早稲田卒ニート67日目〜終わりの時の不確実性〜
時間があれば持て余し、時間が足りなくなると焦り出す。今やるべきことは後回しにし、後からでもいい様なことを先にやる。こんなことを昔から続けたまま今に至る怠惰だが、どうしてこうも正せないものか。本当は、次の仕事を手につける段取りをこそまずはすべきなのであるが、それをサボり、いずれ住むだろう横浜の賃貸物件を調べてばかりいる。そんなこと後でやればいいのに。とにかくそう合理的には行動できないらしい。
しかし、こうした時間との戯れができるのも、結局は私の生活の安寧を意味しているのである。もし差し迫った状況に立たされれば、私たちは後先を悠長に考えてなどいられず、ただ目の前の時間のみを全てとして生きるしかなくなるだろう。しかしそれこそが、時間と私たちとの一体化であり得るのかも知れない。時間が余ることも足りなくなることもない。私は、時間と等身大の関係を生きることになるのである。時間が、漠然と広がったイメージでも対象化された数値でもなく、確かなリアリティを持った存在として私に沁み入ってくる。
いつだったかFacebookに流れてきた動画を何の気無しに眺め始めたところ、冒頭でいきなり心掴まれ、一気に食い入る様に見た。それはある少女であった。涙ながらに、「1分1秒を大切にしてほしい。死んじゃってから後悔しないように」と言ったのである。その少女は重い心臓病で、「5年後10年後の姿は想像できない」と既に医師から告げられていたのだった。しかし私が惹きつけられたのは、彼女の悲痛な状況ではなくむしろその言葉使いであった。彼女は「1分1秒を大切にしてほしい」と言った。こんな時に自己願望を垂れず、「ほしい」という他者願望を発したのである。そしてその両親も、「残り長くはないかも知れないけど、彼女の願いを一つずつ叶えてあげたい」の様なことを言った。これもまた、娘に対する他者願望である。私はここに、相互的他者願望の純粋な美しさを感じた。この時、少女も両親も互いに、時間が余るとか足りないとかではなく、まさに目の前の時間だけを全てとした、時間と等しい大きさの人生を生きているだろう。今この瞬間の積み重ねだけが、私たちの全てなのである。
(記憶を頼りに探したところ、YouTubeで動画を発見した。)
人には余命がある。それは何も医師から宣告されなくたって誰にでもあるのである。ただし、それがどれだけ残ってあるかはわからない。それに、たとえ医師から宣告されたのだとしても、その時刻ピッタリに死ぬとは限らないのだから、やはり命の期限は誰にもわかりはしない。しかし、この「わからない」ということが重要なのである。
しからば、大量の人間に同時に死を与える戦争は、人類の存続を危険にさらすものとして拒絶すべき道理である。
この死者の時の不確実性を、時折思うことが昔からある。両親はどちらから先に死ぬのだろうか。その時、残された方はいかなる状況に立たされ、いかなるメンタリティになり、いかにして己を保つのか。果たして、アイツと俺、どっちが先に死ぬんだろうか。俺がアイツの葬式に出るのか、それともアイツが俺の葬式に出てくれるのか。そんな「アイツ」が何人かいるわけだ。
また、「生涯の伴侶」という言葉使いがある様に、個としては分離していても、それらがほとんど一体となって存在しているのが夫婦という関係のひとつのあり方であろう。故・野村克也氏が、奥さんであるサッチーこと野村沙知代氏の死後、急激に老衰した様に見えたのを覚えている。人間は自分の時間と一体化して生きているが、伴侶という一体化した存在を持つ人は、その伴侶の生きる時間ともまた一体化して生きているだろう。自分の時間と伴侶の時間、二重の時間性を生きるのである。すると、伴侶の時間が死の時間に切り替わった時、自分の生きる時間からもまた生命が朽ち果てた様な気分になるのも無理はない。
慶應の学生時代に『夏目漱石』を発表し文壇に衝撃を与えた江藤淳も、そんな時間を生きた人であるかも知れない。41年間連れ添った妻の異変。自分にのみ伝えられた妻の本当の病名と余命。「末期癌、早くて三ヶ月、遅く見て半年」であった。いよいよそれを妻に「告知」することなく、妻との最後の半年を過ごす。妻の死後の段取りを諸々終えた後、今度は病が自分の肉体を蝕む。それがひとまず一段落したところで書いたのが、『妻と私』である。
この「あとがき」は1999年5月13日に書かれ、『妻と私』は同年同月に「文藝春秋」に発表された。そしてその2ヶ月後のことである。江藤淳は、妻の後を追う。浴槽で手首を切った。死因は水死である。
「自分が意味もなく只存在している」と書かれていたあとがきを思い出さずにはいられまい。自分を襲ったあの「異様な感覚」を振り払うために、江頭淳は文章を書くことで自分の存在に意味を与えようとしたのではあったが、最後は、「形骸」に過ぎなくなった自分に、自分でケリをつけたのである。自分が形骸に過ぎないとは、一体どれだけの喪失、虚無、倦怠、無気力の最後を過ごしたのだろう。妻のいない時間を生きることは、もはや生きることを意味しなかったのかも知れない。僕らは自分が思っているほど、自分の足では立てないものなのだ。
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