自分の更新の話
僕はよく喋るタイプの人間だし喋るのが好きなんだけど、誰かとの会話って本当に一時的なもので1割も覚えてないんじゃないだろうか。
誰かに話すとなんとなく表現した気分になるけど、浅くて乾きやすいし、今みたいに文章で考えをツラツラと書く方がきっと自分にとって重要な気がする。
そう思って文章を書いているけれど、ここまで書くのに数分かかっちゃうくらい自分の考えを文字で表現することが難しい。
あんなに流暢に喋る自分とはまるで別人。
別人というと、常に別人になりたいと最近考えている。
というか、数ヶ月前の自分を振り返ると僕は完全に別人のつもりだし、みんなも別人になっているんじゃないかな。
いやいや、別人じゃないよ、何も変わってないよと言われたらその人とは多分馬が合わない。
僕の場合、昔の別人の自分が基本的には嫌いだし、別人の自分とは常にお別れをしながら勝手に自己認識を更新していってる。
久しぶりに話す友達に、俺ってこうじゃん?っていうと大体怪訝そうな顔で否定される。
僕からしたら昔の自分は別人なわけで、しかも嫌いな別人。
友達に思われている自分の印象が嫌いな人と同じ印象だったら悲しい気持ちになる。
前言っていたことと違うことを言うと、世の中はすごい勢いで否定してきて、認めてくれない。
過去の蓄積が今の人を表し、その辻褄に合うように振る舞わないと生きづらい空気がある。
本当は更新されている自分を、今の刹那的な瞬間の自分と対話してほしいのに、そうはいかない。
未来のことを話すのは難しいし小っ恥ずかしい気がするし、過去のことを話すのは簡単だから仕方がないのかもしれない。
僕はなるべく過去のことを話したくないので、自分を更新し続けたい。
自分を更新できないと、過去の蓄積でしか自分を表現できない人になってしまうのかな。
昔からずっと同じ友達といることは違和感がある。
自分は更新されていくし、友達自身も更新されていくわけで、その更新先の姿が真逆なんてよくある話。
人生の段階によって、その都度更新された自分が新しい人との出会いを見つけ、人間関係も更新していく。
人が一度に関係を持てる人間のキャパは決まっているので、別れたり出会ったり、薄めたり濃くしたりと調整していく。これが意外と難しい(僕は苦手)。
いつ繋がったかも覚えていない人と繋がり続けてしまうSNSは、人間関係の更新の障壁だと思う
一定の頻度でSNSのアカウントを乗り換えする人の気持ちが最近わかってきた。(前までは、新しいアカウントに変更してもこんなに自分と繋がろうと思ってくれてる人がいる!という承認欲求からくる行動だと思ってた。多分違うし捻くれた見方をしすぎ。この昔の自分も別人であり嫌いである。)
初めて文章を書いたので、とても疲れた。自分の更新の仕方とか、なぜ更新したいのか、もっと色々考えて表現したいけれど、それは未来の更新された自分に任せる。
もう文章も書かないかもしれないけれど。
自分の更新を受け入れて欲しい願望からツラツラ書いていたけれど、自分が人の更新を受け入れられているのかは全く自信がない。受け入れられる自分に更新していきたい。
こうやって文章を書いたのは、3日間だけ一生に生活した芸術家の方(謎)がとてもかっこよくて面白くて、自分もそうなりたいと思ったから彼の真似をしてみた。
そんな出会いをもっとたくさんしたいし、自分がそんな出会いの人になれたら幸せだと思う。
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