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日本一周44~46日目(宮城~福島~茨城)

44日目 5月29日 宮城滞在

仙台で牛タンを食べることは旅を出発する前からの夢だった。
夢というと大げさからもしれないが、北海道での寿司のように旅に出てから牛タンはずっと我慢していた笑。変なところに固執する夫婦であるが、それがまた楽しい。
この日の夜に久し振りの夫婦合流である。私は、気に入った珈琲館やFIT24で久し振りに体を動かして気分が良い。帰ったらまたコンテストにも出場する予定だ。
余談が続いたが、夜には奥さん、奥さんの親友さん、そして石巻で知り合った青年と一緒に仙台駅周辺の「たんや善次郎」という店へ。厚い牛タンが最高だった。値段ももちろん張るが、ここでの価値には換えられない。もちろんお代わりした。最高の満足感をありがとう仙台。新しい縁と、この最高の牛タンで宮城編はクライマックスを迎える。

45日目 5月30日 宮城を出る
どんどん南下していく。名取の方へ向かう。
名取のイオンは大きい。確か全国のイオンの中でも上位に入る大きさらしい。お昼はしゃぶ菜と上島珈琲へ。どちらも初めて行くお店だ。初めての場所はどこでもワクワクする。上島…と聞くとついダチョウ倶楽部を思い出してしまう。ケツメイシの「友よ」という曲もずっと前から好きだった。
この日は大きな出来事もなく道の駅「なみえ」へ。
この道の駅もとにかく大きい。エントランスには天井からカラフルな傘が下げられている。建物の裏にはポケモンのラッキーを始め、ピンクのモンスターたちが沢山いた。個人的に滑り台になっているベロリンガが好きだ。
ラッキーは「福」というところから繋がって、福島県も認定ポケモンになっているらしい。ラッキーには昔、ポケモン赤緑時代にやっていたサファリパークでやたらに捕まえるのが難しかった印象しかなかったが、今後も福を福島や全国にもたらしてほしいと何だか愛着が沸いた。夜は車中泊でのしっぽり飲み会だ。コロッケを紅芋で買ってしまったので甘かったのが反省点だ。ひたすらにメンチカツが食べたい笑。

46日目 5月31日 福島県
福島県のどこだっただろうか。
「きて」とキャッチコピーのあったポスターが印象的だった。
東日本大震災から10年以上が経過している。復興も進んでいるが、まだまだその爪痕は深く残っている。道中のファッションセンターしまむらやガソリンスタンドの外壁や店内の荒れた様子が物語る。
この日は震災遺構の「請戸小学校」へ。ここはそこ出身のフォロワーさんから紹介いただいた場所だ。学びとして被災地へは訪れたいと思っていたので、朝からこの小学校へ行った。
ここには書き入れない程の想いが駆け巡った。建物への津波の影響、残された文章(特に絵本のように残っているものが印象的だった)、写真、当事者の方々のメッセージから、あの日、あの時の様子が伝わる。絶望や恐怖という言葉では生ぬるい、なんという時間を耐えて来られたのだろう。
津波は最終的に10mを超えたそうだ。時計は災害を受けた時刻15時47分で止まっている。津波で浸水した高さは、人3人分の身長は有に超える。子どもたちは避難をした場所から動けないし、大人たちは迎えに行こうとしても道は荒れて閉ざされている。どんな不安な時間を過ごしただろうか。
その中でも大平山へ避難するという賢明で迅速な判断、大人でもしらなかった山中へ入る道を知っていて先導した小学生、トラックの荷台に乗せて役所は運んでくれた人との出会い、それらの行動や奇跡が繋がり請戸小学校は全員無事に避難出来たとのことだ。しかし、救助に携われた方々や避難が遅れた方々、多くの命が失われた。まだまだ乗り越えること、復興への尽力は続いていく。私たちも同じ日本に済むものとして(私は3月11日は専門学校の卒業式の前日であった)、今日震災のことを改めて学べて良かった。

We will never forget.

私たちもそうでありたい。










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