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自宅のTVが壊れた話①オペレーション・上司A

日曜の朝。
いつも通り寝ぼけながら夫の朝食とお弁当を用意し(夫は接客業のため土日は出勤するのだ)、自分の朝食代わりのカフェオレを入れて、やれやれ一服するか……と私が座るのを見計らったようなタイミングで、眉間に皺を寄せた夫が、不機嫌そうに口を開いた。

「TVがつかないんだけど」

この夫の発言タイミング、内容、表情、そして声の調子。
数年前の私なら、うっかりこれらを総合して、
「お前把握してないの?TVつかないんだけど?お前の管理不行き届きのせいで、俺は朝のTVが見られなかったんだけど??のんびり座ってないで今すぐ直せよ!!」
と言われたように解釈してしまい、TVの不調そのものまで自分の失態と思い込み、すぐさま謝罪しながら席を立ってトラブルに対処し、やがて後になってから「家のことを何もしないで私に丸投げする夫」への怒りや恨みを募らせていたことだろう。

しかし、今の私は一味違う。
瞬時に脳内データベースから「システムエンジニア時代の、部下から障害発生報告を聞いた時の上司Aのリアクション」のデータをロード。どっかり椅子に座ったまま「ふーん?」と相槌を打ち、加熱式タバコをすぱーっと吸いながら夫に目をやって、無言で続きを促した。
めちゃめちゃ偉そうな雰囲気を出している事に特に意味はないのだが、少なくとも「以前の対応」よりはこれの方が「正しい対応」に近いのだ。たぶん、きっと。

「TV付けようとすると、こうなっちゃってさ」

実際、夫は私の態度に不満を述べるでもなく、夫自身が昨夜から確認しているTVの状態について説明し始めた。
夫の話だけでは今一つ要領を得なかったが、実機を見た結果と総合すると、夫の言う「TVがつかない」というのは、正確には「TVの電源は入るが、B-CASカードが読み込めない旨のエラーメッセージが表示され、番組が見られない」という状態だと判明した。

そして、近年「ググる」というスキルを習得した夫は昨夜、自力で解決できないかと、カードの抜き差しや主電源のオンオフなどを何度も試してみたらしい。
当社比、えらい。物凄くえらい。息子が生まれたばかりの頃と比較すると、人類が火の使い方を覚えて肉を焼き始めたぐらいの、かなりびっくりな進歩である。
「ググる」スキルを習得したそもそもの理由が「ガンプラづくりが趣味になり、情報収集が必要になったから」で、決して私や息子のためでないことについて言い出したら文句の100や200はあるが、この際そこは目をつぶる。世の中、結果が重要なのだ。

さて、現状把握を済ませた私はしばし思考し、「B-CASカード自体の問題ってことはない?台所のTVのカードと交換してみたら?」と障害個所の切り分けを指示した。
これもまた、少し前までの私なら、間違いなく自分でカードを差し替えていたはずだし、そもそも夫が試したという電源オンオフも自分で改めて確認していた。
しかし今の私は「障害報告を受けた上司A」。担当者が上げた報告内容が正しいかどうかをわざわざ確認するために、自分の手を動かすことなどありえない。障害の切り分け方を指示することはあっても、作業そのものは現場に任せ、部下の成長の機会を奪わないようにするのも仕事の内である。

そして夫は、私に指示されていることに何ら疑問を抱いた様子を見せず、2台のTVを行ったり来たりした後で、「台所の方のカードを挿してもこっちは駄目だった。台所のTVは、こっちの部屋のカードでも映った」と結果を報告して来た。

ふむ。問題はB-CASカードではなく、TV本体の方であることは確定した。ここから先は「修理か新規購入か」という、お金の絡む話になる。夫の出勤時間も迫っているし、これ以降は私が対応するしかないな。

私は腕組みをしてその報告を聞き、「じゃあ本体の問題だね。買って10年ぐらいになるし、修理より買った方が良いだろうから、新しいの買うね」と、家計を握る人間として、この案件を引き取った。
夫は問題が自分の手から離れたことにホッとしたのか、「よろしくお願いしますっ!」と謎に元気に、礼儀正しい挨拶をして、出勤していった。
本日の「トラブル対応オペレーション・上司A」、完了である。



夫の「眉間の皺」や「不機嫌そうな表情」「強めの声・口調」などに、私は随分長い間、惑わされてしまっていた。少なくとも私なら、かなり強い怒りや不満を感じている時にしか使わない、そんな表情と口調なのだ。
しかし、夫にとってそれらの表現は意図したものではなく、純粋に「頭を使う話をしている」「一生懸命説明している」結果なだけであり、深読みすべきものは何もない――血と汗と涙の研究結果により、私は何とかそこを理解できるようになった。
だが、そこを頭で理解できていてもなお、「相手の話すことを、純粋に言葉だけ受け止め、表情・動作・声の調子など、非言語的な情報は全て無視する」というのは、実際かなり難しい。人間なかなか、目の前で眉間に皺を寄せている相手が、内心では全く機嫌は悪くない……とは認識できないものである。
いつだったか、「お昼にマックを買ってきて欲しい、パパは何食べたいか自分で決めてね」とチラシを手渡しつつ夫に言ったところ、苦虫を噛み潰したような表情で、かつ舌打ちをしながら長考に入り、やがて「マック~♪マック~♪」と自作の歌を歌いながら出かけて行った――という事があった時は、本当に目を疑った。彼の体から発せられる非言語情報は、情報として役に立たないどころか、逆に邪魔にしかならないのだ、と私が痛感するきっかけになった事案だった。

そこで苦労を軽減するために、私が近年採用しているのが「オペレーション・上司A」だ。私が上司、夫は部下。そういう前提で夫の話を聞くことで、あらゆる感情表現(と私が認識してしまう要素)をシカトして、問題解決に必要な情報のみを拾うことが可能になり、夫とのコミュニケーションを取りやすくなるのである。
この方式、夫を完全に部下扱いしていることへの疑問さえ持たなければ、最適解に近い……と個人的には思っている。少なくとも、以前に比べて私のストレスは軽減されているし、実際に問題は解決できる。代わりに人として大事な何かを無視しているような、そんなモヤっと感が残るのが玉に瑕だが。

互いに安心して背中を任せられる夫婦関係、あるいは精神面で支え合い、労わり合える夫婦関係を、私は心から称賛する。尊敬するし、憧れる。心の底から、めちゃくちゃ羨ましい。自分は何を間違えて今こんなことをしているのだろうと、年がら年中思っている。
が、スヌーピーも言っていた。配られたカードで勝負するしかないのだ。まして「夫」というカードは、過去の私が自分の意志で手にしたもの。もう、やれることをやるしか道はないのである。

配偶者にアスペルガーっぽい傾向がある方、あるいはパートナーの表情や声の調子と、本人の感情が一致していないと感じる方には、この「オペレーション・上司A」、身近な職場の上司に置き換えて、ぜひ実践してみて欲しい。
きっと心の安寧と、(比較的)円滑なコミュニケーションを得られるようになるはずだ。モヤっと感だけ、我慢すれば。






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