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【#Real Voice】 「私がサッカー選手を辞めてマネージャーになったわけ」 2年・平山怜央

まずはこのタイトルを見て、きっと何か深い理由があるのだろうと思ってこちらを訪れてくれた方もいるかと思います。ごめんなさい。私はそんなにカッコいい人間ではありません。
 
 
「逃げたから」
 
 
これが私の答えです。
 
端的に言えば、
 
「早稲田でサッカーをする自信がなかったから選手を辞めた。でも本気のサッカーから完全に離れることができず、ア式のマネージャーになった。」
 
これです。とても恥ずかしい理由です。
もっと恥ずかしいことは、私自身この気持ちを、最近になってやっと、受け入れられるようになってきたことです。正直まだ認めたくない自分もいて、葛藤しながら今部員ブログを書いています。はっきり言ってダサいですよね。
 
 
初めまして。本日部員ブログを担当させていただきます、2年マネージャーの平山怜央と申します。昨年のこの時期はまだ本入部をしていなかったので、今回が初めての部員ブログとなります。実は今回話すことはチームメイトにもほとんど話していないような内容です。私に対する見方が変わってしまうのではないかと少し怖い気持ちもありますが、「心の内」をさらけ出すのがア式の部員ブログです。腹を括って私も正直な思いを綴ろうと思います。
 
 
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サッカーをやめると言った時の父親の寂しげな顔を今でも忘れることができない
 
「これで良かったんだよな」

東京に向かう車の中、運転する父の背中を見ながら、私は自分自身にそう何度も言い聞かせた。
 
 
サッカーを始めたのは5歳の時。昔、プロ選手としてJFL(今で言うJ2の位置付け)でサッカーをしていた父親の影響である。私は父ほど優秀な選手ではなかったが、それでも高校までの14年間本気でサッカーに打ち込んできた。
 
高校は愛知県内では強豪にあたる刈谷高校というところでサッカーをした。底辺からのスタートだったが、3年時には、Aチームに昇格し、スタメンで出場し続けた。高校でやり切ろうという気持ちで全国だけを目指し練習に励んだ。しかし、引退をかけた選手権予選は県ベスト8敗退。自身も最後の試合は足をつって途中交代となった。とてもやり切ったと胸を張って言える結果ではなかった。

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だから早稲田大学に進学が決まった時、正直、どうしよう…と思った。
サッカーを続けるなら、本気でできる環境でやる。それができないならサッカーから完全に離れる。それが私の思いだった。そして、早稲田のア式蹴球部が一般生にも門戸を開いていることを知った。自分にも挑戦する権利があるということだ。でも当時の私はなかなか挑戦する気になれなかった。ア式は全国トップレベルの強豪校。とても私が入って戦っていけるようなレベルではない。そう思った。俺には無理だろうな… 入っても辛い思いするだけだろうな… それが私の見解だった。それでもやはり部活動への未練はある。
 
最終的な答えを出せずにいる間に緊急事態宣言が発出。ここで一度完全にサッカーから離れることになった。サッカーのない生活。これが私には思ったよりキツかった。心にポッカリ穴が開いた感じ。こんな状態がしばらく続いた。そして気づけば、何度もア式のホームページやSNSを訪れ、睨めっこを始める自分がいた。
 
そんな中でふと目に留まったのがマネージャー募集の文言だった。サッカーを続ける意思が揺らいでいた、というかア式でサッカーをする自信がなかった私には、このマネージャーというポジションがなぜだかとても魅力的に見えてしまった。本気でサッカーをする組織に所属し、サッカーに関わりながら活動を続けることができる。言ってしまえば、絶好の妥協点を見出したというわけだ。そこからはマネージャーじゃないといけない理由しか考え付かなくなった。「自分の新たな可能性を見つけられそうだな」「サッカーをやめることはそもそも勇気ある挑戦だよな」「自分の性格的にマネージャーは絶対あってるよな」…
 
「高校でサッカーはやり切ったよな」

しまいには、そう考えるようになっていた。
 
ア式でマネージャーをすることを決めた私は父親にこのことを伝えた。父はこの選択を応援してくれた。「レオにはマネージャーもすごく合ってると思うよ」そう言ってくれた。しかし、それが父の本音でないことぐらい私には容易に読み取ることができた。それでも、当時の私にはその言葉をありがたく受け取って前に進むことしかできなくなっていた。
 
学校は全面オンライン授業だったため、私は部活を始めるために愛知から上京することになった。一人暮らしに必要な荷物を全て車に乗せ、まだ辺りが薄暗い早朝、私は慣れ親しんだ実家に別れを告げた。
 
運転席のドアを閉める音は心なしかいつもより弱々しかった。
 
 
ああ、俺は逃げたんだ。
 
入ってみて驚いたことは、ア式には決してサッカーのエリートばかりがいるわけではないということだ。実際に私の同期には、無名高校出身からア式に入部した人、サークルを経て、3年生になってア式に入部した人など、様々なバックグラウンドを持った選手たちが集まっている。
 
これは強豪校には珍しい特殊な入部制度と学生主体の組織運営を行うア式だからこそのものとも言える。入部の判断は4年生や監督をはじめとする社会人スタッフが中心となって行う。その年の基準に基づき、サッカーの技術だけでなく、熱量やビジョンなど人格的な部分も含め、総合的な判断がなされ入部が決まる。
 
しかし、注目すべきはそこではなかった。彼らは毎日確実に「成長している」のだ。現に私が在籍している1年の間に彼らは信じられないほどサッカーが上手くなっている。
 
なぜか?
 
