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<芸術×力 ボストン美術館展>「平治物語絵巻」の何たる近代性!「吉備大臣入唐絵巻」の僅か100年後なのになぜ?

はじめに

 表題の美術展に行ってきました。目的は「平治物語絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻」を見るためです。
 正確に言うと、「平治物語絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻」を「線スケッチ」の立場から比較検討してみようということなのです。
 ですから美術展全体の訪問記ではありませんので、その点ご了解ください。

実物をみて何を感じたか

平治物語絵 三条殿夜討巻(部分)について

 海外流出した超1級の美術品の一つと云われているにふさわしい作品でした。
 長さ7,8m程度でしょうか、平日でしかも予約制だったためか、いつもなら背伸びして二重三重にとりまいた観客の背中越しに見るのと違い、ゆっくりとガラス越しに見ることができました。人の流れがあるので、何回も元にもどって6回ほどしっかりと観察しました。

 以下、感じたことをまとめます。(公式サイトに全体像と拡大ルーペによる拡大像が載っていますので作品をご覧になりたい方はクリックしてご覧ください。あるいは、解像度は悪いですが、全体像は次のwikimedia commonsの画像でもご覧いただけます。)

平治物語絵巻 三条殿夜討巻
出典:wikmedia commons, public domain

 まず気づいたのが絵巻の紙の上下の幅の長さです。50㎝ほどあるでしょうか。数年前東京国立博物館で「鳥獣戯画」展を見た時に、あまりの紙幅の小ささに驚いたのと対照的です。   

 そのために紙の下から上部まで武者の群像が、日本絵画特有の上からの俯瞰で描かれている迫力は相当なものです。様々な身体の動きや顔の表情で描かれた騎馬武者が何十名も密集した姿で一瞬に目に飛び込んでくるので圧倒されるのは当然かもしれません。

 すばらしさの要因はそれだけでなく絵巻の保存の良さと絵画技術の卓越性にあります。最初に絵を見て本当にこれが13世紀当時に描かれたものか?と疑ったほど保存状態がよいのです。紙を巻くため避けられない皺やその周辺の絵の具の剥落がほとんどありません。剥落どころか、色褪せもなく、昨日描いたと言われても信じるほどです。

すばらしさの要因:細部描写

 さらに、大きな要因はその絵画技術の高さです。まず線描を見てみましょう。思い切りがよくて迷いがない輪郭線(人物の服、脚、馬や牛の身体、尻尾)があると思えば、繊細な細い線(顔や具足、武器など)による顔の表情や鎧兜、具足類の細やかな描写がある。 この描き分けは並みの作家の力ではありません。(公開可能な部分図を下に載せます。)

平治物語絵巻 三条殿夜討 部分図および馬の写真
出典:平治物語絵巻すべてwikimedia commons, public domain.
馬の写真(左):Helgie12, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
馬の写真(右):Joseph Ritho, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

 上の図では、特に弓を持つ武者(右上)の下半身、素足の状態の両足の描写をご覧ください。太ももから膝からその下、ふくらはぎや脛の部分の筋肉の微妙な曲線、足首から指先まで、よく観察して一本の線で一気に描かれています。まるで現代のデッサン教室で習ったかのように人間の筋肉の輪郭の特徴を捉えています。しかも下書きをしている様子はありません。
 左側の図の武者姿の人物も合わせて、これだけの多人数を描いても形や姿勢に破綻がないことに驚きます。

 人物は、少しの輪郭の狂いでも人はすぐに気が付くのでとても難しい対象です。
 その関連で「線スケッチ」教室の話をします。「線スケッチ」では下書きなしでペンで描くことを原則にしていますが、人物の線描練習の場合、生徒の皆さんには、例外的に鉛筆を使った下書きをOKしています。勢いのある線描を犠牲にしてでも、消しゴムで修正しながら基本的な人の筋肉の輪郭を覚えてもらいたいからです。

 さらに上の図の武者たちの群像を見てください(解像度が悪いので分かりにくいかもしれませんが)、彼らの顔は一つとして同じ表情は無く、しかも、様々な姿勢をとる人物の描写も合わせてリアリティーが迫ってきます。
 
実際に一人一人の顔の表情と顔の向きをじっと眺めていると、それぞれの人物の心の動きまで分かる気がします。その臨場感はたまりません。声や馬のいななきまでも聞こえてくるようです。ですからとても中世の絵画を見ている気がしません。
 一般に我が国の昔の絵画の顔の描写の様式についていえば一つは平安期の絵巻物に見られる「引目鉤鼻」の画一的な顔の描写があります。一方、後述する「吉備の大臣入唐絵巻」や「伴大納言絵巻」に見られる少し誇張した顔の表情表現、すなわち漫画のような描き方もありますが、そのどちらでもないのです。
 目鼻口は誇張されておらず、大きな口を開けた描写はなく一定の節度の範囲内で様々な表情を表現しています。おそらく、そのためにリアリティーを感じるのだと思います。 

