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【アンチからのひとこと!】 「おいしければ何でもいいじゃん!」を考える

こんにちは。

昔ながらの菜食ごはんで食肉の需要を減らしたい、「 和ビーガンLOVER」と申します。

ビーガンというと、否定的、
もしくは好戦的な態度で挑んでくる人が多い日本。

もうね、この手の方は、「どうにかして言い負かしてやろう!」「間違いを指摘してやる!」とやる気満々なんですよね…。

そんな場面に幾度も出会ってきた結果、私も学びました。

基本的にビーガンネタについて話すのは、ベジタリアンやビーガン仲間の人。
もしくは、考え方が違っても、優しく受け止めてくれる人間ができた人のみ!

そう思っているのに、たまに見誤ってしまうんですよね(泣)。

実は先日も、そんな場面に出くわしました。

できれば避けたいし、不毛な言い争いはしたくない。(建設的な議論はあり!)

ただこういう方の発言には、何かしら考えを深めるヒントがあったり、反論しているうちに自分の考えが整理されたりと、実は、ためになることもある。(めっちゃ前向き!笑)

そんな「アンチ・ビーガンのひとこと」から得た学びについて、お話してみたいと思います。

さて、今回のお相手は、仕事で知り合ったとあるシェフ。話しているうちに自然とビーガンの話になり、どうやら興味がありそうなご様子。

「このまま話して大丈夫かな?」と思いつつ会話を続けていると、徐々に…

「肉がないと、コースがしまらないんだよねー」(うん、なんとなく分かる)

「ビーガン本気でやるなら、マクドナルドつぶす気でやらなきゃ」(わー、こういう極端なこと言う人苦手…)

「ま、肉はおいしいから、絶対になくならないと思うけど。おいしければ、何でもいいじゃん!」(あ、ちょっと好戦的な態度…)

案の定、そこから否定的な意見のオンパレードで、即解散となったのでした。

まず私がひっかかったのは、「ビーガン本気でやるなら、マクドナルドつぶす気でやらなきゃ」という極端な意見。

物事を善か悪か、0か100かで捉える白黒思考の持ち主なの? まるで完全菜食を理由に肉屋襲撃を繰り返す、過激なビーガン活動家のようじゃないですか。

そして、「おいしければ、何でもいいじゃん!」という、考えることを放棄したセリフ。

しかしこの言葉が、私の学びを深めるきっかけになったのです。

「おいしいってなんだろう?」。

確かに、ビーガンになる以前の私は、お肉をおいしいと思っていました。特に赤味のお肉とワインが大好きで、月に何度も訪れる、お気に入りの焼肉屋さんもありました。

ところがいまや、まったく食べたいと思わないし、たまに食べる機会があっても、おいしいと感じません。

以前の私といまの私の差はなんだろう?

それは、お肉がどのようにして食卓に並ぶのか知ったこと。

特に、家畜のエサのために、途上国の人々の食糧が奪われているという事実。そのせいで飢餓に苦しむ人々がいると知ったことが大きい。

動物の命だけではなく、人間の食糧や地球資源を搾取してまで生産されるお肉に嫌悪感を抱いているほどです。

つまり、「おいしい」というのは、味覚で感じるだけじゃないんですね。

例えば、どんなにすごいシェフがつくった料理でも、みるからに不潔なお店で出されたら、おいしいとは感じません。

昔の給食のような、粗末なアルマイトのお皿で提供されても、おいしさは半減するでしょう。

食事の相手が苦手な人だったりしたら、料理を味わうどころではありません。

同じように、この食材はどうやって作られたのか? そう考えたときに、お肉というのは私にとって、罪悪感を感じる食べ物になってしまうのです。

例えるなら、「おいしそうだったから、隣の家から盗んできたんだよね!」「ぜひ、食べてみてよ!」と言われているイメージ。

おいしそうだったから、という理由だけで、人の家から盗んでくる倫理観のなさ。
味わう以前に、絶対に手をつけたくありません。盗品だと知っているのに食べてしまったら、私も盗人と同罪になってしまうからです。

まさにお肉も同じです。人間には、穀物や野菜、果物など、食べものの選択肢はいっぱいある。お肉を食べないと生きていけないわけじゃない。

ただおいしいから、という理由だけで、地球の資源を食い荒らし、途上国の食糧までも奪う倫理観のなさ。そして富める国が貧しい国を搾取する不公平な図式。このシステムに加担したくないのです。

これから、というかすでに、食を取り巻く不都合な真実は明るみに出始めています。もう、「おいしければ、何でもいいじゃん!」という時代ではありません。

食べるということは、飢餓やフードロス、環境破壊など、さまざまな社会問題を解決する手段でもあります。

そう考えると、料理人も昔のように、ただ、おいしいものを提供すればいい、というわけではないと思うのです。

くだんのシェフはスペシャリテとして、フォアグラ料理を出していました。

フォアグラは、イタリアやポーランドなど、多くの国で生産禁止になっています。

イギリスやオランダでは、すべての王宮料理にフォアグラの使用を禁止しています。

アメリカでは、フォアグラの販売と提供を禁止する条例が可決されたことも話題になりました。

理由は、フォアグラの生産方法が非人道的で動物虐待にあたるから。

フォアグラがどのようにして生産されるか、知っていますか?

フォアグラとは、ガチョウやアヒルを無理やり肥満にさせ、脂肪肝にさせたものです。人間でいうなら、生活習慣病です。

強制的に太らせるため、エサのあたえ方がとても残虐的なのです。クチバシに鉄のパイプを差し込み、胃の中に直接エサを流し込む。その量は、彼らの体の1/4~1/3という膨大な量です。これを、1日に2〜3回繰り返すといいます。

そんな長年続いていた生産方法にもついにメスが入りました。あまりにも非人道的すぎると、アニマルウェルフェアの観点から問題になったのです。

世の中の価値観が、徐々に変わりはじめています。

今までと同じように、ただ料理をつくるだけのシェフがいる一方で、料理人という立場から食の未来を変えよう、社会問題を解決しよう、と挑戦しているシェフがいらっしゃいます。

「おいしければ、何でもいいじゃん!」という言葉をきっかけに、そんな素晴らしいシェフの存在を知ることができました。

魚が激減している日本の漁業を救おうと動くシェフたちや、フードロスをなくそうと端材でおいしい料理を模索するシェフなど、取り組みは実にさまざま。

その内容はまだ別の機会に、ぜひご紹介したいと思います。

本日も、最後まで読んていただきありがとうございました。





























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