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困難が僕らの人生を豊かにする

はじめに
今回の話は、もしかしたら不快に思う方がいらっしゃるかも知れません。

簡単に言うと「コロナはひどく悲しいことだけど、コロナによって得たもの、気づいたものもあるよね」という話だからです。

もちろん「コロナがあって良かった」なんていうつもりは全くありません。

でも、僕らは、これから先の未来を生きていきます。
その時にコロナをただ嘆きながら進むのではなく、コロナから何か一つでも得て、それをより良い未来につなげていきたい。そんな想いです。

このnoteを読むことで、未来につながるとっかかりを一つでも見つけてもらえたら嬉しいです。


「表現者」が持つ力
まず、この曲を聞いてみてください。
この曲は、6月5日にリリースされ、2日で既に270万回再生されています。

ONE OK ROCKのTaka(Vo)と清水翔太が、「こんな時代だからこそ、同じ世代のアーティストが集まることで何かできないか?」と話し合い、[ re: ]プロジェクトを発足。8人の同じ志を持ったアーティストが想いを共鳴させることで、『もう一度』という1つの新しい曲が生まれました。この楽曲には、”もう一度手を取り合って、みんなで未来を向いて歩いて行こう”というメッセージが込められている。

歌詞の一部を引用しておきます。

でも明日を見失っちゃダメだ
Carry on Stay alive
これ以上の涙はいらない

気付いた時には既に 僕の手 離れて
手遅れなんてことにならないように
僕は君を痛いくらい抱きよせて
嵐が去って晴れたら
もう一度手を繋いで歩こう

これを聞いて、マイケルジャクソンら豪華アーティストが歌うチャリティーソング ”We are the world" を思い出しました。

世界が困難に直面しているときに、歌手やアーティストが社会に与える影響力はすさまじいな、と思います。

メッセージそのものが彼らの武器となり、その武器を芸術的な価値に昇華させ、聞く人の感情を揺さぶる。ジョン・レノンが「その気になれば100万人規模のデモを組織できる唯一の人物」としてFBIの監視対象だった、という話も納得です。

もちろん曲を聴いている僕らは感動をもらってるんだけど、それ以上に歌っている彼ら自身がより大きな感動を得ているんだと思います。
「自分の想いと行動が、今まさに世界を良い方に変えているんだ」という実感は、他の何にも代えがたい感情なんじゃないかなと思います。自分と世界が繋がっている感覚。あくまで想像だけど。


共通の敵が、新しい価値観と表現を生む
コロナ時代に変わったことはたくさんあって、その一つに「そばにいることではなくて、離れていることが愛情を表すようになった」ということがあると思います。

最初は違和感を感じていましたが、個人的には結構馴染んできた感があります。

会いたいけれども会えない。お互いにそれが分かっているからこそ、その制限されている中で何とかして相手を想う気持ちを伝えたいと願う。そんな想いが、様々な価値観を変化させ、新しい表現方法を生んできました。

「好きだから、離れていよう」
「また会える日が必ず来るように、二人が今できることをしよう」
「自分だけは関係ないとは思わないで。あなたに何かがあればそれは私にも関係があるから」

夏目漱石が I love you. のことを「あなたといると、月がきれいです」、と訳したのと同じ種類のことが起きているのだと思います。

こんなことを考えながら、ふと昔流行った曲を思い出しました。

ポケベルが鳴らなくて、恋が待ちぼうけしてる
私の方から、電話できない
現実より愛している

「ポケベルが鳴らない」という言葉で、「自分は愛されていないかもしれないという不安」を端的に表した歌です。
すごい歌詞書くな、と思ったら作詞は秋元 康さんでした。やっぱすごい。

