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異様に盛り上がった自己承認欲求問題

昨日は、ゼミの学生と卒制や卒論に向けて、どんなことに興味があるかをたっぷりディスカッションする時間を取った。そのなかで一番盛り上がったのが「Z世代特有の自己承認欲求について」というテーマ。

例えば、SNSにおけるインフルエンサーのふるまいやそれらに影響を受けてある価値観(SDGs的なものなど)にコミットしてゆくユーザーの状況をウォッチしつつ、本当にそのメッセージを伝えたいというのもあるかもだし、一方で自分の空っぽさを埋めるために「いいね」を求めて発信を続けている面などに着目して、そもそもこういった常に誰かから「認められている」「素敵だよ」と言われる状況を作っておかないと不安になるのは、一体いつから始まったのか? 昔からそうだったのか? ということを学生Aさんの問いかけをきっかけにこのコーナー、えらく盛り上がった。ゼミ生8名それぞれがどんどん発言する発言する。

Aさん自身はTwitterやインスタなどをウォッチするのが趣味。そして他の学生Bさんも「Twitterを見るのが大好き」だと言う。そこで20歳くらい年上の僕は思わず質問してしまうんだけど、そもそも「大好き」ってどんな感じなん?と。自分にとってSNSって情報を受け取ったり発信したり仲間と共有したりする上で有効なツールではあるけど、「大好き!」とか「楽しい!」って感覚、正直まったく持ったことがなくて、このメディアに浸っていること自体がエンタメってことよね。まぁ、冷静に考えれば、テレビとかラジオが好き!っていうのと同じか。でも、多分、僕に取って各種SNSの特性は違えど、SNS的な文化が「得意/苦手」って感じはあるけど、「好き・楽しい!/嫌い・つまんない」的な身体性って案外なかったんだなと思う。

それはそうと、自己承認欲求自体は、別にZ世代特有のものではなく、しかし、SNSネイティブならではの自己承認欲求の満たし方の固有性は、確かにZ世代以下に多く見られるものかもしれない。学生Cさんの小学生高学年の弟は、すでに同級生間で「インスタでバズったからあいつは偉い」的なコミュニケーションにさらされているらしく、そのことを兄弟として心配しているという話も出た。これ、うちの娘たちにとってもまったく無縁ではない。

また自己承認欲求と絡めた形での「価値の発信」についての話題があがり、出されたプレゼン資料に、「SDGs、スピリチュアル、社会派」という言葉が同列に並んでいたのが、なかなかインパクトがあった。もちろん見る人が見たら大いにツッコミどころのある並べ方だけど、この並び、学生にとっては案外すんなり違和感ないのよね。簡単に言えば、ある価値観を推し進めるなかで、人はどんどん近寄りがたくなってゆく、ラディカルさが増せばある特定層から求心力はますけど、それらが集団として先鋭化しすぎると、もはや、それは「スピリチュアルな何か」(もちろんそもそもの“スピリチュアル”とは何かという丁寧な議論は必要ですが、イメージとして多くの人に持たれているものとして)とほぼ同じ空気を放ち始め、例えもともと発せられてきたメッセージには共感できたとしても、どんどん自分から遠ざかっていくという話。

グレタ・トゥーンベリさんの名前までこの流れで出てきたので、自分なりに彼女の活動を知る範囲(映画なども観ているので)で、それは「彼女が」というより「周囲が」そのような「空気」にさせてしまっている状況について、解説した。つまり、単体のインフルエンサー的な「個人」の話を超えた、相乗的なムーブメントになってゆくプロセスで、その周囲は承認欲求も含めた形でその個人に乗っかり、それがいい意味で新たな価値を発信する状況も作れば、悪い意味で人(あえて「一般的な人」、しかしそんな人ほんとは存在しないと僕は思うが)をかえって遠ざけるということにもなる。そしてそれらが、SNS的な環境にずっと身を置いてきたZ世代特有の承認欲求感覚とも絡めながら読み解いていくと、ひとつひとつの現象の構造が見えてくるかもね、というような話で1時間くらい盛り上がったのでした。

一応、僕のゼミは現在、前任の先生との引き継ぎもあり「プロデュース系ゼミ」という名前がついている。で、卒業するためにはプロジェクト、作品制作、論文などいつくかのアウトプットの選択肢を用意しているんだけど、先ほどの「Z世代特有の承認欲求」というテーマは、非常に社会学的でかつ、もう先行研究もそれなりにあるだろうからそれらは調べるにしても、何か承認欲求テストみたいなことがその場でできる空間をプロデュースするとかいいんじゃないか?という案が、また別の学生からあがる。それってどんなんやねん笑 って感じだけど、もしSNSをベースにした承認欲求を満たさなくても、あるいはオフライン的な場(コロナ禍を通過してきている学生は、リアルな世界のことをわざわざ「オフライン的な場」という言い方をする)ですでに十分承認欲求を満たす教育、地域、文化環境、社会関係資本があればもっと幸せになれるはず! じゃあ、それはどんな場なのかをリサーチして、それら表象化してぎゅっと詰め込んだ場を展示するとかは面白いかもしれない。まだ全然イメージできないけどね!

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