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フランスの旅(4)~リヨン

Bonjour ! 日を追うごとに春の日差しも暖かくなり、早くも私の地元浜松では暑くて寝付けない夜もあるほど。でも、昨今の国際情勢が気になって、なかなか心から春を楽しむ気持ちにはなれませんね。

今回はパリに次ぐフランス第二の都市リヨン( Lyon )の話。とは言え、ここには宿を取っただけで街をくまなく歩いた訳ではありません。が、丘から見下ろしたその街並みの美しさと言ったら!私も記事を書いている『星の王子さま』( Le Petit Prince )の作者サン・テグジュペリ( Saint-Exupéry )が生まれた街ということもあり、上の写真のように彼と王子さまの像がここには立っていますが、残念ながら直接見ることはできませんでした。ホテル( l'hôtel )の滞在中に、日本にいる父から国際電話が掛かって来ましたが、思うに国境を越えて通話をしたのはこれが初めてでしたね。バターベースのホワイトソースであえた鶏肉の料理も美味しかったです。

やはりローマ帝国( l'Empire romain )の植民都市として建設されたリヨンは、古くから絹産業が栄えまた教皇のおひざ元であるイタリア( l'Italie )へのアクセスが良いこともあって、都のパリをしのぐ賑わいを見せていました。日本との関係では、(本当かよと思う話ですが)もともと銀行員として働いていた永井荷風もここに赴任して名作『ふらんす物語』を書き、慶応仏文の出身である意味彼の孫弟子とも言える遠藤周作もルーアンでの滞在の後リヨン大学に在籍しています。よほど思い出深かったのか、後に遠藤の執筆した『白い人』や『留学』、『深い河』などの小説にもこのリヨンの街が登場します(もっとも、『深い河』では「活気のない街」「保守的」と登場人物に言わせていますが)。

残念ながら、この街も大都市の宿命として歴史の辛酸を何度もなめています。フランス大革命( La Révolution française )では、革命政府に楯突いたためにパリの怒りを買い、派遣された公安委員たちの手で2000人もの市民が反革命の容疑で虐殺されるという事件がありました。中でも、後にナポレオン政府の警視総監となるジョゼフ・フーシェ( Joseph Fouché )は、ギロチン( la guillotine )では手間がかかると言って大砲( le canon )で人を処刑するという残虐さ。また第二次大戦中、ナチス親衛隊大尉としてリヨンに赴任したクラウス・バルビーは、数多くのユダヤ人の移送や対独レジスタンスの虐殺に関与し、晩年この街の法廷で終身刑の判決を受けています。

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