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【#Real Voice】 「存在意義」 1年・原聖瑠

大学生となり、今自分の人生を振り返ってみると、本当に多くの時間をサッカーに費やしてきたなとつくづく思う。
今回はそんな人生を振り返り、感じたことを書きたいと思う。
 
 
初めてサッカーを始めたのは4歳くらいだった。あの頃はただボールを蹴るのが楽しいだけだった。
その後、小学生となり徐々に歳を重ねていくと、サッカーが勝負のスポーツに変わっていった。試合に勝ったチームだけが上にいき、結果を残した選手だけが評価される。楽しさと同じくらい厳しさが大きくなっていった。
 
そんな世界で過ごしてきたからだろうか。いつからか他人の評価や周りの人との差を意識して過ごすようになっていた。自分が上にいく、チームが勝ち上がっていく、そのための本質がそこにあるような気がしたから。
サッカーをしている時、私生活の時でさえ、常に周りからの見られ方を気にする自分がいた。周りの人の良い評価のために、常に人の顔色を気にしていた気がする。
それでも、大好きなサッカーで結果を出したかったから、素晴らしい人間だと思われたかったから、それが正解だと思い続けていた。今振り返ると、自分で考えることをせず、周りに合わせていただけかもしれない。
 
 
そして今年4月、練習生としてア式蹴球部での活動に参加した。日々活動を送っていく中で、やっぱり入部するため、先輩や同期に認められるために行動する自分の姿を感じた。
そんなある日、先輩に自分の『存在意義』というものについて尋ねられた。他人の評価のために行動していた自分には答えが出なかった。
「自分がこの世界にいる意味って何だろう。」
「自分の存在で救われている誰かがいるのだろうか。」
そんなことを考えながら、日々を過ごすようになった。
そして周りには、日々主体的に自分にできることをこなす最高にかっこいい先輩や同期の姿があった。
彼らの『存在意義』とまではいかないかもしれないけど、悩む自分に活力を与える姿があった。
他人の評価なんて関係ない。昨日の自分を少しでも超えようと行動する、そんな姿が周りの人の支えとなることを改めて教えてもらった。
まずは、「誰か」の活力になる人間になろう。そんな決意を持った瞬間だった。
 
 
現在ア式蹴球部にきて約半年が経った。正直今でも自分の『存在意義』というものは、見つかっていない。しかし、ひとまず大好きなサッカーを通して今までより楽しく、自分らしい生活を送れている。
こんな最高の環境があることに感謝し、日々理想の自分に向かってサッカーだけに限らず、色々なことに挑戦していきたい。
きっとその姿が周りに影響を与える1つの要因となり、自分の『存在意義』のヒントとなると思うから。
 
そしていつか胸を張って言いたい。
「自分の存在意義は~だ」と。



原聖瑠(はらせいりゅう)
学年:1年
学部:商学部
前所属チーム:藤枝東高校

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