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【#Real Voice 2022】 「出会いは必然」 1年・佐久間真寛

今回ブログを担当させていただく商学部一年佐久間真寛です。

私のこれまでについて書こうと思ったのですがあまりに長くなってしまったので高校時代の私について述べさせていただきます。


時は中三の夏に遡る。私は大垣市立星和中学校という岐阜県の公立中学のサッカー部に所属していた。中体連の全国大会が終わり、進路を探していた時、藤枝東(以下東高)の練習会の誘いが来た。練習会に行くと中学とは違う人工芝のグラウンド、レベルの高い練習に驚いた。練習会の途中にここに来たいと思った。両親は、東高が進学校ということもあり、県外の高校に進学することを承諾してくれた。


そして私の高校サッカーがスタートした。入部した当初は上下関係や役割、高校年代のプレースピードなど初めてのことに戸惑うことが多かったが、何とか食らいついていけた。一年からスタメンで出るという野心を持って取り組んでいたが、現実はそう甘くはなく、選手権ではバックアップメンバーだった。しかし、同じポジションのスタメンは三年生であったため、三年生が引退したらスタメンまで行けるだろうという浅はかな考えを持っていた。それは大きな間違いであった。


練習での評価が落ちてしまうのが嫌なあまり、縦パスや対角へのロングボールのチャレンジを恐れ弱気なプレーが増えてしまったため、結局評価は下がり、自分より下のカテゴリーだった選手が自分の上に行った。新チームになっても自分の立ち位置が変わらないままシーズンが始まり今年だけでなく来年でさえも試合に出られずに引退してしまうのではないかという焦りを感じた。なぜ自分は試合に出られないのか、何が足りないのかそういった自問自答を繰り返すうちに矢印は自分以外のものに向き始め、練習にも身が入らなくなった。


傍から見たら適当に練習をこなす自分に小林監督(以下監督)は本気で叱り続けてくれた。しかし私のサッカー・藤枝東高校サッカー部に対する熱意は下がり続け、気も緩んだ。そして校則(ツーブロック禁止)に背いてしまった。(今だから言えるがあれはツーブロックではなかった。私の想像だが、監督は私のたるんだ態度や覇気のない姿を見て怒ったのだと思う)朝登校した際、監督に見つかり叱られた。朝は時間がなかったため練習前に謝罪しに行った。みんなが練習をしている間グランド脇で監督と一対一で話をした。


監督からは言われた言葉は


「親元からわざわざ離れてまでここでサッカーをしに来た覚悟はそんなもんか」

「佐久間の今の姿を見て両親はどう思うか」


他にもあの時言われた言葉は当時の自分に深く刺さった。なぜ藤枝まで来てサッカーをしているのか、どれだけの人が自分に期待をして応援してくれているのか。そう考えると何してるんだと自分を責め、ようやく目が覚めた気がした。


私が公立中学の部活でプレーしていた時、環境なんて関係ない、今自分より上にいる人より絶対に上に行くという向上心があった。しかし、高校に入り理想と現実の乖離に気づくうちにそういった気持ちは薄れ、このままでいいというある種充足感を得ていた。この時これではダメだと気づき私の再出発点となった。そして、練習で100%出し切ること自分の強みをどんどんチャレンジしていくことを意識できた。


私には罰として一年間、毎朝外トイレの掃除が課せられたが、自分を見つめなおし続けるいい機会となった。選手権はベンチだったが、残りのリーグ戦ではスタメンとして出場でき稲葉楽さん(ツエーゲン金沢)とのプレーを通じ多くのものを学ぶことができた。


三年になり副キャプテンとなった。自分たちの代では絶対に全国に出場するという強い気持ちを胸に新チームでの活動がスタートした。そして新人戦が始まり順当に駒をすすめ決勝で静岡学園と対戦した。結果は0-2。内容は完敗だった。結果は非常に悔しかったがインハイ、選手権にむけ基準をより上げ見返してやろうとチーム全体で一つになることができた。


そしてプリンスリーグが始まった。二節が終わり一勝一分けと悪くないスタートを切れた。しかし、三節の桜ケ丘戦の前に私は負傷した。今とは逆足の第五中足骨にひびが入った。オペはしなくてよかったが、三か月はかかるとのことだった。つまり、インターハイの全国大会に間に合うかどうか。病室では思わず涙がこぼれた。切り替えるのは時間がかかったが、監督や同期の仲間、両親、中学の同級生らから励ましの言葉をもらい復帰に向けてリハビリをこなすことができた。


今振り返ると、あの期間は自分の視野を広げ、器を大きくできた機会だったと思う。なぜなら、監督やコーチ陣、トレーナーとサッカーの戦術だけではなく過去のエピソードなど本当に多くの貴重な話を聞くことができたからだ。


特に監督との話を通じて自分の物事に対する考え方を改善することができた。
それは自分を物語の主人公だと思い込むことだった。何を言っているんだと思うかもしれないが、物語の主人公はどんな壁にぶつかっても最後にはそれを乗り越え成功を得ることができる。自分自身を主人公に置き換えることにより苦しいと思うことも成長できるチャンスだととらえることができ前に進むことができる。このマインドは今も私を支え続けてくれている。


