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「ぼくをいつもいじめてくる奴がいるんだ」から始まった息子の話。

私のぽよ息子は、今年度から小学5年生になった。語尾の「ぽよ」はうっすらと頻度が下がってきているが、まだ健在だ。
で、その息子が学校の話をする際、時々「ぼくをいつもいじめてくる奴がいるんだ」から愚痴が始まることがある。
相手は毎回違う事が多い上に、よくよく詳細を聞くと「悪口をいつも言う」は『息子の名前をもじったあだ名で呼んでくる(例:タカノリ→ノリマキのような感じの食べ物系)」だったり、「叩かれた」も『その後息子が急所に反撃した(それはアカンやつ!)』だったりするので、私としては最後まで注意して話を聞かなくてはならないのだが、その結果としてどうしても、「そうなんだぁ、それは大変だったねぇ」と間延びした返事をし続ける事になりがちだ。
こんな雑なリアクションで良いのか?親としてこの対応で大丈夫か……?と内心葛藤の嵐だが、まぁまぁ今の所は登校渋りもないし、「給食が美味しかった」などと言っている日も多いので大丈夫……だろう。大丈夫じゃない時は分かる……といいな、と毎回祈る思いである。

なのだが。昨日は「○○菌って呼んでくるんだぽよ!」と言い出した。
すわ本格的イジメ発生か!?と警戒する私をよそに、息子はせっせとユウト君(仮)の悪口を喋っている。どうやら息子目線では「映画版じゃない方の、普段のジャイアンとスネ夫みたいな奴」らしい。

「だからぼく、ユウト君(仮)のことが大っ嫌いなんだぽよ!今日も悪口いっぱい言われたし!いったいどんな教育受けてるんだぽよ!?」

いや、教育自体は君と同じものを受けてるはずだろう。逆にその台詞を君がどこで教育されてきたのか私が聞きたい。

「悪口ってどんな?またあだ名で呼んでくるの?」
「そうぽよ!他にもバカとか言うんだぽよ!」

まぁ小学生男児の「バカ」は標準装備のはずだし、食べ物系あだ名は悪口に入るかどうかも怪しいので、ここはユウト君(仮)の方に情状酌量の余地がある気がする。ただ、菌扱いというのはちょっと問題だな。

「バイキン扱いしてくる子は他にもいるの?その子一人だけ?」
「そんなこと言うのはユウト君(仮)だけぽよ!他にも酷いんだぽよ!先生に言うよって言っても全然やめないんだぽよ!だから僕、やってやったんだぽよ!」

ふむ、相手が単独ならまぁまぁ…もう少し様子見で大丈夫か?

「凄かったんだぽよ!頭の中でユウト君(仮)を地獄に落として、ひっど~~~~い事しまくってやったんだぽよ!頭に来たから小声でずーーーーっとそれ喋ってたんだぽよ!!そしたらバスが○○の所からうちの所まですぐ着いちゃったんだぽよ!!僕の頭の中は凄いぽよ、僕すっっっっっっっっっっっっっごく長く喋ってたんだぽよよ!!」

……うん?

「そうかぁ。そんなに怒ってたんだねぇ」
「そうなんだぽよ!自分でも途中何言ってるのか分かんなくなってたけど、でもめっっっっちゃバスが早く着いたんだぽよ!!もうすーーーーーっごく長かったから、きっと読書感想文より長いぐらい長く考えてたんだぽよ!!」

その後の息子の話は、頭の中でユウト君(仮)をどんな目に遭わせたか、の説明になった。どうやらユウト君(仮)は息子の頭の中で、『地獄に落とされた後になんとかビームやなんとかソードで延々とボコボコにされ、しかも天国から蜘蛛の糸が降りてこない刑』に処せられたらしい。

「地獄に蜘蛛の糸が降りてくる話、よく知ってたね?本で読んだの?」
「本で読んだぽよよ!蜘蛛の糸が降りて来なかったら、永遠に天国に行けないんだぽよ!」

うっかり息子の話に引っ張られて私の意識も逸れてしまったが、もしかして、今日の息子の話の要点は、「僕はいじめられた、酷い目に遭った」ではなく、「大っ嫌いな奴を頭の中でボコボコにしてたら凄く長いストーリーになった。しかも、それを考えていたらスクールバスの中での体感時間が超短かった!僕の頭は凄い!」ということ……か?なんかそうっぽいな。

え?いや、良いのかそれで?
……まぁ、良い……か?