 次に人物ではなく動物に注目します。この絵巻には、数多くの騎馬武者が乗る馬と、牛車を引く牛五頭が描かれています。ここでは馬を見てみます。上の図の下段、馬の描写をご覧ください。
 絵巻図の一番最後の騎馬人物像の馬と、右に示した草を食んでいる馬と疾走している馬の写真を比べてみます。

 あらためて、写真がない時代、自分の眼で馬を観察してよくここまで動いている馬の姿を描写できたなと思います。
 ここでは馬の後ろ脚、人間では膝の位置に当たる部分に注目してください(赤丸で示しました)。 人間は膝関節を軸に「くの字型」に曲がりますが、馬は「逆くの字型」に曲がります。うしろに突き出す形になるのです。その突き出す形は、写真を見るとゆっくり動いている時と疾走している時では突き出す形が変化します。平治物語絵巻の作者は、写真もないのに観察だけでその後ろ脚の突き出す様子の違いを描き分けているのです。
 一方、「吉備大臣入唐絵巻」で描かれる馬では、その突き出し方が尋常ではない長さで誇張して描かれ、馬の動き方に対してそれは変化しません。これについては「吉備大臣入唐絵巻」の節で述べたいと思います。
 以上から、平治物語絵巻の作者の写実的描写に対するこだわりは並々ならぬものがあると感じます。

 さらに細かい話をすれば、馬の尻尾の描写にも注目です。実は馬の動きに合わせてどれ一つ同じ尻尾の描写がありません。特に疾走する馬の尻尾が水平にたなびく描写の線はリズミカルで見ていて飽きません。作者は、このようなところまで観察を重ねているようです。

 上に述べた人物の顔の描き分けや馬の描写などは、美術展のパンフレットの画像が解像度がよいのでよくわかります。改めて上の議論を頭に入れてご覧ください。

芸術×力 ボストン美術館展チラシ部分拡大図

 最後にもう一つ付け加えたいことは作者の視点の高さです。最近書いたnote記事の中で日本絵画の視点の高さを話題にしました。すなわちアルルに行ったゴッホが手紙の中で「日本の画家が描くような素描を目指したい」と書いており、日本の絵画の特徴は鳥瞰的であると見なしていることを紹介しました。(ご興味ある方は、下記をお読みください)

 事実この絵巻の作者の視点は高く、推定ですが丁度建物の2階の天井の高さほどではないでしょうか。ですから西洋の写実絵画の画家の視点と違い、まず自分が高い位置(空中)に浮かんでいることを想定し、眼下の様子を写実の眼であたかも本当に見ているように想像して描かなければなりません。   
 それは単なる写生で描くのとは訳が違います。その意味でも素晴らしい画力だと思います。

すばらしさの要因:構図の流れ(場面ごとの群衆配置)

 さて以上すばらしさの要因を「部分の描写」に注目して述べてきました。次に絵巻全体についてみることにします。
 冒頭に絵巻全体の画像を紹介しましたが、もう少し分割して全体が見える画像を下に示します。

平治物語絵巻 三条殿夜討(1)
出典:共にwikimedia commons, public domain.
平治物語絵巻 三条殿夜討(2)
出典:共にwikimedia commons, public domain.

 私が注目したのは各場面ごとの配置、構図です。各場面には中心となる群衆の塊があるのですが、その塊の絵巻空間における配置がよく考えぬかれていると思うのです。
 例えば最初の段で言えば、一塊の群衆の中心を紙の上下の中心に置きつつも、群衆の上部は開けてあります。一方、その群衆の塊の下、紙の下部にも群衆がいます。注目したいのはその群衆が最下部で切れていることです。すなわち人物が全身ではなく、身体半分、頭だけ描かれている状態です。同じことが次の場面の燃え盛る屋敷の場面まで続きます。この場面では途切れる下部の群衆だけでなく松の木や屋敷の建物も紙の上一杯に描き、すべての紙面を絵で埋めつくしています。すなわちその場面では、紙の上下に広がる空間を想像することになります。群衆が途中で切れる様子は、次の屋敷の門の内と外を描写する場面まで続きます。しかし最後の場面では、群衆の塊は、紙の上下の中心よりは少し低い位置に横長に広がって描かれ、下の部分 はもはや途中で切れている人物や動物はなく、紙の中に群像が収まっています。