そうしてサポートメンバー(GoPro係)として臨んだインターハイはベスト8で清水東に敗れ終わってしまった。藤枝東のサッカー部はインターハイを最後に、受験勉強へ切り替える部員が半数近くいる。彼らのためにも私たちに下を向いている暇はなかった。

夏休みに入りなんとかピッチに戻ることができた。「選手権では絶対に」そういった思いを全員が持ち練習にはより熱が入った。チームは練習にGPSを導入し、選手の疲労度を測りながら練習メニューを組み立てるため、それまでより強度の高い練習を積み上げることができた。
完成度を上げるのではなくとにかく基準を上げ続ける、自分たちを信じる、そういったことを全員共通で意識していた。


しかし、選手権一か月前また私は負傷した。また第五中足骨(右足)。正直終わったと思ったが、程度は軽かったためリスクを承知なら二週間程度で戻っていいとドクターは言ってくれた。トレーナーの厚いサポートもありスムーズにピッチにまた戻ることができた。


そして選手権が始まった。静岡県の選手権はメディアが大きく取り上げたり、観客が多く集まったりするため他県とは比べ物にならないくらい県民の注目度が高い。あの雰囲気は一年たった今でも鮮明に覚えている。


藤枝東は順当に決勝まで駒を進めた。決勝の相手は新人戦と同じ静岡学園。あと一つで全国。チーム全員が気持ちを、引き締め一週間準備をした。決勝当日、私は早稲田大学の指定校の受験をwebで行ってから、会場に向かったため試合の一時間半前に到着した。

ロッカールームではいつも通りの雰囲気で、全員が一つになっていた。応援席では、準決勝から一、二年の生徒全員が応援に参加し、引退した同期の仲間、多くのサッカー部以外の生徒も受験勉強の合間を縫って駆けつけてくれて、私たちを後押ししてくれていた。さらに決勝では応援席で藤色と白色のコレオグラフィーができていて気持ちが高揚した。


両校の校歌が流れているとき観客席を見渡しこんなピッチでプレーできることに感謝した。そして、試合は始まった。結果は0-2。スコア以上の圧倒的敗北。何もできなかった。全員が前からプレッシャーに行けず受け身で、攻撃ではだれも受けたがらず、前に進めない。個人としても、いつも通りにチャレンジできず、リスクを負わないプレーを続け、失点のたびに下を向き最悪のプレーだった。二失点目の後はあまり覚えていないが、ほぼ放心状態であった。今までで唯一悔いが残る一戦にしてしまった。

学校からも多くの人が来て東高を応援してくれる人たちに不甲斐ない試合を見せてしまったが、見に来た人は、私たちに労いの言葉をかけてくれた。その度に申し訳ない気持ちになったと同時に感謝の気持ち、サッカーがもたらすもの、つなぐ人の素晴らしさを感じた。


高校最初に宣言した、全国出場、高卒プロ、二つの目標には到底及ばなかった。だから私のサッカー人生は失敗なのか、私の中三の時にした選択は間違っていたのか。そうではないだろう。まだプロになるということ、全国制覇という目標にはチャレンジできる。さらにサッカーは多くの大切なものをもたらしてくれた。あのメンバー、監督、コーチ陣、先生、寮のばあば、じいじ、東高の生徒、先生に出会い、言葉だけでなく行動で私を支えてくれた。だから、今の私があり、考え方があり、生き方ができている。人との出会いは必然であり、絶対に意味のあるものだと信じている。


その後、私は早稲田大学に入学し、ア式蹴球部の部員として活動できている。幸い、素晴らしい先輩方と同期に巡り合えている。毎日が刺激的で幸せを感じている。この出会いも必然であり、未来の私に大きな影響を与えているだろう。

七月に負傷し、今シーズンは絶望となってしまったが、この逆境は来シーズンに向けた準備ができるとプラスにとらえている。今まで出会った人、今はプレーできていないが関わってきた人々へ感謝の気持ちを胸に日々できることを精一杯やっていく。

あまりいい文章は書けないまま長くなってしまいましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


番外編(藤枝、藤枝東の〇〇に驚き?)


藤枝

  • 藤枝はいたるところにサッカーの町藤枝という看板があり、藤枝駅の階段には蹴球都市というイラストがある

  • 藤枝の商店街には、サッカーボール最中という菓子が売っている。

  •  藤枝の飲食店の内、何軒かは東高サッカー部割がある。

藤枝東

  • 入学時体操服などの備品にくわえ男子はスパイク、女子はトレーニングシューズ(プーマ)の購入が義務付けられている。

  • クラスの男子生徒のなかでサッカー経験者の比率がものすごく高い。そのため球技大会のサッカーにサッカー部は出られないが、ハイレベルな試合になる。(直接フリーキックを決める猛者も現れる)

  • 顧問だけでなく、多くの先生がサッカーに対して熱い。

  • もちろん東高サッカー部には熱烈なファンがいます。(毎日練習を駐輪場から見てくれるご老人が多い)

他にも多くの魅力が藤枝には詰まっています。ぜひ一度足を運び、藤枝東サッカー部を応援してください。

佐久間真寛
学年:1年
学部:商学部
前所属チーム:藤枝東高校









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