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<ヴァロットン 黒と白展> やはり行くことにしました:黒と白はどこから? 肖像画における引き算について その2

(前回の記事から続く)

 補足説明を始める前に、その1で示した全体感想の中から今回補足説明する箇所を抜き出して下に示します。

2)日本の絵の影響に関連して(黒と白の表現を除く)
 ●浮世絵と同じ雨の表現が多い。ゴッホの影響か?
 ●太陽の陽光の描写が多い。放射状の光線表現。
 ●鈴木春信と同じく、夜空を黒ベタ塗り(月、星は描く)にするだけでな
  く青空も黒ベタ塗りで表現(ユングフラウ) ゴッホの影響か?
 ●すやり霞と同じ表現がある(ユングフラウ)

<ヴァロットン 黒と白展> やはり行くことにしました:
黒と白はどこから? 肖像画における引き算について
その1より引用

2)日本の絵の影響について(雨、太陽、空、雲、霞)ゴッホの素描との関連で考える

 主催者は、ヴァロットンがナビ派の画家なので、日本の絵画、特に浮世絵版画からの影響があることは自明の事だと考えているためなのか、今回の展覧会では、日本の絵画の影響に特別焦点を当てた解説や特別コーナーはありませんでした。

 ここでは、展示された木版画の中で、雨、太陽、空、雲、霞の描写について、日本絵画の影響ではないかと私が気づいたことを紹介します。

その内容を以下にまとめます。

●ヴァロットンは浮世絵版画のモチーフである雨の描写を好み、浮世絵と同じように線による雨で描写している。
●いくつか太陽を描いており、そのどれもが四方へ放つ光線を使用している。それは浮世絵版画と同じ表現である。
●夜の空は当然のこと、晴れの空でも黒ベタ塗りあるいは細かい線描で埋め尽くす表現を使っている。鈴木春信の版画と同じである。
●アルプスの山々の風景版画では、雲や霞が線描の輪郭線で描かれており、日本のすやり霞の表現と瓜二つである。

 以上の項目に対応するヴァロットンの版画を以下に示しますので、上記文章と照らし合わせてご覧ください。

■雨の直線による表現

図2)ー1 ヴァロットン版画における雨の表現
出典:いずれも wikimedia commons, public domain

■太陽の放射状光線の表現

図2)ー2 ヴァロットン版画における太陽の表現
出典:いずれもwikimedia commons, public domain

■空の黒ベタないし波状横線による表現

図2)ー3 ヴァロットン版画における空の表現
出典:いずれもwikimedia commons, public domain

■雲と霞の表現

図2)ー3 右上の「JUNGFRAU」の版画を参照

2)ー1 雨の線描表現について

 今回、私はヴァロットンの版画を見て、雨、太陽、空、雲、霞に注目しました。何て細かい部分を指摘するのだろうと読者は思われるかもしれません。
 実際のところ、昨年もし私が「ゴッホの手紙」(上中下 岩波文庫)を読んでいなかったら、そしてアルル時代以降のゴッホの素描をすべて調べていなかったら、私も何も気づかず通り過ぎたことでしょう。

 昨年私は「ゴッホの手紙」について一連の感想文を書き、本文に書けなかったことをその後<補遺>としてnoteの記事にまとめました。
 その中でゴッホはアルル時代、素描であれ油彩であれ、日本人画家(浮世絵師)の絵を目指したこと、あまたある広重の名作から「雨」を描いた「おおはしあたかの夕立」をなぜ模写に選んだのか、そしてアルルを描いた素描の中に多くの直線で表した雨の絵があること、線で埋め尽くされた空の意味、なぜ光線を放つ太陽を描いているのかについて、日本絵画との関連で私の仮説を紹介しました。

 詳しくは下記の記事をお読みください。

 さて、ゴッホの素描の雨の記事の中で日本の浮世絵の雨の描写について書きましたのでここでは繰り返しませんが、ヴァロットンも図2)-1に示すように直線による雨と白い線による雨を描いており、これらは浮世絵版画による雨の表現と一致します。

 そもそも西洋絵画において雨をモチーフとすることは稀でしたので、ゴッホもヴァロットンも何枚も雨を描いているのは、浮世絵の雨の絵を見て雨が見る人の心理に独特な効果を与えること知ったからにほかならないでしょう。

 特に、ヴァロットンの場合は、社会性、批評性の高いテーマを描いているので、雨が与える心理的効果を利用してみようと考えたのではないでしょうか。(図2)ー1に示した例以外にも、直線の雨を描かず多方に向いた傘を持つ群衆で表現した「にわか雨」という作品もあるので雨にかなりこだわっています。)

2)ー2 放射光線を放つ太陽について

 ゴッホはアルルの平原に沈む(あるいは昇る)放射光を持つ太陽を何枚も描いています(前述の記事を参照ください)。図2)ー2に示すように、ヴァロットンも光線を放射する太陽を描いています。ゴッホと違い、いろんな場面で描いていますが、それぞれ、その場面に必要だから太陽を描いているのでしょう。しかし肖像画の背景に太陽が必要かどうか、その意味はよくわかりません。本人に聞いてみたいところです。

 なお、ゴッホの太陽の記事を書いた時は、浮世絵では確かに放射状の光線を描いているけれど、太陽本体は地平線に沈んでいて描かれていないようだと書きました。
 今回の記事を書くにあたり、念のため検索したところ、2020年12月30日付の太田記念美術館の記事が見つかりました。その中で太陽本体と光線を描いた浮世絵が例示されていたのです。

