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「321日」 4年・金田佑耶

私には同い年の妹がいる。


これを聞いて大抵の人は「双子?」と聞く。
今この文章を読んでくださっている方も同じことを思ったのではないだろうか。

そして、答えはNo。

実は同い年の『年子』なのだ。
私は4月生まれ、妹は3月生まれ。本当に奇跡に近い同い年の年子。


この説明は今まで生きていきた中で何回したか分からない。

そしてその後決まって聞かれるのは、「大学どこなの?」とか「中学校とかも全部一緒なの?」である。
これも決まって答えるのは、
「実は妹、知的障がいを生まれつき持っててちょっと特殊なんだよね」


大体この時に少し重い空気になる。


その空気感が少し嫌だったこともあって
あまり自分からこの話をしたこともないし、そもそもわざわざ言うことでもない。
そう思ってきた。
しかし、「自分」という人間を知ってもらうのに、今までの人生を振り返ってみても妹の存在は大きく影響しているので、
初めて言葉にしてみる。


今まで会ったこともない、聞いたこともないであろう、
「同い年の兄妹」について、それを経験してきた私自身について。
少しお付き合いください。



上述にもある通り
私が4月に生まれてから、約11ヶ月後に妹は生まれた。

妹は予定出産日よりもかなり早く生まれてしまったため、1,500グラムくらいのいわゆる未熟児として出産後はしばらく病院に居たそう。
その後遺症みたいなものがあって「知的障がい」というものを持った。

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(2歳くらいの写真)


幼稚園までは同じクラスであったものの
小学校に進級してからは
妹は違う学校の特別支援学級に進学した。

妹の通う特別支援学級は、通常の授業についていけない子や妹のように知的障がいと認められている子が集まり、一人一人の得意・不得意を理解してその子にあった勉強をしていく。
そんな学級になる。

低学年の間は授業後、安全面を考慮して家庭の人が迎えに行かなくてはいけないということもあり、母が行けない日には私がいくこともあった。
もちろん最初は困惑する部分もあった。
妹以外の知的障がいを持つ人とは触れ合ったことがなかったから。
でも何度か迎えに行っているうちに、実際に妹の同級生と仲良くなっていったし、その時間が経てば経つほどより価値観の幅が広がった。
そして何より、人間が持つ「偏見」は恐ろしいものなんだとも思った。


どういうことか。

知的障がいや特別支援学級にいるという事実。
ただそれだけである程度、その人の大枠をつかもうとする、またはつかもうとしてしまう環境が世の中にあるということ。


今、読者の皆様は
「知的障がい」という言葉を見て何を思っていただろうか。
家族は大変なのかな?
どんな苦労しているのだろうか?
どんな感じの子なのかな?
妹とはどういう関係性なのかな?
きっとこんなことを考えたのではないかと思う。

確かに、彼女自身も家族もそれなりには苦労している。
でもそれ以上に
会ったことも、喋ったこともないのに心配される方が、偏見をもたれる方が
よっぽど違和感があるし、やるせなくなる。


正直、幼いながらに妹とそれを取り巻く環境を見てきたから
どんな世界なのか、どういう扱いを受けてきているのか、どういう子がいてどんな性格なのか。なんとなくわかる。

でも何も知らない人が世の中にはほとんどで、
なんとなく見たことある。
そういう人がいる。
電車でたまに見かける。
そんな回答がほとんどなのではないだろうかと思う。


では、なぜそうなってしまうのか。
それは圧倒的に触れ合う機会がないから。知らないから。

何をするにもそのものの知識や経験がなければ
世の中の情報、目の前にある情報だけで判断するしかなくなる。

ありふれた情報のなかで、いくら誰かが本当はこうなんですと言ったって届きはしないし、結局は何も変わらなかった。

その中で自分なりに出した答えが
やはり、“直接会って会話してもらう”。
単純明快で日常の当たり前のことができていない。その場がない。
という結論だった。


コロナが世に蔓延する前には、よく私の家で何人かを集めて食事会をしていた。
妹もその場にもちろんいる。
私の家に来る人のほとんどが最初は困惑しつつも、最後は普通に会話し、想像と違ったと言う人さえいた。

この事象を皮切りに、ならば部員にももっと接点を作ってみようと思った。
妹の通っていた高校の体育教師だった先生が知的障がいサッカーに携わっていたこと
そして妹がその先生とも仲が良いということもあり私の話を先生にしていたこと
をきっかけに、大学に入ってからではあるが
社会貢献活動の一環で、知的障がいサッカーとア式蹴球部が関われる機会があった。

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私が無理して間を取り持ったわけでもなく、ただ一緒にサッカーをしていくうちに、部員とどんどん打ち解けあっていく姿に心が打たれた。
社会的な垣根を超えてただその空間を共に楽しむ。
確かにそこにはなんの壁もなかった。

今回はサッカーというものを通じてのコミュニケーションであったかもしれない。
しかし、家の中でみた妹と友人の姿と重なって本来あるべき姿なのだとも思った。


“直接会って会話してもらう”
コミュニーケーションをとるだけではあるかもしれない。
しかし、その経験こそが何より貴重であると思う。


もちろんただコミュニーケーションをとれば良いというわけでもない。
相手が何を感じ、何を言いたいのか。
どんなことに喜びを感じ、どんな時にネガティヴになるのか。
それを感じ取る、感じ取ろうとする力は必要不可欠。

でも、その場がないのであれば元も子もない。

人はそうやって繋がりを生んでいくのだと私は思う。


なぜ繋がりが必要なのだろうか。

その私なりの答えは
『繋がりはその人の財産になると思っているから』
である。

今回の件もそう。
妹とよく会話するし仲が良い
だから先生との間に私の会話が生まれた。
妹と先生が親しくしていた。
だからア式蹴球部と知的障がいサッカーとの繋がりが生まれた。


決して特別に何かをしたわけでもない。
ただ、その人との繋がりを大切にする。それの連続であると思っている。

昔、祖母から
「袖擦り合うもたしょうの縁」という言葉を教えてもらった。

最初は「多少」だと思ってたけど
実際は「他生」と書くらしい。

些細な繋がりかもしれない。
でも、その人の人生に縁があった。
そう思い生きていくだけでも、一つ一つの出会いを大切にできると思う。
22年生きてきて、人生これからの方が長いかもしれない。


「この価値観は受け入れられない」
などと言って繋がりを断ち切るのではなく、
受け入れ自分の形にし、また新たな自分と出会う。
そんなサイクルを作りたい。


これから先どんな出会いがあり
どんな人と、どんな価値観に触れるのか。
楽しみながら生きていきたい。



金田佑耶(かねだゆうや)
学年:4年
学部:教育学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部


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