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彼女は存在しない/浦賀和宏/幻冬舎文庫

※注意※
この記事は私の感想なので口調や言葉遣い、あまり気を使いません。
文章も考えて打ちません。読みにくいでしょう。
そして見ている貴方の、好きなものを否定するかもしれません。
私は私のためにこれを書いているので、ごめんなさい。
それでもよろしければお暇つぶしに眺めてください。





この本の作者さん、ちょっと前に亡くなってしまったそうで。
私はこの本が好きだと思ったから、まあそこそこに悲しかった。
ちょこちょこ好きになる作家さんがすでに亡くなっていたり、亡くなってしまったりするので
なんというか普段の生活の中のちょっとした癒しとか楽しみとかが私の人生から少しなくなった感じがして結構に悲しい。
はあ。

この本以外は読んだことないのだけど、
私の好きなメフィスト賞に入った本があるそうなのでそれをいつか読もうかしら。
はあ。




まあ仕方ない。
この本、「彼女は存在しない」なんだけども、
とても面白いんだけどあらすじがすごく書きにくい気がする。
何をする本、っていうのがあんまりはっきりしている気がしないからかな。
そして読んでる途中にすごい頭がこんがらがる。面白いしだからこそだとも思うのだけどね!



あらすじとしては、
主人公のカナコは彼氏のタカハルと横浜駅で待ち合わせをしているのだ。
多分、おそらく20歳くらいでそこそこちゃらっとしているのかなあ。

オービタルのハルシオンを聞きながら駅前で待っていると
全然知らない、歳の近そうな女の子から声をかけられるのだ。
「あのぅ、失礼ですけど貴方アヤコさんではないですか?」と。


もちろんカナコはそれを否定するのだけど、
歯切れ悪く、でも、だってと相手の女の子はもにゃもにゃ言っている。
なんだこいつは、違うと言ってるのに、と悪印象な感じのカナコ。
そこへタカハルが待ち合わせ場所に来てその場は終わるのだが、
映画デート(トイストーリー2を見たらしい)をしてタカハルと再度駅前に顔を出してみるとまだその女の子はいた。

しかもなんだか不良に絡まれている。
そこそこにカナコは気が強い性格なのでタカハルの力も借りて不良達の絡みを振り払い逃げることに成功する。


逃げた後の場所であんなところに、あんな時間にいたら危ないじゃないとカナコは親切にお説教をしてくれるのだが、
それでもその女の子、ヨシコ(由子だからユウコなのかな、でも登場人物女性みんな三文字だから三文字の方が語呂がいい気がする)はまだもやもや…

そしてやっぱり貴方、アヤコさんだから助けてくれたんですよね?なんて言っている。
ちょっとうんざり。


カナコがうざいなあなんて言っていると、
ヨシコは家に帰りたくない、家に居場所がないだなんて言い出す。
それを聞いてカナコはそりゃそんなもやもやする性格なら学校とかでもいじめられてるんだろうななんて考えたり。
そう思っているとタカハルが家に帰りたくないならうちにくれば?なんて言い出した。いくらなんでもひどい。

第一に私とタカハルって付き合ってるし、
しかもやってることはさっきの不良と変わらないじゃないか。
遊びに行こうぜと直接言ってないにしても家にくればなんて…

と怒り心頭。
ぷりぷり怒り出すも結局ヨシコの事もタカハルの事も止められず、
三人でタカハルの家に泊まることとなる。

まあ、そこで何事もなく朝を迎え、
カナコが起きるとヨシコは二人に声をかけず、
置手紙だけを残して家に帰っていた。

ちょっとだけ一安心、だって中々にトラブルがありそうな人だったから。
一応タカハルが起きた後に本人に、
あの子なんか怪しかったし、何か盗まれてるんじゃないの?なんて言ってみると、
タカハルのガラクタコレクションから蛍光緑色のダイバーナイフがなくなっていることだけがわかった。



というのがものすごい序盤の起承転結の起とかだと思う。

もちろんこの後にひょんな事から三人でご飯に行ったり、
ヨシコが誰かにつけられているかも…なんて不穏な事を言ったり、
時折自分は記憶がなくなってしまい、気づくと朝からいきなり夜になっていることがあるなんてこともあったり。

そんな事が続いたせいでヨシコって悪い子じゃないのかもしれないけどなんかめんどくさい、何かの病気とかなのかしら。なんてカナコは思ったりするなんて話があるんだけども、
最後まで読むと全てが伏線というか、なんというかになるのでここが起だと私は思う。




そしてこの後にタカハルは何者かに殺されてしまうのだが、
刺殺された上に、
なくなったダイバーナイフからカナコはヨシコがやったんじゃ…?
なんて思うのだ。
しかもヨシコは自分で自分じゃないときがあるかもしれないなんて事をカナコに言っていたし、この上なく怪しい…なんて。


そして同時進行で"アヤコ"の兄であるネモトが妹が多重人格、
つまりは"アヤコ"が多重人格であることを知る。


ヨシコは記憶がなくなっている時間、なにをしているのか。
タカハルは誰に殺されたのか、
"アヤコ"とはだれなのか。


っていうのを読む話だと思う。多分。
我ながらものすごく説明下手だねこれ。笑
全然意味書けてなさそうな感じ。悲しい。





基本的にカナコと、ネモトの二人の視点で物語が進んでいくので
時系列がばらっとしているときがあるし、
もちろんちょくちょく視点が変わるので読みやすい分すごく頭がこんがらがる。

