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【#Real Voice】 「サッカーを通じて」 4年・川野秀悟

いつぶりだっただろうか。
 
誰かから「頑張れ」と言われたのは。
とても短く、凄くシンプルで、抽象的な言葉だと思う。
それでもその言葉に勇気づけられた。


「悪循環」

サッカーを始めて16年目。これまでいろんな経験をしてきた。
 
全国大会でベスト8を経験したり、プロの練習や練習試合に参加したり、目立った結果を得られなかった時でも仲間と勝利を分かち合うことに大きな喜びを感じてきた。サッカーを続けていくごとに自分のプレーを見てくれる人が増えていくことを感じ、人が喜んでくれる姿に自分自身も喜びを感じるようもなった。
でもそういうポジティブな経験だけではなかった。
 
父の転勤で別れを経験し、チームが変わる経験もした。心無い言葉に挫折しサッカーが嫌いになりそうな時期や、自分よりもレベルの高いチームメイトと切磋琢磨する中で劣等感を感じる日々も経験してきた。
 
そんな過去があっても、今年はこれまでで一番と言っても過言じゃないほど、辛く、きつく、苦しい時期を過ごしてきたと思う。
 
今までにないくらい小さな怪我を繰り返し、短期間であったが離脱も2回経験した。復帰間近になっても走れなさ過ぎて復帰が遅れるなんてこともあった。自分の弱さが露呈した。でもそれだけではなかった。
プロサッカー選手という夢を諦めた僕は就職活動に臨んだ。しかし結果は悲惨だった。満足いく結果じゃなかったとか言えるレベルすら及ばなかった。
よく就活の際に面接で落とされても否定されたわけではないよと言われる。その言葉の通り否定する必要は全くない。でもその時の自分は不覚にもそれをせざるを得ない状態だった。
 
自分がこれまでやってきたサッカーは何だったのか?
何のためにサッカーに取り組んできたのか?
過去に対する問いを自分自身に問いかけては、そこに自信ある回答を見出せなかった。
 
これから先どんな自分になっていきたいか?
この先の人生でサッカーをどう活かしたいか?
サッカー選手としてのラスト1年をどうしたいか?
何十年も先の人生をざっくりと思い描こうとしても、近くにある未来をリアルに捉えようとしても、自分自身の中でピンと来る何かを見つけることはできなかった。
 
これまでもこれからも見失っていた。
 
だから、残り少ないサッカーができる生活を大切にするのだとどんなに意気込んだ中でも、1試合1試合勝負がかかった試合に勝利し喜ぶ中でも、どこか心の中に穴が開いた感覚があった。そして練習後にグラウンドに残ってトレーニングに励んでも、それを終えると空虚な感情だけが自分の中に残り、何でこんなことやっているんだろう?と自分自身を疑い、明くる日も惰性で練習後のトレーニングに取り組む最悪な自分がそこにいた。気持ちの問題と言えばそこまでかもしれないが、自分にはこの状況を自分で変える力はなかった。
 
その時の頼みの綱は、自分の心の底にある負けず嫌いだけだった。自分の素性が意地悪く現状に抗った。ここで自分がやってきたことを投げ出したら終わりだと、逃げたらここにいる意味がないと、空虚な感情に食い下がった。
 
自分を見失いかけては素性でなんとか踏み留まるを繰り返す日々は自分を消耗させ、悪循環そのものだった。そんな日常が10月初旬まで続いた。


「救い」

この状態にありながら、なんとか歩みを進めてきた。
社会人リーグの最終節も何とか勝利を収め、早慶戦直前に関東リーグの追加登録に選ばれた。そして早慶戦ではありがたいことに前日までメンバーとしてピッチで闘える可能性まであった。
 
でもメンバーには入ることができなかった。
それでもチームのことを考えた時に、選手として戦えなくとも早慶戦には勝ちたい、リーグ戦の重要な一戦で勝ち点を何としてでも取りたいという想いは変わらずあった。
そして早慶戦の運営に携わっていたメンバーの計らいと同期の譲歩もあり、チーム付きとして選手の近くで試合に携わらせてもらった。勝利にこそ自分自身がつなげることができなかったが、仲間に作ってもらった居場所では、チームへの想いを乗せて一生懸命になれた。
 
でも早慶戦が終わり、自分自身に軸を戻した時に以前の思考が顔を覗かせた。
 
その時に掛けてもらった言葉に救われた。
それが「頑張れ」だった。
 
早慶戦後も関東リーグが続いていく中で、チームとしては優勝が難しくなり、インカレも危うく、降格の可能性もあるという苦しい状況下だった。ましてやBチーム、FCもIもリーグ戦を全日程終え、その先の試合は相手の結果次第。すでに予定されている公式戦はないという難しい時期を迎えてすぐのことだった。
 
