神戸市・北区「うわの空美術館」”Over the Sky Museum" 訪問記
はじめに
本noteでは、これまで「線スケッチ」に焦点を当てて記事を書いてきました。
分類すると、1)「線スケッチ」の作品紹介(街歩き及び人物スケッチ)、2)「線スケッチ」の技法(手帳スケッチの技法も含む)、3)「線スケッチ」の視点での美術展鑑賞記、4)「線スケッチ」の視点にょる読書感想記になります。
最近の反省点は、当初気楽に書くつもりだった美術展鑑賞記と読書感想記がどんどん長くなるとともに筆が進まなくなったことです。
その原因は分かっています。私の場合、独りよがりな見方や推論をいきおいにまかせて書くことが多く、それらが読者を迷わせるのではないかと思い始めたのです。そこで最近はある程度裏付けを得てから書くことにしました。そのため調査に時間がかかるだけでなく、その過程まで記事に詰め込むので文章が長くなってしまったのです。
その対策として、思考の過程や調査途中の内容、あるいは思い付きやその他もろもろな内容を別に書くコーナー、すなわち雑記帳のようなものを設けることで防げるのではないか考えました。
そこで新たに《「線スケッチ」よもやま話》というコーナーを設けることにします。よもやま話ですから何を書いてもよいことになりました。
第1回として、先月28日(木)に訪問した「うわの空美術館」を取り上げることにします。
「うわの空美術館」とは
神戸市北区鈴蘭台の住宅街にある「うわの空美術館」は、館長の田島由美さん、学芸員の鍵山淳子(魔女メグ)さんの女性お二人が3年前に鈴蘭台の民家を購入し、地域密着型の美術館として開設したユニークな施設です。
美術館の内容は、図1の右側の欄に示しましたが、詳しい内容を知りたい方は下記のHPをご覧ください。
お二人とはかれこれ10年ほど前からの知り合いです。今回学芸員の魔女メグさんには長男夫婦のことで大変お世話になったので、そのお礼もかねて三年ぶりに訪れることにしたのです。
知り合った当時は魔女メグさんは神戸在住、田島さんは東京在住、私は東京在住と、接点は何もありませんでした。魔女メグさんと私は、確かブログの記事を通じて知り合いました(少し記憶は曖昧です)。
当時魔女メグさんは絵を描くすばらしさを多くの人々に知ってもらおうと「スケッチブック展」という活動を精力的に行っており、現在もその代表として活動を続けています。その活動に共感し協力していたのが田島由美さんで、そのつながりで田島さんとも私は知り合ったのです。
「スケッチブック展」は、通常の美術展のように額装して観客が離れて作品を鑑賞するという形式ではなく、プロ、アマを問わず絵を愛する人々が日々描いた様々なスケッチブックを提供し、会場の机や壁に無造作に並べたり貼ったりして来場した人が、直接手に取ってみることが出来、感想をポストイットに書いて気に入った絵のページに張り付けるなど、自由なスタイルをとっています。そして、日本各地を巡回するのです(現在、博多、神戸、名古屋、新潟、東京会場)。
現在までの10年間に80回近くも開催しています。詳しくは、下記URLでご覧ください。
「うわの空美術館」設立秘話:第2の人生への挑戦
さて私は「うわの空美術館」開設前に、3年間ほど関西の実家の親と同居し、東京の自宅と行き来していたのですが、その関西在住の時には、魔女メグさんとは、最初は神戸北野の古民家カフェ「あんカフェ」、その後「神戸市立海外移住と文化の交流センター」の共同アトリエで神戸および近郊のスケッチ仲間と一緒に毎週のように絵を描く集いを持ったことを懐かしく思い出します。
特筆したいのは、このスケッチ仲間は、性別も年齢も問わないのはもちろん、自分から言わない限り、その人が何の職業なのか(あるいはだったのか)プライベートの背景は知らないまま活動していたことです。
すなわち絵を描くという点ではまったく平等な立場ですから、大変心地よい人間関係なのです。
東京に戻った後、お二人が美術館を作ったことを聞き、当時そのような思いを胸に抱いていた”そぶり”はまったくみえなかったので、その大胆な行動に驚きました。
今回訪問するにあたり「うわの空美術館」を検索したところ、「radish style」というコミュニティ・サイトの記事が2番目の結果に出てきました。
その記事に美術館設立当時のお二人の気持ちがが載っており、その背景を知ることができました。
一言で言えば、子育てや家庭の世話が一段落したり、職場で定年を迎えた女性が、そのまま歳を重ねて老いるのではなく、第2の人生を勇気をもって自ら創り出した物語です(詳しくは上の記事をお読みください)。