そしてさっきも書いたが、多重人格ものなので嫌いな人はすごい嫌いなんだと思う。
私はそうは思わないけど、推理が好きな人には多重人格ってリアリティがないようなので嫌われる、らしい。多分。
私はとても好きだけどね。






感想としては、なんだけども。
この世にいなくていい人間なんていないんだよ、という趣旨の寒い言葉があると思うんだけど、
合法的にというか、絶対的に、
この世に存在してはいけない人間が書かれているのがとても悲しかった。


ものすごいネタバレというか、最終的な種明かしとして、
カナコは多重人格の、主人格ではない一人にすぎなかった。
結構なページ数一緒に生活を共にしていた1読者だった私はカナコが生活してはいけない事にとても悲しみを覚えたのだ。


そりゃそうだ、
ただの20歳の女の子で、音楽が好きで、ちょっとだらしないタカハルの事を嫌だなあなんて思いながらも音楽の趣味は合うし面白いしいっかと、
普通の女の子のような、どこにでもあるような判断で生きてきていたのに、
自分の好みも記憶もすべてが偽物で、
積み重ねてきていたはずのものが突然それは幻だよなんて言われたら、
自分はどうだろうなんて思うのだ。

それはとても切ない。

どうしてかって、
今こうやって文章を書いている自分も、音楽を好きな自分も、
歌を録音したりしている自分だって本当に今ここに存在しているかなんてわからないからだ。
毎日なんとなくみんな生きたり、話したりしているけれど誰も自分がここに生きている、いることなんて証明できないのだ。
もっと言ってしまえば、私が友達、知り合いだと思っている人だって、
本当にもしかしたらコールドスリープとかしている私の頭の中の幻想かもしれないのだ。

おかしなことをなんて思うかもしれないが、否定できるのだろうか。
科学的にそれはできません、というのはもちろん証明できるかもしれないけれど、今この次元にこの人は存在していますっていうことを言えるのだろうか。

と、思うのだ。
そんな悲しいことはあるかと思う。


これは悲しいだけど、ものすごく切ないのだ。


思い出すと、なにも思い出せない。
カナコの相手をしていたはずの医者も、両親の顔も、
カナコになってから本当に会ったタカハルや浦田先生や、ヨシコとか。
それしか記憶はないはずなのだ。本物の記憶は。



だから、カナコが刺されてしまうところは。というか、
記憶をたどるところや、
トイストーリーのバズライトイヤーが自分をおもちゃだと認識していないのがとても滑稽だったけど、それは私だったと思っている部分とか、
全てがさみしいし切ない。

でも、現実的に考えたら、
恋人を殺されて親に凌辱されていたネモトの方がきっと可哀想なのだ。
きっと。

こうまでして全てを終わらせなければならなかったネモトもとても悲しい、
両親がだめになったから妹を大事に、
おじさんがクソだから妹を大事に、
その結果、というか、
妹を守ろうと、優しくしようとした結果がこれって、救われないよな。



カナコに狂ってるのはあんた一人だけでしょう、
と言われたネモトはどんな気分だったのだろう。
発狂して、皆殺しにでもできらたらもっと、すっきりしたのだろうか。

本人もそう書いていたが、
ネモトの経験をしたら、狂ってしまっておかしくなれた方がきっと楽だよな。ととても共感する。


この本の終わり方はものすごく救いがないのだ。

カナコが死んだのかもわからないけれど、
助かってもきっともう、カナコは出てこれないんじゃないかとも思うし、
死ななくてももう誰にも会えないのだろう。
記憶が飛んでしまって、一生入院するだけになるのだろうか。


最後、浦田先生に告白するところも嫌いじゃない。
あれはただカナコは普通の、20歳の恋多き女の子なだけだと思うからだ。
その日その日を好きな人と過ごして、将来なんていつかどうにかなるという女の子だったのだっていう感じが、さらに切ない。

見方によってはタカハルはもういいんかーーーいって思うけどね。
多分、そういう意味なんじゃないかなあと。



オービタルのハルシオンを、
私は聞いてみたんだけどとてもカナコらしかった。

私はこの本、以前も読んだことがあって今回が二回目だったからこそ、ちょっと内容を考えるのに余裕があったから曲を聞いてから小説を読んだりしていたのだ。


オービタルなんて初めて聞いたけど、
他の曲はわりと優しめだったのにハルシオンだけちょっと、MVも含めて怖かった。なんじゃこれって感じ。

でも、カナコの存在を表すとこの曲になるのかしらなんて思った。
ループしていたらどこが切れ目かもわからないような曲で、
途中から一体自分は何を聞いているのかと思うような、
一種のトリップに近い現象が起きていたのだろうか?あれを聞いて。カナコは。


小説の冒頭、
私が彼女と向き合うたびに思い出すのは、オービタルのハルシオンと夕方の横浜駅、そしてタカハルのバズライトイヤーだ。

っていうのがある。
まあ、この感じを見るにあの悲惨な最後を迎えたあとカナコはアヤコに戻ったのだと思う。
戻ったというか、アヤコはカナコを認識したのだろう、と思う。

入院先か、どこかで。


この悲し気な文章も相まって、
オービタルのハルシオンは私にとっても夕方の曲というイメージだ。
悲しくて怖い曲って感じ。ひとりぼっちのような。


オービタルは多分、聞くかわからないが、
ハルシオンはずっと忘れないと思う。カナコの気持ちになりたいときに聞くんじゃないかなって。自分が。

そんな感じだ。
最近本を地味に買い込んでしまったから次は何を読もうか、中々悩む。


さよなら。おわり。


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