それは、彼らがほかでもない「自分自身」と向き合い続けていたからである。どれだけ周りに技術的な面で劣っていようとも、どれだけ周囲から厳しい目を向けられようとも、そんなこと彼らには関係なかった。彼らはただ、目を背けることなく己と向き合い続けるだけである。昨日の自分を超えるために。
 
 
「逃げた」
 
 
そう認めざるを得なかった。
大好きだったサッカーを続けるか続けないか。その葛藤以前に自分と向き合うことから逃げた、自分の本音から目を背けた、人生の勝負から逃げた、そう感じた。
 
そして、少し前の自分に問いかける。
ランテストで何回落ちようと挑戦し続ける覚悟はなかったか?チームの中で一番下手くそでも必死に食らいつく覚悟はなかったか?どれだけ周りに笑われようと努力し続ける覚悟はなかったか?
 
 
でも、勝負から逃げた弱い私が、そんな事実を簡単に受け入れられるわけもなく、そのまま逃げ続けた。どうしてサッカーを辞めたのかと聞く周囲には、「サッカーは高校でやりきったから区切りをつけようと思って」とか「自分の新しい可能性を見つけたくて」そう話して回った。そう繰り返すことで、必死に自分を信じ込ませようとした。
 
しかし、自分に嘘はつけなかった。
 
マネージャーとして選手のボトルに水を汲む時。
人手が足りず、副審を手伝う時。
試合を見ながら公式記録を取っている時。
 
こうしている間にも選手は私の目の前で成長を続けている。進化を遂げている。
毎回そんな気持ちになった。
 
悔しかった。情けなかった。自分に腹が立った。
「お前はここで何をしているんだ」と。
 
焦った私は、なんとかやりがいを見つけようと、仕事をたくさん引き受けた。
確かにやりがいは生まれた。人から感謝されることも増えた。でもそれで私の心が満たされることはなかった。なぜなら私は「逃げた」から。
 
 
完全に自分を見失った私は、ア式にいる理由を見出せなくなっていた。
 
もうチームの勝敗に一喜一憂することさえもできなくなっていた。
 
そして今日もまた布団の中で考える。
「お前は何のためにここへ来た」
 
 
逃げるのはもうやめだ
 
やめる理由ならたくさんあった。
 
でもなぜだろう。グラウンドには行けてしまう。
どんなにきつくても体調を崩すことはなかったし、病んで引きこもることもなかった。
なぜ、続けられるのだろうか。
その理由がずっと私にはわからなかった。
 
当然、仲間や家族の存在は大きい。最近では私の仕事量を気遣って、助けてくれる同期もたくさんいる。遠く離れた家族も常に私を応援し見守ってくれている。しかし、あくまでそれは外的要因。なんせ私は勝負から逃げた弱い人間だ。彼らの支えだけで続けられるほど強くはない。
 
だったらなぜ…
 
 
「逃げた」という事実をほんの少しずつだけど受け入れられるようになってきた今、なんで私がマネージャーを続けるのか、その理由が少しわかった気がする。その答えは至ってシンプルだった。
 
「もう逃げたくないから」
 
マネージャー業が楽しいか、楽しくないか、ア式の活動が充実しているか、いないか、
今の私にはそんなことどうだっていい。
 
大事なことはただひとつ、絶対に逃げ出さないこと。
 
自分の選択から目を背けないこと、4年間をやり切ること、そしてその先もずっと逃げないこと。
 
 
覚悟は決まった。
 
「逃げた」という事実、その重い十字架を背負い続け、今後も強く生きていく。
 
 
私はもう逃げない。

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おわりに…
 
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
誤解のないように言っておきますが、私は完璧主義で負けず嫌いな人間です。人に弱みを見せることをとても嫌います。
だから今回、本当にこの内容で書くべきかとても悩みました。
やっぱり周りにはカッコよく見られたいし、充実してるって思われたいからです。
でも、ここで逃げたら、これ以上前には進めないと思い、覚悟を決めて書きました。
この文章を見た人が「もうちょっとだけ逃げずに頑張ってみようかな」、そう少しでも思ってくれたのならば、私は幸せです。
 
 
最後に、私が生きる上で大切にしている言葉を皆さんにも紹介して終わろうと思います。これは中学時代のサッカー部の恩師が私に教えてくれた言葉です。
 
自戒の念を込めて。

「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。
 そこでやめたらどんぐりの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには、
努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」
 
桂小金治(落語家)



平山怜央(ひらやまれお)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
出身校:刈谷高校

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