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「変化と不変」 2年・中村亮介

大学生になって東京に来た時、高いビルを見上げながら歩いていたら、親に田舎くさいからやめてと言われていたが、最近は高いビルもあまり気にならなくなってきた。人混みも香水臭かったりするから極力避けていたが、今ではその香水も鼻が狂ったのかいい匂いかもしれないと思うようになってきた。自分も少し東京に馴染めたのだろうか。

「適応」
人間は適応を繰り返している。進化でも退化でもない、適応というのがふさわしいだろう。人類全体を見て言えば、文明の発展に対して人間の構造と思考は適応を重ねている。実際に現代に生きている我々と1000年前の人々では価値観は大きく異なる。我々の中ではこの暮らしが当たり前になっているが常に変化していることを忘れてはいけない。今年のコロナによっても価値観は大きく変化している。今では街でマスクをつけていない人間は犯罪者のような目で見られる。
個人も常に周りの環境に合わせて適応をしている。自分の話で言えば、小さな田舎の小学校から静学に入学する過程で、そしてそこからア式蹴球部に入る過程で、組織ごとに異なるルールや周りの人間の価値観に適応しようと自然と努力をしてきた。最初は異常だと思っていたことでも、だんだんそれが当たり前になり、そのうちにそうでないことが気に障るようになる。高校の寮の時もそうだった。最初はボロボロ過ぎてやばいと感じていたが、住めば都と感じるようになり、3年の時には廊下に蜘蛛の巣が張り巡らされていることすら気にならなくなっていた。今考えると異常である。

「価値観の幅」
人間は育ってきた環境によって当たり前や普通の価値観は異なる。自分の近しい友人はサッカーをしてきた人がほとんどで、同じ境遇を経験していることが多い。さらに自分は中学から大学まで私立の学校に通っている(家族には感謝しかないです)こともあって、周りに裕福な家庭で育った人が多い。その影響もあってか、これまで自分が恵まれていることは頭ではわかっていたが、あまり意識することはなかった。しかし、大学生になりアルバイトを始めて、全く異なる背景を抱えた人と関わる機会ができた。同僚と会話している時、1人に「君は恵まれているからそんなことが言えるんだよ」と言われたのだが、自分にとってはかなり衝撃的だった。自分がこれまで皆が感じていると考えていたことが、異常であることを突きつけられたのだから。19年間で見てきたものは、この世界のほんの一部でしかないと痛感させられた。もっと視野を広げる必要がある。

少し話は変わるが、人は変化には敏感だが、変わらないものには目がいかない。でも、変わらないものの方が重要である場合が多いように感じる。適応を重ねる中で自分の中の多くの変化を感じてきた。しかし、自分の変わらないものとは何だろうか。この答えは自分の中でまだ明確ではない。この問いの答えこそが大学生活で見つけるべきものなのかもしれない。



中村亮介(なかむらりょうすけ)
学年:2年
学部:人間科学部
前所属チーム:静岡学園高校


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