そんな中で、何度も、いろんな人から「頑張れ」をもらった。
 
いつぶりだっただろうか。
その一言が、自分の中で忘れていた喜びの感情や忘れていた自分の原動力を思い出させてくれ、自分の心に開いていた穴をふさいでくれた。
 
それだけじゃなかった。多くのことに気づかされた。
自分がまだチームを背負えるチャンスが、公式戦で選手として戦えるチャンスが、目の前にあるという恵まれた立場に立たせてもらっているということを。必死に何かを積み重ねていても納得のいく成果を得られていないという人が多くいることを。自分よりも難しい状況である選手や、常日頃から難しい立場でありながら共に戦ってくれている学生スタッフの人たちが居ることを。それぞれ色んな悩みや不安を抱えているのにも関わらず、それでも自分に対して「頑張れ」を送ってくれていたことを。
 
そんなことに今更気づく情けない自分だったかもしれない。
去年のブログに書いていたことを忘れていた愚かな自分かもしれない。
勝手に悪循環に陥り、自分自身を否定していた弱い自分かもしれない。
 
そんな自分でもまだ本気でサッカーに取り組むべきだと思える活力を色んな人がくれた。
そういう今があることを考えると過去も今に繋がっていていると思えた。
 
だから僕は過去の自分と共に、活力をくれた人たちのために最後の最後まで闘い続けることを改めて誓った。
 
活力をくれてありがとう。


「確信」

これまで書いてきたことに関して2つ確信がある。
 
1つは自分の過去から伝えたいこと。
それは自分がやってきたことを絶対に否定しないでということ。僕は1度これまでの自分を否定してしまった。その時はそこで得られるはずのものを見つけ出すことはできなかった。否定しているだけで取り組みそのものを直視できていなかった。けど絶対にやってきたことは今に繋がっている。もっと言えば、今やっていることもこの先に繋がる。自分の過去からこれだけは言える。だからもし今上手くいっていなかったり、これまでやってきたことを止めて別のことを始めたりする時でも、自分の取り組みを否定することだけはしないでほしい。
 
そしてもう1つ。
インカレ出場が決まり、これから日本一に向けた戦いが始まる。
4年にとっては負けたら引退であり、長くてもア式の活動は1か月とちょっとと迫っている。
 
それが終われば自分にとっては一旦選手としての競技活動が終わる。
でもその1か月があっても変わらないと確信している感情がある。
 
それはサッカーをやってきて「幸せ」だったということ。
 
これまでのポジティブな経験とネガティブな経験をそれぞれ数として数えれば同じくらいか、ひょっとすると後者の方が多いかもしれない。もしそうだったとしても幸せだったことには変わりない確信がある。
 
自分だけではマイナスにしか捉えられなかった過去を意味あるものにしてくれた仲間がいてくれたこと。年上年下とか関係なく、自分にとって尊敬できる強くて暖かい仲間が近くにいて、その存在を知ることができたこと。そういう場所にこれまでの自分を導いてくれた家族や恩師がいたこと。多くの支えがあったこと。
そういった気づきや学びをこのラスト1年だけでも数多く得られたことが自分の「幸せ」だった。サッカーを通したすべてが「幸せ」だった。これは1か月後も、それ以上先にある数年後の未来でも間違いなく変わらないものとしてあり続けると考えている。
 
泣いても笑っても残り1か月。
目指すは日本一。それはゆるぎない。
でも自分個人としてゆるぎない挑戦はこれとは別にある。それは単に試合の勝ち負けでもなく、単に自分が試合に出れるか否かでもない。
目に見える成果が出ていなくても、いろんな悩みや不安を抱えていても、それを押し殺して自分に活力をくれた人たちにとって、良かったとかまた頑張ろうと思えるきっかけを作る。今何かを頑張っている人が自信や希望を持つほんの小さなきっかけになる。
そんな存在になるための挑戦を残りの限られた時間でします。
 
 
 
最後に改めてにはなりますが、
これまで多くの人の支えがあってここまで来ることができたことに感謝しています。
本当にありがとうございます。
選手としてできることを尽くして、残り僅かの日々も歩みを止めず進んでいきます。
 
ア式のみんな、インカレ日本一に向かってここからまた頑張っていこう。


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川野秀悟(かわのしゅうご)
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:栃木SCユース


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