 そこで、さらに調べたところいくつか見つけたので下に示します。

図2)ー4 日本絵画における太陽の光線描写
左上、左中:歌川国貞作
左下、右上:歌川国芳作
右下:江戸名所図会【江戸東南の市街より内海を望む図】(巻之一)
出典:全てwikimedia commons, public domain

 ゴッホもヴァロットンも太陽からの光線を直線で描いていますが、図2)ー4の江戸名所図会の太陽の光線に近い描写です。雨と同様太陽の光線についても日本の絵の影響と思われます。

2)ー3 空の表現について

 図2)ー4に示すように、ヴァロットンは月や星を白抜きにして黒一色に塗って夜空を表しています。一方、昼間の空についても、「LE BREIHORN」を除き、夜空と同様に黒ベタ塗りで表現しています。
 「LE BRETHORN」では、波打つような横線で空をすべて埋め尽しています。これは、ゴッホが短い横線で空を埋め尽くした表現と似ています。

 黒の夜空で思い出すのは、吸い込まれるような深い黒で表現された、鈴木春信の「夜の梅」です。

鈴木春信 「夜の梅」
出典:wikimedia commons, public domain

 これ以外にも浮世絵では夜空を黒で表現している例があります。

 しかし、このことをもってヴァロットンが日本の絵の影響を受けたとするのは性急です。なぜなら、日本の絵では、昼間の青空を黒一色にしたり、横線で埋め尽くす例はないからです。むしろ、空を黒にしたり、横線で埋め尽くしたのは、ヴァロットンやゴッホが考え出したことですから、夜空についても黒で表すことにしたと考える方が自然です。

 私は、ゴッホの記事の中で、広い空を空白(余白)にすることは、西洋人の感覚では耐えられず、黒や横線で埋め尽くしたのではないかと示唆しました。ヴァロットンの場合も余白の恐怖が働いたと考えてもおかしくはありません。

2)ー4 雲と霞について

 図2)ー3の右上のアルプスのユングフラウを描いた絵を見た時についつい目を凝らして見てしまいました。谷あいを埋める雲の形が、日本のすやり霞そっくりに見えたのです。
 しかしヴァロットンは他の絵では普通の形状の雲を描いているのでおそらく考えすぎでしょう

どこまで日本の絵の影響か

 以上、ヴァロットンの版画で、雨、太陽、空、雲、霞の表現についてみてきました。会場では特に日本の絵の影響についての解説はなかったと冒頭で述べましたが、展覧会の図録「ヴァロットン 黒と白」(2022年10月10日、㈱筑摩書房)の巻頭の、ヴァロットン財団主任学芸員のカティア・ポレッティ氏の評論の中に、日本の版画のヴァロットンへの影響について言及した箇所がありましたので、下記に紹介します。

 この時(筆者注:1893年3-4月のアンデパンダン展)ヴァロットンは10点の木版画を出品しており、そのうち6点は山岳風景であった。(中略)
 これら希少な木版画による風景画には、生き物がまったくおらず、ヴァロットンは冠雪した山頂、氷河、平原、雲、空、星といった自然の諸要素を、線とコントラストから得られるあらゆる可能性を活用して様式化することによって、崇高で手つかずの自然が生み出す荘厳を表現した。母国スイスを象徴するこれらの高山の頂きには、日本で富士山に寄せられる崇拝の念が木霊していたる。正に日本の版画が彼に及ぼした影響が、こうした装飾的な描写に図らずも現れ出ている。日本の版画についてヴァロットンは1892年に感嘆をこめてこう書き記している。「(・・・・)これから見るべきものは日本のものだ。何が不運かというと、本物の日本人というのは、どんなに凡庸な輩であっても、いつだって我々のうちで最も優れた者よりも上手くやってみせるというものだ」

カティア・ポレッティ 版画家フェリックス・ヴァロットン 「初めに線ありき」 
図録「ヴァロットン 黒と白」 17ページ

 ヴァロットン本人の言葉は、ゴッホ並みに日本に心酔していることが分かります。
 そのためか、今回紹介した雨のモチーフの採用と直線による描写、太陽の放射状の光線描写、空を横線で埋め尽くす描写は、ゴッホが素描で試みたことと一致しています

 ヴァロットン自身もゴッホと同様日本の版画を所有していたことを考えると似たような発想になったのかもしれません。(ヴァロットンが木版画を作成し始めたのは、ゴッホが亡くなった1890年の1-2年後ですから、ヴァロットンがゴッホの作品に影響を受けたとも考えられます。しかし、ゴッホの素描などは、ゴッホの無くなった直後は世に出ていないのでおそらくその影響はないと思います)

 以上から、カティア・ポレッティ氏が指摘しているように、西洋の線を多用する緻密な描写から、どんどん線を少なくして様式化し装飾的な描写に向かったという点で日本の絵の影響があったことは間違いありません。それに加えて、直線を用いた雨の描写、太陽の放射光の描写も日本の絵の影響と云えるでしょう。

 次回、その3では、黒ベタ塗りと白の対比、肖像画における線の引き算をとり上げます。

その3に続く) 

 前回の記事は下記をご覧ください。

 

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