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私は「筆弁慶」だ、という話。

私は「筆弁慶」だ。そういう単語があるのかどうか知らないが、勝手に自分をそう名付けている。

内弁慶とか外弁慶とかそういう感じのイメージなのだが、要するに私はリアルかネットかに関わらず、「文章上」において非常に我が強い。反面、本体の方はといえば毒親育ち”らしさ”満点の、死ぬほど自己主張が苦手な人間で、見た目も人畜無害の権化だ。
そんな感じなので、就職活動中、エントリーシートを提出した企業の面接で「なんか、ESの感じと違うね…?なんかこう…普通っていうか…」と明らかにガッカリした顔で言われたことは一度や二度では済まなかった(何を期待されてたかは謎)。逆にSE時代の仕事では、対面や電話だとかなり相手に舐められがちなのにもかかわらず、メールでは上司のケツを蹴り飛ばしたり、クライアントに振られた仕事を豪快に打ち返したりと、結構やりたい放題に振舞えていたので、トータルで見ればそう悪いことばかりでもないのだが。

「筆弁慶」の理由は多分単純で、表情や発言での感情表現に厳しい制限がかかっていた子供時代に、作文などでの感情表現はむしろ奨励されていたから、だろう。

小学校一年生の夏休み、(自由参加だったはずだが母によって書かされた)読書感想文で「主人公にひたすら怒りの説教をぶちかます文章」を書いたらコンクールで結構な賞をもらってしまう、というぷち事件が起こった。驚いた担任教師は「教師に懐かず、コミュニケーション能力が低く、クラスでもハブられる問題児」としていた私への評価を「こんな優秀な生徒は見たことがありません!」へと爆上げし、連動する形で母も「流石私の最高傑作」と鼻高々になって、それ以降私の作文をせっせと誉めた。
そこで私は「書く」上でなら、どんなネガティブな感情を表現しても叱られない、と学習したのである。

実際に涙を流すこと、不満を表現すること、怒った表情をすることは全て「そんな風に考えたり感じたりするのが間違い」であるのに、そういう文章を書くことは「良い作文が書けた」と誉められる。それはそれで変な話だが、当時私が学校で書かされる作文ぐらいしか「書いて」いなかったために成立した現象だろう。私が夜な夜な日記に母への不満を書いていたら、どうなっていたかは明白だ。
そう考えると、文字に限定した話であっても、「私が弁慶になれる場所」が残っていたのは、幸運だったと言わざるを得ない。

自分でも自覚しているが、私の文章は非常に傲慢で、断定的で、語調が強い。例えるならば油性の極太マジックのような感触をしていて、ふんわりしたものをふんわりと表現するのがめちゃくちゃに苦手である。その上、ネガティブな感情が非常に強い。これは私自身の思考がポジティブとは言い難いので仕方ないのだけれど。

大昔に心理学を齧った知識で知ったかぶりをすると、普段の「自己主張をほとんどせず、不平不満も言わず、温厚で、喜怒哀楽のはっきりしない」私も、文章での「自己主張が強く、下らない事でもキレ散らかしたり、いちいち絶望したりしつつ、アレが嫌いだコレが嫌いだと年がら年中喚き立てる、コンプレックスの塊の」私も、どちらも本当の私自身、という事になるのだろう。
20代いっぱいぐらいで自己嫌悪はやりつくしたので、今の「温厚な」私をそう悪くないと思える程度にはなれているけれど、この文章上における、「偉そうなイヤイヤ期」の私の方は、流石に「こんな私も素晴らしい」で終わりにするのは難しい。といって、どう扱えばいいものか。

と思って、ひとまず「イヤイヤ期」についてググったら、「気持ちを受け入れてあげることが大切」と出てきた。(※育児のページです)
とすると、本体の私のすべきことは、このイヤイヤ期の弁慶をひとまず、気が済むまで暴れさせて、うんうんそうだねと言ってあげること――つまり大量の文章を書き散らかして、「まぁこれも本音か」と認めて捨てずに保存すること、という理解をするしかないようだ。なんだよそのめんどくさい奴。ごめんなさい私です。

そんなわけで、読んで下さっている方々をなるべく不快にさせない形状にしたいとは思っているが、私は今後もアレが嫌いだコレが嫌いだと、傲慢な文章を書き続けると思う。私の中の「偉そうなイヤイヤ期の弁慶」を何とか育て上げ、それなりの人間に持っていけるようにするために。
多分そういう時はタイトルの時点で伝わるかとは思うのだが、またそういう記事を見たら、「あぁ、またやってるな」と思って頂ければ幸いである。
多分、リアルの私が数十年かけて溜め込んだ怒りのエネルギーを、全て吐き終わるまで書ききれたなら、私も少しは読む人に、ふんわりした心地よい何かを提供できるような文章を、いつかは書ける日が来ると思うのだ。そうあって欲しい、頼むから。

この極太マジック一辺倒の文章を、その日の気分で色鉛筆や水彩絵の具にも変えられるようになる日が来ることを願って。
ちょいちょい弁慶を持て余しながら、それでも書き続けたいなぁ、と思っている。



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