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振った元カレがくれた「オリジナルの失恋ラブソング」が、ガチの名曲だった話。

ミュージシャン的な属性を持つ恋人と付き合っている時に、オリジナルのラブソングを贈られる、というエピソードは昔からよくネットに転がっている。
大抵は歌詞がクソ寒かったり、歌が下手だったりして酷評され、場合によってはそのラブソング自体が原因で冷めて別れ話になる、といった儚い運命を辿ることが多い……と思うのだが、その『恋人がくれたオリジナルのラブソング』が、本当に心を揺さぶるガチの名曲だった場合、どうなるか。それも、振った直後に、失恋の歌をもらった場合に。

私がしたのは、そんな(多分)激レアな体験だった。

なお、その素晴らしいラブソングの贈り主は、先日書いたこの記事に出てくる「H君」である。

H君は、私と同じ大学の音楽サークルに所属していて、ギターボーカルを務めていた。帰国子女であるために「ネイティブ発音で洋楽を歌える」という、サークル内でも一線を画すアドバンテージを持っていたが、逆に日本語の歌を恥ずかしいからと嫌がる、謎にシャイな一面もあった。

日本人にしては彫りの深い顔立ちをしたイケメン。細身で、背はそこまで高くはないものの、話す声は意外なほど低く、彼の声が私はとても好きだった。華々しいステータスの割に傲慢さは見当たらず、デートにしてもイベントごとにしても、私がぼんやりとイメージする「普通の彼氏」の範囲に収まっていた。

問題があったのは、彼がちょいちょい私に求める「”普通の彼女”としてのふるまい」が、当時の私の生活実態とかけ離れていた点だった。
煙草を止めて、女の子の友達を作り、下着から靴下に至るまで「女の子らしい」服を身に着け、毎日部屋を綺麗に保ち、男子の混じる飲み会には行かず、バイトするなら塾講師や家庭教師にして、夜22時までに帰宅しろ。
彼の主張をまとめると概ねそんな感じだったが、ようやく過干渉な親から離れ、ここぞとばかりに一人暮らしの自由を満喫していた私には、到底受け入れられるものではなかった。
煙草はやめない、服なんかにかける金はない、夜中だろうが飲み会だろうが、私は行きたい場所に行くし、部屋が汚いのが嫌なら来るな。っていうか、そこまで言うなら私じゃなくて「そういう子」と付き合えばいいだろう――そんな喧嘩を何度繰り返したことか。
トドメに『馬の骨』事件だ。私はH君との交際に完全にやる気をなくし、H君の前に付き合っていた元カレのナオと遊び始めた。平たく言って浮気、を通り越して二股である。H君には早々にバレて、包丁を持ち出され「こんな別れ方をするなら俺は今ここで死ぬ!」と叫ばれる修羅場まで発生したが、何とかかんとか、誰の血も流れることなく別れ話は終わった。今思い出しても、「若気の至り」と一言で済ませるにはげっそりしてしまう事案であった。もちろん自業自得だけれど。

そしてその修羅場から2週間ほど後だっただろうか。H君の持っていた個人HP上で、自作の曲の音源データが公開された。
流石に酷い振り方をした罪悪感で凹みつつ、彼のHPをチェックしていた私は、同じページに載せられていた歌詞を眺めながら、その曲を聞いた。

イントロから、鳥肌が立った。
彼の声域で一番低い音であろう、かなりの低音から始まるメロディ。さりげなく空間系エフェクトを効かせたギター。私の好きな7thや9thがふんだんに入った、繊細なコード進行。打ち込みのために音が軽いが、骨太さを感じるミドルテンポのドラムパターン。綺麗に韻が踏まれた英語の歌詞が、滑らかな発音ですっと耳に入ってくる。

一言で言って、めっちゃくちゃ好みな曲だった。

そもそもH君とは、音楽の趣味が合っていた。洋楽一辺倒のH君は、私の好きだったビジュアルロックを聴くことはなかったが、H君おすすめの洋楽バンドは、私から見てほぼハズレがなかった。
そしてH君は、私の好みのサウンドや曲の系統、特に男性ボーカルの低音域が好きだと話したことを、きっちりと覚えていたのだろう。彼のオリジナル曲を聞くのはそれが3曲目だったが、明確に私をターゲットにしたその「失恋ラブソング」は、正しく私に刺さった。

私はその曲を速攻でipodに入れて、チャチなノートPCのスピーカーからではなくヘッドホンで、繰り返し聴いた。
何度聴いても良い曲、良い声、良いギターだった。今のようにはDTMが気軽に出来ない、00年代前半である。個人的な感情の補正があるにせよ、プロの音源と並べて遜色なく聞けると思うほど、自宅の録音環境でよくここまで作れたなと感心するほど、間違いなく素晴らしい曲だった。

やがて、「すげぇ良い曲じゃん!!ヤバいこれめっちゃ好きなんだけど!!やるじゃんH君!!」という興奮から覚めた私の脳裏によぎったのは、「あーあ、失敗したなぁ」という後悔だった。
H君と別れたことが、ではない。
「こんなに良い曲書ける奴だったなら、彼氏として付き合うんじゃなくて、最初から一緒にバンド組んで、じゃんじゃんオリジナル曲作らせとけば良かった。天下取れたかもしれないのに」
という、「バンドやってる女」としての後悔である。

それから20年が過ぎた今、私がH君について思い出す順番は、既に記事として書いた通り、『馬の骨』が先だ。
あんなに感動した、心底刺さったラブソングをもらったとしても、それについて思い出すのは『馬の骨』について書いてから一週間が過ぎた後。
それも、Twitterで『#元カレのヤバエピソード教えて』のハッシュタグを見かけて、「卵を投げる、馬の骨、あと何かあったっけ?」と考えてようやく思い出す、その程度の記憶でしかない。H君には気の毒な話だが。

ラブソングの出来に関わらず、終わった恋は戻らない。
もしも今、愛する恋人にラブソングを贈ろうとしている方がいたら、そして目的が「曲の完成」でなく「恋の成就」であるなら、名曲を作ろうとしていたそのエネルギーを是非、恋人との関係の維持や改善のために使ってもらいたい。
「振った元カレから、素晴らしいラブソングをもらった」私が伝えられる、たった一つの真理である。

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