私の母親の世代では考えられなかった行動ですが、確かに余生が男性より長いことを考えると、このように第二の人生を真剣に考える女性が増えていても不思議ではありません。
「写真と絵手紙2人展 ー妻紀代子を偲んでー 永木仁平」展
この美術館では、いろんな形態の活動をしているのですが、ギャラリーとして展覧会も当然行っています。私が訪れた時は、永木仁平さんの亡くなられた奥様との二人展が開催中でした。展示作品は、ご自身の長年撮影された神戸市北区を中心に撮影された写真で、奥様の作品は同じく長年習っておられた「絵手紙」です。展示風景を下に示します。
永木さんは当日在席されており、現在93歳でご高齢ではありますが、大変お元気で70歳代にしかみえません。
作品の説明を伺うことが出来ましたが、二人展をやるきっかけは何かの機会に「うわの空美術館」を知り、それ以来常連になったためだそうです。
奥様が亡くなられた現在、高齢な男性にありがちな家に引きこもることはせず、「うわの空美術館」で多くの人と触れ合う機会を持たれて活き活きとして過ごしておられるご様子です。
「うわの空美術館」がこの地域の人的ネットワークの中心としての役割を果たしていることを肌で感じることが出来ました。
お二人の近況
さて、田島さん、魔女メグさんの近況ですが、普段SNSを通じてほぼ普段の情報に触れているので久しぶりにお会いした気がしないのですが、お互いに近況を話すと、やはり新しい情報がありました。
田島さんは館長として美術館の運営に忙殺されていると思いきや、昔おじい様(ひいおじい様だったかかもしれません)が世界各地を巡られたあとを追いかけている最中だそうで頻繁に海外に出かけているとのこと(詳しくはお聞きできませんでしたが、大変ユニークな人物だったらしい)。
一方、魔女メグさんは最初に館内から和服姿で出てきたのには驚きました。お聞きすると知り合いの方からたくさんの着物を頂いたので着たところ、はまってしまい毎日和服姿でいるとのこと。
お茶もたてていただきました。
さらに、神戸を中心とする地域雑誌に表紙の絵を提供されたり、お二人だけでなく永木さんのような「うわの空美術館」の常連の人にもエッセイを投稿したりと、文章にも手をひろげられています。
第2の人生はますます充実しているようです。
帰り際予想外の作品に遭遇
時間も立ち、そろそろ退出しようと腰を上げ、ふと壁を見ると1m四方の大きさの絵が目に入りました。
聞くと魔女メグさんの最新作とのこと。驚いたことに具象画ではなく抽象画でした。魔女メグさんの抽象画はこれまで見たことがありません。しかもよく見ると筆によるペイントではなく一見プリント風なのです。
すると別の場所からA4サイズの大量の試作品が現れ、机の上にひろげられました。枚数にして30枚近く、急いで全てを拝見しました。印象に残った作品を図4に示します。
どのような手法で制作したのか尋ねたところ、これは版画のように彫ったものではなく、弾力のあるゴム(プラスティック?)の板に形のある物を載せ、その上からアクリル絵の具を塗った後、上から紙を重ねて押すと紙に絵の具が転写されるやり方だそうです。
やり方はYou Tube 上で見つけたとのこと(なお、その技法の名前とYou tube動画を教えてもらい、どこかに書き留めたのですが見つからず、残念ながらお示しできません)です。
もともとアクリル絵具の色は明るすぎて好きではなかったのだそうですが、紙を昔お父様がガリ版用に使っていた紙を使ったところ、アクリル絵の具の鮮やかな色が抑えられ、好みの色になったので面白くなり、いろいろ試している最中だそうです。
私も実はアクリル絵の具と透明水彩絵具がどちらが好みかと聞かれれば、透明水彩の方が好みですが、確かに見せていただいた作品では、セピア色の用紙に、適度に抑えられた絵具の色が抽象的な造形にとても似合っているように感じました。
私自身は、抽象画は観ることは好きですが、あくまで具象画しか描けません。魔女メグさんの実物を手元で見ると、この技法による色や抽象造形の魅力が直接伝わってきて写真では得られない感動を受けます。今後がますます楽しみです。
さいごに
参考までに魔女メグさんの制作活動、近隣でのアート活動、「みらくるスケッチ会」など楽しい風景が載っているインスタグラムを下記に紹介します。
なおこの記事では「うわの空美術館」の活動を地域密着型の面を強調しましたが、実は日本全国(いや世界も含めてもよいと思いますが)に開かれています。
展覧会だけでなく、いろんな利用の仕方があると思います。ご相談すればいろんな楽しい企画が生まれるかもしれません。
(おしまい)
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