな性格にさらに拍車を掛けたのは、中高一貫の男子校だった。
成績順で決められるクラス編成は、結果的に6年間ほとんど同じクラスメイトとなり、顔見知りの友人たちと話すだけの毎日。隣のクラスの人たちも、6年もいればなんとなく大体わかる、そんな感じだった。
だから大学生になっても、初めて会う人と話すことができなかった。
なんなら、初めて行くレストランや店は、今でもものすごく緊張する。
ちなみに大学生時代は、女子に一切自分から話すことはできなかった。
ただでさえ、小学生時代、好きな女の子にすら自分から声をかけることができなかったにもかかわらず、青春街道ど真ん中にいたはずの私は、大学時代女子と仲良くなることはほとんどなかった。
仲の良い男友達2~3人をつくって、ただひたすら狭いコミュニティで、あるいは、一人の時間を楽しんだ。
そんな私は世界を旅することが大好きだ。
大学生時代、院生時代はバックパッカーもやっていた。
なぜ、私が世界を一人で旅することができたのか。
もちろん、はじめから一人旅ができたわけではなかった。
シャイで臆病で英語への苦手意識の強い私は、最初は友達と旅をした。
2回、3回と慣れて行くことで、ようやく一人で旅をしてみようと決意した。
初めての一人旅は、ラオスの首都ヴィエンチャンだった。
過去に友人と訪れたことのある国であったのと同時に、直前まで友人と2人ラオスの別の地域に旅をしていたことがヴィエンチャンである理由だった。
友人たちと旅をした経験の積み重ねが、少しだけ、自信につながった。
だから大学を卒業する前に、今度は最初から最後まで一人で旅をすることを決意した。
最初から最後まで一人で旅した国はマレーシアとブルネイだった。
初めての一人での旅行は、いきなり飛行機が遅延して戸惑ったものの、その後はスムーズなものだった。
あえて宿をとらずに旅をして、自分の足で歩いて町を散策し、宿を探した。
一人で国内ツアーにも参加して、韓国人のおばちゃんたちと仲良くなった。
日本人バックパッカーと出会い、共に旅をした。
宿がどこもいっぱいで、嫌々日本人の男3人で1つの部屋を共有した。
道に迷って1時間以上悩んだ末、地元のブルネイ人に道を尋ね、親切にもご飯をご馳走してくれたり、町を案内してもらった。
こういう出会いと経験の積み重ねが、私に勇気をくれた。
経験を積み重ねていくと、それが日常になる。
「普通」になる。
その「普通」にたどり着いたとき、私にとって「居心地が良くなる」。
最初は緊張したけれど、その緊張がまた新鮮で、嫌ではなかった。
特に、私は良い人たちに巡り合い、危険な目に遭ったことはほとんどない。
むしろ、親切に助けてもらってばかりだった。
運もあるのだろう。
でも、だからこそまだ知らぬ経験が、新しい出会いが、嫌ではなかった。
新しい経験を、その場限りの出会いを、私なりに全力で楽しめた。
そして、その新しい経験が「普通」となった時、私は旅をやめられなくなっていた。
コンフォートゾーン。
自分にとって居心地が良い環境であれば、内向型であろうと、問題ない。
一人であっても、楽しい。
クラブではしゃいだり、大勢のグループでわいわいはしゃいだり、そういったことはできないけれど、
時折、そういう楽しみ方にあこがれを抱くこともあるけれど、
私は私の人生の楽しみ方を知っている。
だから、問題ない。
私は私の旅のスタイルを楽しむ。
一人で、だけど、見知らぬ人たちと、
一瞬の出会いを楽しむ
それが私の旅の満喫術。
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