内心首を捻りつつ「そうかぁ、凄いねぇ」と雑な相槌を打つ私に、息子はひとしきり喋り終わると機嫌良く「今日のおやつは何ぽよー?」と言い始めた。息子的にはこの話はそれで終わりらしい。

うーーーーん?うーーーーーーーん。

ダメだ、分からん。
様子を見るしかなさそうだ。流石に深刻な事態なら息子だってもうちょっと深刻そうにするだろうし、毎日ユウト君(仮)の愚痴を言うようになるとか、学校に行きたくないと言い出すとか、何かある……だろう。多分。きっと。

「えぇと、とりあえず『バイキン扱いする』っていうのは大人から見ても酷い話だって分かりやすいから、先生に言うときはその話を最初にすると良いと思うよ」

一応そんな入れ知恵をしてみるが、当の息子は聞いているのかいないのか、「わーい、発掘恐竜チョコぽよー!僕これ好きぽよ、あ、今日は○○サウルスだぽよー!」と完全におやつモードになっている。
えぇと、つまり大丈夫……なのだろう。多分。そして息子的に大丈夫なら、今の所は大した問題ではない……のだろう、と思うしかない。

まぁ、アレだ。結局のところ私が危惧しているのは「息子がいじめられたらどうしよう」とか「不登校になったらどうしよう」ではなく、「息子が学校でいじめられた結果として、毎日死にたい気分になり、実際に実行に移すまでの間に、私が気付けなかったらどうしよう」だ。
逆に言えば、それまでの間に私が気付ければ、あるいは息子が「もう学校行きたくないぽよ!!」と言ってくれれば、何とか出来る。必要なら学校と掛け合って対策を施し、それでも何ともならない場合には転校させれば良いし、それでも無理なら学校に行かせなければ良い。

とりあえず息子はその後も普段通りに夕方まで過ごし、夜になってから夕飯を見るや「僕それあんまり好きじゃないぽよ……サーモンのお寿司が良かったぽよ……」などとのたまっていたし(今日はこれです、諦めて食べなさい。どうしても嫌なら食べなくてよろしい)、一昨日は家の中でGを発見したというので、半分冗談でゴキジェットを渡したら「嫌だぽよ怖いぽよ、ママがやってぽよー!!」と叫んでいた(まぁそうですよね。知ってた)。

ならば多分、きっと、「もう学校に行きたくないぽよ」も、私に言ってくれる……はずだ。そう信じよう。

満10歳、小学校5年生。
思春期に差し掛かってきたと言われるお年頃だが、今の所、息子が何を考えているか分からない、という感じはしていない。
何でそうなる??と思うことは多々あるし、「ほら動画見てるの終わりにして、寝る準備しなさい」などと言った時に最近はパンチをしてくることがあるが(痛いからやめて、さっさと歯磨きしなさい)、反抗期が始まったとはまだ呼べない気がする。

私が息子の年齢の時には、既にうっすらと「死にたい気分」は常時あった。死が何故疎まれるのかが心の底から分からなかったし、痛かったり苦しかったりするのは嫌だが、「自分がこの世界からいなくなる」ということは、むしろ喜ばしい事であるように思っていた。良い事がなくなるデメリットより、嫌な事がなくなるメリットの方がずっと大きく感じていたのである。

だが、息子にはそれは今のところなさそうに見える。またもや学校から、今度は「でんじろう先生のサイエンスショー」のチラシを持ち帰ってきて「これに行きたいぽよー!!」と言っている息子は、少なくともやりたい事や見たいものがあり、未来に起きる「良い事」を楽しみにすることが出来ているのだろう。多分。

本格的な反抗期、あるいは親離れが始まり、息子から見て私との心理的距離が遠くなってきたときに、「もう学校に行きたくない」を言ってもらえるかどうか。
まぁ、言って貰えなさそうな気配がしてきたら、その時に考えることにしよう。
頑張れ小5男児。別にそんなに頑張らなくても良いけど、ほどほどに。


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