 私は、紙の下部で上半身など一部しか描かれていない絵を見て、何と現代的な配置・構図なんだろうかと思いました。
 一般に人々が一定の大きさの紙に絵を描く場合、描きたい対象全体を紙の中にきちんと収める構図を取りがちです。なぜなら人の心理として自分が選んだ描く対象が途中で切れてしまうことに抵抗感があるからではないでしょうか。
 「線スケッチ」教室でも実は往々にして起こります。その時は、「描きたいものは紙からはみ出してもよいから大きく描いてください。こじんまりと紙の中に収めようとしないでください」とアドバイスします。
 そうすると、絵を見る人は途中で切れた、描かれない部分を想像してくれますし、その方が却って空間をより広く感じさせる効果があるからです。

 あらためて「平治物語絵巻」を見てみましょう。紙の下部で、人物や馬が半分に切れて描かれているために、紙の下(底)を外れた描かれていない部分にまで群衆が存在しているように感じられませんか? そうです、手前の方に空間が広がって感じられるのです。

 さらに空間の拡がりの表現について特筆したいのは、日本の絵画に特徴的な「すやり霞」がどこにも使われていないことです。

 これがおそらく古さを感じさせない原因の一つでしょう。

 では、果たして同時展示されていた「吉備大臣入唐絵巻」ではどうでしょうか。第1巻から第4巻まで、ボストン美術館展の公式サイトからご覧いただけます。(下を参照ください)

 結論を言えば、全4巻とも人物は全員、紙の上下に収まっており、途中で途切れた描写はありません。

 しかし、この絵巻の場面は、「高楼」という同じ場所で起こる事件を描くのでどの場面も同じ構図を取らざるを得ません。ですから、比較する絵巻としては適切ではありません。比べるなら「平治物語絵巻」と同様、歴史事件を取り扱った絵巻物にしなければならないでしょう。

 そこで思い浮かぶのは「伴大納言絵巻」です。「平治の乱絵巻」と同様、群衆が出てきますし、「応天門」の炎上場面もあるので比較するにはもってこいです。手持ちにある「伴大納言絵巻」の画集を開いて子細に構図を調べてみました。確かにどの場面は同じではなく、時間の経過につれて変化します。絵には躍動感にあふれた多くの人物、馬に乗った武人(検非違使?)が描かれていますが、やはり人物、群衆の塊は紙の上下の中に納まっています。(あっても膝から下が切れている人物が数名いる程度です)

 この時代の全絵巻を見ていないので軽々しく結論を出せませんが、人物を半分、あるいは首以下をちょん切って描くことは、かなり勇気のいることなので、少なくとも「平治物語絵巻」の作者が独自に考えた構図ではないかと思います。

「吉備大臣入唐絵巻」について

 「平治物語絵巻」について詳細に見てきましたので、ここでは「平治物語絵巻」で述べた人物描写、動物の描写、および空間描写に絞って手短に述べてみます。以下結果をまとめます。

  • 「引き目鉤鼻」とは対照的に、人物の顔の表情の描写は誇張されていて見るものに喜怒哀楽が伝わりやすい。しかし個々の人物の特徴に差がなく類型的で、写実というより漫画的、カリカチュア的な印象が強い。あくまで個人的感想だが、古代性(平安期)を感じる。

  • 「伴大納言絵巻」の描写と非常に似通っており、事実、参照した「伴大納言絵巻」の画集の解説者は、制作年代は同時期で、同じ宮廷画家の集団の画家が描いている可能性が高いと指摘している。

  • かなりの数の馬が描かれているが、どの馬でも後ろ脚の膝の後ろが異常に突き出して描かれている。「伴大納言絵巻」の馬の後ろ脚の突き出しの飛び出し方もまったく同様に描かれており、二つの絵巻を描いた画家集団の共通の描写方法と思われる。

  • 空間の上下の遠近の広がりは「平治物語絵巻」とは対照的に「すやり霞」を多用し、やまと絵に独特の霞、雲による表現を採用している。

 以上述べた内容に相当する具体例を下に示します。
(なお、馬の後ろ脚の突起を示す「吉備大臣入唐絵巻」のフリー画像を見つけることができなかったので、「伴大納言絵詞」の例のみ示しました。突起は赤丸で示します。)

「吉備大臣入唐絵巻」人物描写の事例(部分拡大)
出典:すべてwikimedia commons, public domain.
「吉備大臣入唐絵巻」の「すやり霞」事例
出典:すべてwikimedia commons, public domain.
「伴大納言絵詞」の馬の後ろ脚の突起描写(赤丸)事例
出典:すべてwikimedia commons, public domain.

