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「自分らしさ」 4年・山﨑昂

「自分自身が誰かの目標となる」
・自分の行動・言葉・姿をア式の中で示し続け、自分自身の価値を高め、ア式の部員が自分のことも目指すと思えるような存在になりたい。

これは、私がシーズン開始前にビジョンシートに書いた今年度の自分のスローガンである。改めて考えてみると、なんとも難しいスローガンを掲げたものだなと思う。

なぜこのスローガンを掲げたのか。

それは、自分には誰かの目標となっている人が輝いて見えたから。


私は他の人と対等な立場で話したいという考えがあるため、どの組織においても後輩との距離の近い先輩という立ち位置だった。後輩からリスペクトされるような先輩というよりは、なんだか友達に近い存在だった。自分でもその立ち位置は嫌いじゃなかったし、むしろ好んでいた。
しかし、大学に入り、ア式蹴球部に所属してすぐに上級生の圧倒的な存在感、部員から尊敬されている姿を目の当たりにした。ある部員の素晴らしい姿を見てまたその下の後輩が育っていく。その光景が自分にはすごくかっこよく見えた。自分とは180度違う存在だったから。
ただ、自分の姿を鑑みても尊敬される、目標にされる先輩になるのは難しいなとも感じていた。


しかし、自分の中でその考えを変えてくれる出来事があった。
2019年の10月、早稲田大学ア式蹴球部が毎年行なっている(今年度は中止)岩手県陸前高田市での復興支援ボランティアの早稲田カップでの出来事である。
私は大学1年の時から3年連続で参加させてもらい、同じチームに3回とも帯同させてもらった。
大学3年時に参加した際に3年連続で参加してくれていた小学校5年生の子供が
「僕たちは次は6年生だから大会には参加できないけど、バル(私のあだ名)にまた会いにくるね」
という言葉をかけてくれた。
その時に、自分の人生で一番と言っていいほど嬉しかったのを覚えている。
それはなぜか。他の人が自分の姿を見てまた会いたいと言ってくれたことと同時に、他者に影響与えることができたことがすごく嬉しかったからだと思う。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止となってしまったが、いつかまたその子供達に会いたいなと思う。

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この出来事を機に、自分自身が他の人に何か影響を与える人間になろうと決めた。
でも、自分はチームを先頭で引っ張っていくことはできないし、組織に元気を与えることのできる人間でもない。
それでも自分という人間であることには変わりはない。
というか、変わることができない。
自分なりに他の人の目標となれる人間になろう。

困っている人がいれば話を聞ける。
自分のピッチ内外で楽しんでいる姿を見て他の部員も楽しさを感じられる。

そんな拠り所のような存在になろうと考えた。
そして、その姿をみてこんな先輩像もありだなと思ってくれるような人間になろうと考え、
「自分自身が誰かの目標となる」というスローガンを掲げた。


今の自分は他の人の目標になれているだろうか。
それを決めるのは自分じゃないし、あくまで他者が自分の姿を見てどう受け取るか次第。
それでも、自分が決めた目標に向かって自分らしく進んでいくしかない。
そして自分がア式蹴球部を離れ、何年後かに社会人となった時に、大学時代を振り返って自分の心に問いかけて聞いてみたい。
「俺って他の人の目標になれていたかな」
この時に自分なりにいい答えを出すことができていればいいなと思う。


残り2ヶ月程度で私の人生の大半を彩っていてくれていたサッカーが終わる。
多分残りの時間なんてあっという間に過ぎていってしまう。

「君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない。ともに寄り添って悲しんではくれない。」

すぎ(杉山耕二)と修世(小山修世)と一緒に見に行った鬼滅の刃の映画でのセリフである。
ミーハー感が出てしまうので使いたくはなかったが、自分の心に刺さった言葉であるため使わせてもらいたい。

本当にこの通りだと思う。
後悔したり、泣き言を言っている時間なんてない。
立ち止まって考えるよりも考えながら前に進む。


残された時間の中で、自分が18年間のサッカー人生で感じたこと、学んだことを全て早稲田大学ア式蹴球部での活動で体現する。

人生でこんなにも熱中できることに出会うことはもうないかもしれない。
一瞬一瞬を噛み締めながら過ごし、全てのことに全力で自分らしく最後まで楽しみながら足掻き続けたい。



山﨑昂(やまざきこう)
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:松本山雅FC U-18


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