少し話が逸れました。

ここで言いたいことは二つあります。

一つは、共通の課題(=敵)を持っているときは、容易にお互いが共感し、お互いを尊重して一緒に未来を目指せるようになる、ということです。

「自分が今感じている不安や悲しみ不満を、相手も感じているはずだ。」という前提があるだけで、コミュニケーションはかなり円滑になります。

逆に、育児で女性が孤立しやすく、仕事で男性が追い詰められやすいのは、課題を共有できていないからだと思います。

自分だけが頑張っている様に感じられる。
自分だけが損をしている様に感じられる。
そんな感情が、信頼関係を蝕んでいってしまうのだと思います。

そんな相互不理解と想像力の欠如が、世界中の争いのほぼすべての原因なんじゃないでしょうか。

このあたりの話は、ちょっと前に書いた「想像力が人間最強の武器である」にまとまっているので、お時間がある方は是非。


もう一つは、僕たちの感情や習慣は、思ったよりもずっと柔軟に環境に適応するんだ、ということです。

例えば僕らの恋愛の作法は、どこまでが本能的なもので、どこまでが文化によって作られたものなのかは、一度考えてみる価値があると思います。
「キスをする」という行為は、本能的なのか?それとも、例えばドラマや漫画、映画によって植え付けられた後天的ものなのか?という話です。

なんとなく僕らは、感情を表現する方法を固定的に考えてしまいがちですが、そんなものはいくらでも変わっていくのでしょう。

そう考えると、いろんな変化にもっと寛容になれるかも知れません。


困難の中で "それでも前を向いていく意思" が感動を生む
では、歌手やアーティストではない僕ら、例えばスポーツに携わっている人には、何ができるんでしょうか。

それは、例えばこんなことだと思っています。

色々な大学の4年生ラクロス部員が中心になり、「4年間を賭けてきたラクロスができないかも知れない」という環境の中で、それでも自分たちが輝こうとしているところを示すことで、見る人に勇気を与えたい。

そんな活動が始まっています。

こちらも、大学生ラクロス部員によって生まれたプロジェクトです。

こんな時だからこそ、ラクロスから人生を、世界を豊かにしていきたい。

そんな思いが込められています。


冒頭で紹介した曲『もう一度』と、この2つの取り組みに共通するのは、困難に挫けずに未来を信じて行動するとで、必死に想いを伝えようとする、その精神です。

歌手やアーティストは、今後もしばらくライブができないでしょう。
アスリートが自由にスポーツができるようになるには、まだまだ時間がかかるでしょう。

それでも、表現者として、今できることをやろう。
こんな大変な状況でも、前を向く姿勢を見せよう。
みんなに勇気と未来への希望を持ってもらうために、行動しよう。

そんな思いが人の感情を揺さぶり、共感を得るのでしょう。


困難が僕らの可能性を広げてくれる
「失って初めて気づくことがある」という言葉は、おそらくずっと昔からある言葉なのだと思います。僕ら人間にとって、普遍的な真理なのだと思います。

どんなにそれに価値を感じて、素晴らしいありがたいと思っていても、それがあるのが当たり前の生活が続くと、次第にその素晴らしさもありがたみも薄れていく。

昔、ラクロス部の後輩の山下君が「全ての取り組みには、賞味期限がある」というようなことを言っていましたが、まさにその通りだと思うんです。

取り組みや仕組み自体の構造や価値は、何年経っても変わりません。でも、それに対する僕らの向き合い方は変わっていきます。

最初にそれを始めたときのモメンタムは失われ、熱狂が薄れていく。段々と、「やらなければならない作業」になっていく。

それは、必然的に起きます。避けられないことです。

だから僕たちは、定期的に何かを捨てなければならない。
便利だけど心躍らないものを削除し、何か新しいものに取り組んでいかなければならない。

そうすることで、一時的に困難にぶつかるかも知れません。

それでも、「その困難を自らの意思と行動で乗り越えた」という実感は、他の何にも代えがたいエネルギーになり、長期的には必ず良い方向に働くでしょう。

僕らは、便利であることを求めて生きているわけではなく、情熱に突き動かされて生きています。

最後に
コロナは、僕らからたくさんのものを奪っていきました。
でも、それがあったからこそ気づけた価値があります。

「今ある世界は当たり前ではないのだ」「未来は自分たちの手で作るものなんだ」というごく当たり前の実感は、僕らの人生を確実に豊かにしています。

僕は、20年過ごしたIT業界から、今年の3月からコロナの影響をもろに受けているスポーツ業界のど真ん中に両足を突っ込みました。一般的には、正気の沙汰ではないと思います。

でも、そこでくじけずに前を向いてクリエイティブに過ごす姿を見せることで誰かに勇気を与えられるなら、それは無限に頑張る原動力になります。こんなチャンス、なかなかないですから。

きっと、日本のラクロスの未来は拓ける。
そう信じて、やっていきましょう!


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