【#Real Voice 2023】 「Made my day」 1年・谷岡拓
試合終了の笛が鳴る。この響きをグラウンドで聞くことはもうないだろう。そんなことを思った高校最後の公式戦だった。
中学から静岡学園に進学するために、愛知県から出てきた少年の夢の閉幕でもあった。
しかし、私は今、ア式蹴球部に所属している。
私は、止まった歯車をもう一度回し始めたのだ。
またいつ止まってもおかしくない、そんな錆びだらけの、「サッカー」と「人生」を噛み合わせた歯車。
それは、決して綺麗に回る事のないもの。
中学では2年生の頃から試合に出させてもらい、3年生の頃には全中3位、コロナで本戦は無くなってしまったものの、静岡県国体に選出された。全中が終わるとすぐに高校の練習に参加し、選手権全国優勝を果たしたトップチームの練習にも参加させてもらった。
そのまま高校に上がり、1年生だけの大会で代理ではあるがキャプテンとして全国優勝をし、MVPを獲得した。2年生の時にはBチームの主力として使ってもらい、ほぼ全てのリーグ戦に出場。プリンスリーグ参入戦を勝ち抜き、参入権をもぎ取った。その後、選手権全国大会の帯同メンバーも経験した。
挫折や辛い経験がなかったとは言わないが、順調だった。振り返ると怖いくらいだ。
高校3年生。人生で1番辛かった1年。
まるで、光のない迷路を彷徨っているような日々だった。
辛いのさらに上を表す言葉があれば是非使いたい。
新チームが始動し、最初は怪我で出遅れたが、プレミアリーグの初戦にはスタメンとして出場した。相変わらず順調だった。
ただこの頃から、サッカーに付き纏うものが「楽しさ」から「恐怖」へと変わったことを除いて。
第3節vsサンフレッチェ広島戦。
私のサッカー人生の転落が始まる。
試合開始から少し経った時間、いわゆる「立ち上がり」が終わった時間帯。ほんの5mもないビルドアップのパスがずれ、危うく失点しかける。
ベンチから飛んでくる怒号。
日々怒られ続けた恐怖の蓄積が、ここにきて私の器を上回る。
メンタルが、崩壊する。
体力的には上がるはずのない心拍数が上がる。始まる悪循環。止まらないミス。また聞こえる怒号。
「ミスしちゃいけない、ミスしちゃいけない」
後半開始時、私はベンチに座っていた。
その後必死に食らいつき何とかスタメンに復帰するが、プレーに自信は残っていなかった。私の脳内はただミスに怯え、恐怖に支配されていた。
いつしか、早くグラウンドから帰りたい、早く練習が終わってほしい、自分にボールが飛んできてほしくない、そう考えるようになった。
そうすれば、怒られはしないから。
グラウンドへ向かう途中のあの坂道は、自転車のギアを軽くして立ち漕ぎをしても、非常に重かった。
「俺、ボール受けたくない」
vsサガン鳥栖戦、途中出場した私が試合中に発した言葉。
谷岡拓がサッカー選手として終わった瞬間だった。
vs履正社戦を最後に、その後全試合ベンチ外だった。
特進クラスにいたこともあったが、ギリギリに練習に行き、終わったらすぐ帰る。幼稚園年長から始めたサッカーへの熱は、全くと言っていいほどなかった。放課後を楽しむ一般生徒を羨み、サッカーを恨んだ。常に人生の中心だったサッカーが、いつの間にか重い足枷となっていた。
そして、憧れ続けた、自分が活躍する夢を何度も何度も思い描いた選手権の舞台。
あの舞台に立つために、地元を出た。
大切な子にたくさん迷惑をかけた。
家族も離れ離れにさせた。
しかし結果は、メンバーに入ることはできず、Bチームに降格。
入学時の私の輝かしい目標は、あまりに辛い形で終わりとなった。
応援してくれていた方々へ、非常に申し訳なかった。自分が情けなくてたまらなかった。
苦しかった。なぜこんなに苦しい思いをしなければならないのか。心は激しく揺れ、感情は行き場を失った。
選手権は県大会で敗退した。
正直、負けたことはどうでもよかった。
「これでやっと終われる」
これが全てだった。
スパイクを脱ぐ決意は固まっていた。
最後の公式戦を終え、引退。
同時に、サッカーからも退いた。
これが、中高と歩んだ私のサッカー人生である。ここまで読んでくれた方は、私がなぜ大学でもサッカーを続けているのか疑問に思うだろう。
今の私も、正直わかっていない。
ただきっと、そこにはちっぽけで醜い「プライド」があったからだと思う。
恩返しとか悔しかったからとか綺麗事はいくらでもある。しかし、本質はきっとそこにはない。勝負事はいつか負けるし、引き際ももちろんある。ただ、「今じゃない」と胸の奥底で嘆くプライドが、私にはまだあったのだ。
朝、まだ凍っているグラウンドに出てひたすら自主練したあの経験が、監督が違えばと愚痴を吐いた日々が、出ても何もできないくせに俺が出てればとベンチ外から発した言葉が、何よりサッカーがもたらしてくれた全ての喜怒哀楽が、もう一度、止まった歯車を回す原動力となった。
良くも悪くも過去は美化され、人生を支える糧となる。それが良い方向に向くか悪い方向に向くかは人それぞれだが、その過去が私をア式蹴球部へと繋げてくれた。
ランテストは1回で合格しなかったら入部を諦めようと覚悟を決め、その1回に全力を注いだ。練習では環境の違いも考慮して多少余裕ができるくらいの走り込みをした。結果1回で合格することができた。あれだけ練習したのに8本目、9本目は本当にきつかった。
しかし待ち受けているのは仮入部中に2ミス、プレーの調子は全く上がらないという壮絶で絶望的な仮入部期間。恐怖の共有文、詰められる学年ミーティング、死ぬほど掃いた落ち葉、爪を黒くしながら磨いたボール、練習は声を出し続けた。とにかく辛くて、また歯車が止まりかけた。
でも、同期が支えてくれた。
友達が支えてくれた。
家族が支えてくれた。
一緒に回してくれた。
だからア式蹴球部に入部できた。
サッカーをこうして続けることができた。
これが私。常に周りに支えられて生きている。生意気な私の相手をしてくれた大好きな静学の先生方、ひたすら励ましてくれた同級生、音楽やばかを通じて私に元気をくれた子、朝日が出るまで話を聞いてくれた子、帰省したら会ってくれる子。
毎回「頑張って」と言ってくれる。
みんな、私に生きる力を与え続けてくれる。
改めて、ありがとう。
私は特に何も持ち合わせていない人間であるが、誇れることがあるとすれば、支えてくれる周りの人達に恵まれていることだろう。
これは、私の「実りある運」なのかもしれない。
「一隅を照らす人間になりたい」
4年後、少しでも近づけていたなら、もう一度スパイクを履いた価値があったと胸を張れる。
そこを目指して、素晴らしい日々を創り上げていこうと思う。
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