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フランスの旅(10)~アンボワーズ城とクロ・リュッセ城

Bonjour ! 今日からいよいよ10月ですね。私の住む東海地方ではまだなかなか涼しくなる気配が見られませんが、それでもだいぶ秋らしい爽やかな感じになりました。外の景色を見ると、それこそ秋の初めに留学や旅行でフランスを訪れたことを懐かしく思いだします。

さて、今日はレオナルド・ダ・ヴィンチともゆかりの深いロワール河畔の名城アンボワーズ城 ( Château d'Amboise ) と、彼の終の棲家となったクロ・リュッセ城 ( Château du Clos Lucé ) の話をしたいと思います。11世紀に城塞として建てられたアンボワーズ城は、百年戦争も収まった15世紀の半ばごろから何度も改築を重ねられ、当時最先端の文化を誇ったイタリアから建築家を招くなどして新しい様式を取り入れながら徐々に現在の姿に近づいて行きます。中でもここで造られた庭園 ( le jardin )は、後のフランス式庭園の発祥とも言われます。

この城が最盛期を迎えたのは国王フランソワ一世の時代で、イタリアの文化に憧れていた彼は、晩年期にさしかかっていたダヴィンチを招き、アンボワーズ城から南に400m離れたところにあるクロ・リュッセ城(上の写真に写る建物です)に住まわせます。赤レンガの壁と三角の屋根が特徴のこの城で、彼は母国イタリアから持ち込んだ『モナリザ』( La Joconde ) と共に死ぬまでの三年間を過ごします。なんでもこの二つの城の間には、国王がお忍びでダヴィンチの所へ遊びに行けるように秘密の通路が作られていたとか。

ところが、フランス・ルネサンス文化を代表するこの優雅なお城にもやはり暗い歴史がありました。フランソワ一世の死後、カトリックとプロテスタント(ユグノー/huguenot)との争いが激化する中で、なんと1200人ものプロテスタント信者が城壁から吊るされるという出来事があったそうです。城はこうして処刑された死体の腐臭に充ち、宮廷はここを捨てて別の城へ移らねばならない程でした。

私がここを訪れたのは今からちょうど15年前の2007年4月、故シラク大統領の後釜を決める大統領選でフランス国内が盛り上がっていた時でした(決戦投票に残ったのは、サルコジ氏とロワイヤル女史です)。通っていた語学学校のイースター休みを利用してアンボワーズの街に来た私は、城へ至る緩い坂道の途中であるお土産屋さんに入ります。そこで見つけたのがなんと99.99ユーロもする革命家ロベスピエールの小さなブロンズ像。ちょうどうちの家族に『ベルサイユのばら』が好きな人間がいたため自腹を切って買うことにしました。王様ゆかりの地で国王をギロチンにかけた男の像が売られていたというのも変な話ですが、これが今の共和国フランスというものなのでしょうかね。自分が日本 ( le Japon ) から来たというと、エレガントな感じの店のおばさんが「日本の人は礼儀正しい人が多いわね」とお褒めの言葉を下さったことを覚えています。

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