 以上の「吉備大臣入唐絵巻」の観察結果を念頭に置いて、あらためて「平治物語絵巻」について私の実感を述べます。

「平治物語絵巻」の何たる近代性!

 実感はこの小見出しに尽きます。それではあまりにも・・・と思われるでしょうから、もう少し説明いたします。
 「線スケッチ」を制作する眼で、それぞれの絵巻を1.線描(写実性) 2.空間の拡がり表現 3.各場面の構図と流れ で比べてみました。その結果、それぞれで比較して、「平治物語絵巻」が現代的、近代的だと感じざるを得ませんでした。
 大げさに言えば、「この絵巻は明治時代の武者絵を得意とする日本画家が描いたものだ」あるいは「現代画家の山口晃氏が描いたものだ」と言われれば信じてしまうくらい、中世に描かれたとは思えないのです。

 制作年代を比べると、「吉備大臣入唐絵巻」は、「伴大納言絵巻」と同年代、12世紀末なのに対し、「平治物語絵巻」は13世紀後半で、その差は僅か100年にしかすぎません。

 このような短期間で、描写力にこんなにも差が出るのでしょうか?

なぜ近代的な描写が生まれたのか(私見)

 理由を考える前に、これまで当たり前のように「古代的」「中世的」と使ってきましたが、使い方を気を付けねばならないようです。
 例えば写実性一つとっても古代も古代、紀元前のギリシャですでに写実的な彫刻や壺に描かれた見事な人物像があるからです。それを「古代的」といってしまうのは少し躊躇します。
 そこで、ここでいう「古代的」「中世的」「近代的」の使用は、場所を限りたいと思います。すなわち、古代はギリシャ・ローマ文明の周辺にいて、中世、ルネサンス、近世、現代西洋絵画に連なる西欧諸国と、ギリシャ・ローマと同じく巨大な中国文明のはるか周辺国でその後古代(平安)、中世(鎌倉・室町)、近世を経て現代日本画、西洋絵画につらなる日本に限定します。

 そこで西欧諸国を考えると、ルネサンス以前は「中世的」な絵画であふれていたように思います。12世紀前後の絵を下に示します。

出典:すべてwikimedia commons, public domain.

 線描が素朴、拙い、線に個性がない、写実的でない、類型的など私自身が「中世的」と思っていた特徴が出ているように思います。

 これらの人物描写と比べると、12世紀の「吉備大臣入唐絵巻」「伴大納言絵巻」はもちろん13世紀の「平治物語絵巻」の描写は、同時代のヨーロッパの絵画の水準にまさるとも劣らない、否、はるかにまさっていると思うのは云いすぎでしょうか。

 ヨーロッパはその後ルネサンスを経て絵画の水準が激変し中世を脱するのですが、日本はどうでしょうか?
 今後なんらかの証明なり裏付けが必要と思いますが、以下私見を述べます。

 「吉備大臣入唐絵巻」が制作された平安時代後期と「平治物語絵巻」が制作された鎌倉時代は、平安貴族から武士の支配の時代への価値観の大変化が起こった時期です。そのため支配層の価値観が絵巻物作者の価値観にも変革を与えたものと考えても不思議ではないと思います。

 人の歴史は連続的ではなく、むしろ不連続に変化していくように思われます。今回の絵巻物も時代の急激な変化を反映し、画家の価値観も急激な変化を起こしたと考えられないでしょうか? 僅か100年の短い年代差を考えるとそのように考えたくなるのですが・・・。

 ただ、この考え方だと鎌倉時代の全ての画家は平安時代の価値観を脱したのか?残された絵画は本当に変化したのかと問われそうです。
 仮に全員が変化しなかったとしても、明らかに「平治物語絵巻」の作者は、前代の価値観を脱したと信じます。おそらく現代であれば「個人名」を残すほどの確固たる人格を持った画家に違いありません。

 それに関連して仏像彫刻の変化を思い出しました。鎌倉時代になり、「運慶」「快慶」達が作る仏像がまるでギリシャの彫刻のように写実的姿に変化をしたことと関係があるように思うのですがいかがでしょうか。

 以上は、おそらく日本美術史専門家ならすでに議論済みのことと思います。勉強もせず、私見として述べてきましたが、「平治物語絵巻」の近代性に驚いて、ついつい裏付けのない、思い付きの議論を書いてしまいました。あくまで主眼は「線スケッチ」の視点での鑑賞ですので、そちらの観点でお読みください。

 以上で、表題の美術展の感想を終えることにします。(下に他の「平治物語絵巻」を所蔵する国内の施設を参考までに記します)


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