見出し画像

アーカイブと感情

二日間、福島県のいわき市と相双地区を回った。2016年末からいわき市にある、災害復興公営住宅 下神白(しもかじろ)団地に通って今年で6年目。富岡、大熊、浪江、双葉という4つの町の住民さんたちの大切な思い出に、音楽を聴いたり、歌ったりすることを通じて接してきた。一緒にCDアルバム『福島ソングスケイプ』も作った。そして映像作家の小森はるかさんも加わり、これまでの活動もドキュメンタリー映像としてまとまった。

コロナ禍で頻繁には通えなくなった団地の集会場で、とてもとても久しぶりに小さなイベントをやった。小森さんの映像の上映会(トップ画像がその様子)。住民さんの顔が、姿が、声が、部屋の様子が、穏やかに映り込んでいる。20名ほど集まった上映会で思い思いに語りが訪れる。

「ああ、あの人は元気にしてっか?」
「そうそう、この人はワイン好きだからぁ」
「この人、見たことなかったべ、どこの棟だ?」
「いやあ、なかなか声さ出なかったっぺ!」

嬉しかった。素直にやってきてよかったなぁって思った。


僕らの活動は現地に通って、住民さんの話を聞くことがメインだ。でも、一方で一番仲が良かった住民さんが家族ど同居するようになって僕らと疎遠になったり、また別の大好きな住民さんも懸念はしていたが遂にホームに入ってしまった。団地は半年、いや三ヶ月も経てば移ろいゆく。なかなかのスピードだ。コロナがその速度をさらに加速させた。個人的なことをいえば、僕が大阪に行ってしまったこともあり、なかなか前のようには通えない(遠かった…!)

さぁ、これからどうしよう。ということも考えてのCDのリリースと映像の制作だった。つまり、住民さんの「声」がたくさん詰まった「アーカイブとしての表現」を通じて、各地にこの団地の風景を、住民さんの生活の佇まいを伝えてゆく。そういったフェーズに移行したと感じた。

今回、CDと営業や、上映会の開催も見込んで、いわき市内では小名浜や湯本や平の各地を周り、そして相双地区では、双葉と南相馬を回った。場所のジャンルはばらばらだ。映画館、ゲストハウス、老舗旅館、復興ミュージアム、カフェ、コワーキングスペース、書店……。

とりわけ印象に残ったのが、湯本の老舗旅館である古滝屋の一室に設られた「原子力災害考証館 furusato」だ。当主の里見喜生さんが、誰に頼まれるわけでなく、お仲間の手を借りながら住民目線で自らつくりあげた私的なミュージアムだ。一言で、素晴らしかった。そこには「感情」があった。生活のなかで通奏低音のように流れ続ける怒りとか、静かだけど切実な未来への願いとか。展示からは大切な人を亡くし、故郷を失くした住民一人ひとりの「個人」が匂い立っていた。だからこそ、新聞や活動の冊子、災害復興関連の書籍群が生物(なまもの)としてこちらに心に入ってくる感じがした。

僕はかつてより自宅をはじめとした私的な空間を個人の「表現」で開いてゆく「住み開き」という活動を提唱している。だから、もともと災害や復興にまつわるテーマでなくとも、「私的なミュージアム」の存在は数多くみてきた。私的な図書室、まんがミュージアム、自宅水族館に洞窟博物館などなど。そこにもすごく豊かな「感情」が奥底に溢れていて、人によってはその個人ゆえの力に引いてしまうこともあるかもしれないが、だからこそ、ひとつひとつの資料が、展示物が、その内容に興味があるなしに関わらずにこちらに迫ってくるし、大仰に言えば、「そうそう、これが人間の営みなんだなぁ」と思える。

一方で、双葉に新しくできた「東日本大震災・原子力災害伝承館」にも行ってきた。学芸員の方とお話をし、CD作品を資料室に今後展示してもらうなど、理解を示してくださったことには感謝を申し上げるが、展示を拝見したところ違和感を感じざるを得なかった。

何を一番に伝えたいのか、よくわらなかったのだ。
思い当たる原因はいくつかある。

まず「テクノロジーに逃げている」という点。正直、とてもお金もかかっているし、豪華な展示(建築も)だ。でもそれゆえか、ひとつひとつの資料に丁寧に向き合う時間が設計されているとは言い難く、被災住民の方々から集められた大切な遺物のライブラリーの上に覆い被さるように映像資料がプロジェクションされたり、メッセージだけが投影されるモニターが過剰に流れたり、「技術で見せる展示」の悪い例になっている。そこに圧倒されることで、かえって一つ一つの住民の証言などに向き合えなかったら本末転倒ではないか。

また「ジェンダーバイアス」も各地で感じた。住民避難や復興支援の現場などで様々な人物がインタビュー映像として登場するが、圧倒的に男性が多く、しかも「活躍・奔走した住民」は男性で、女性が出る場合は「被災した住民」として出る傾向強し。事実としてそういう傾向が多少あるのかもしれないが、そのことに僕は疑問を感じた。設計側はそこをどう考えているのだろう。極め付けは「除染」のコーナーで、原子力関係で仕事をする役人や学者、医療関係者などの映像はすべて「スーツを着た50代以上の男性」で、この除染の部屋はなかなかに「日本の権力縮図」が発揮されていた。なんなんだろう、この感じは。

最後のコーナーに主催元である「福島イノベーション・コースト構想」の展示があり、そこで復興に向かって様々な活動をされていること自体には敬意を評するけど、構想研究会座長としての赤羽一嘉(元国土交通大臣)のインタビューが最後に流れ、その近くに「福島大好き」というクリップを持った住民たちがたくさん映ってカメラがズームアウトすると福島県のかたちになるという映像などを見るにつけ、やはりだいぶモヤモヤするのだ。

改めて、アーカイブにとって、それを設計する人たちの「感情」というものを受け取れるか/受け取れないか、は大きな問題だと思う。「役割」や「目的」を果たす手前にある「残さないといけない」「伝えないといけない」という切実な「感情」。伝承館にお勤めの一人ひとりに対してとやかく言うことではないし、僕の話を聞いてくださった担当学芸員の方も、とても真摯に下神白団地での取り組みに耳を傾けてくださった。そこはフォローしつつ、「公的」なミュージアムが陥りがちな、ストーリー(役割や目的)ありきのアーカイブについては、やはり立ち止まって考えるべきではないか。当事者と支援者が各々の立場がありながら、時に立場を「踏み越える」ときに「公的=行政発」といった狭い意味ではない「公(パブリック)」な場が生まれると思う。「私的」に何かをやり遂げる「感情」はまさにいつだって自由に立場の壁を「踏み越える」のだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?