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福祉の話、ひさびさに。

頭の片隅にあったこと

福祉のおもしろさはどこにあるんだろう。それを漠然と、頭の片隅に置いて働いていたと思う。

大学生の頃は、お爺ちゃんお婆ちゃんの困りごとを解決したくて、生きがいを作りたくて活動してきた。

そもそも動き出した時に、それを「福祉」と思ったことはなく、人に「鷲谷くんのやっていることは福祉やで」と言われ、そう思うようになった。

そんな感じで福祉的な活動をしてきたぼくは、福祉についてよくもわからないまま、制度の外側から、内側の仕事をするようになった。

外側から内側に来たのは、ぼくにとっては大きな変化で、制度という縛りのなか、ぼくにできることをする。そこで感じたこと、変わること、変わらないこと、さまざまあったと思う。

言語化はしてきていないが、でもうっすら。どこかで福祉のおもしろさを探しながら、日々を過ごしてきたことは確かだと思う。


やりたいことを手放して

「好き」は仕事にしない、やりたいことはしない。

常に、そこで、その地域で、生まれる課題や困りごと、人の生きづらさに対して、自分ができることを見極めて、取り組む。それが大切だと思う。

"福祉をやりたくてやる" ここには少しだけ違和感を感じる部分もあって、ぼくは人の課題に出会いたくない。

なるべく生きづらさや困りごとがなく、日々を生きれたらいいし、あってもそれらが自分のコミュニティで解決できれば一番。

ぼくや福祉の関係者は"お役御免"がその人にとって一番いいんじゃないかな?と、ふと思うときがある。

でも、世の中そんなに上手くできていない。人が生きてれば、生きづらさや困りごとは生まれる。しかもそれは時代と共に多様化し、制度や枠組みが追いつかない範囲で変化しているようにも見える。

そんなときに、自分の目の前に現れたもの。それとぼくはどう向き合うか。

自分を捨てて、相手のことを考えて。でも偏らないように、それがその人のためであり、社会のためにもなるように。色々な人の話を聞き、考えを知り、方法を探し、取り組む。

福祉とぼく。元々やりたかったかというと疑問。出会ってしまったもの、そして逃げれなくなったもの。

だったのに、どこからか"やりたくなり"、そこにエゴや社会を変えたい謎の鷲谷が現れ、色々なものが崩れた。

でも今は?

課題から逃げつつ、出会わないように、触れないように、そっといたのに、目の前に現れた。

ならやらないと、自分ができることを。

なんか似た感じ?大学2年の6月と似た感じ?

受け身で、仕方なく。
でもやるならみんなで、おもしろく。

少しだけ思い出した初心?
また帰ってきた同じ場所に?

わからないけど、出会ってしまったら、逃げらんないよなぁ。。

やるならみんなで、おもしろく。
誰かのために。それが生きるってことだから。

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