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【#Real Voice】 「加藤拓己という男」 2年・平松柚佑

「部員ブログでゴリ(加藤拓己)のこと書くなんて、平松ゴリのこと好きじゃん」と部員から言われることが容易に想像できるため、先に弁明だけさせてもらう。決して拓己のことが好きだから書くわけではない。では、なぜ拓己について書くのか。それは、「8年間の感謝」を伝えたいから。口下手な私はきっとこの先、直接拓己にありがとうと伝えることができない。だから、この部員ブログという場を借りて拓己にありがとうと伝えたい。
 
 
 
「平松って、加藤拓己に憧れてるの?」中学・高校・大学と2つ上の彼の背中を追うようにして同じチームに所属し、高校時代は同じ五厘頭で共に選手権の舞台を駆け回った私に、多くの人が質問してくるこの言葉。耳にタコができるほど質問されてきたこの問いに対して私は決まってこう答えてきた。

「一切憧れてません。」

反射的にこの言葉が出てくる。実際、本当に憧れてはいない。私が彼に抱いている感情があるとするのならば、それは「尊敬」という感情が最も近いかもしれない。チームが苦しい時に点を決めてチームを救っている姿、人の前で弱みを見せない姿、自分のスパイクはいつもピカピカに洗って使っている姿、記者の方々の質問に少しかっこつけながら答える言葉の1つ1つに「加藤拓己という人間」の姿が詰まっていて、同じ漢としてシンプルにかっこいいなと思ってしまう。
 
では、「加藤拓己という人間」ってなんだろう。こんなことを言われるのは、きっと拓己は嫌がるかもしれないが、きっと彼は強い男じゃない。本当は弱い男だ。それでも皆の前で弱い姿を見せることは少ない。強い加藤拓己を演じ続けている。あの時もそうだった。4年前の選手権。1回戦で負け、私や他の皆が涙を流し、ピッチに突っ伏している中、彼はすぐさまセンターサークルに整列していた。そして、記者の方にその理由を聞かれた時、拓己はこう答えていた。「それが加藤拓己という人間なので」と。
あの時はただ、かっこつけてるなとしか思わなかったこの言葉も、今ではこの言葉すらも強い加藤拓己を演じているように感じる。もしかしたら、私は弱い加藤拓己を見たいのかもしれない。この先拓己はプロという不確定要素満載な場所に進む。その場所ではもしかしたら好きでやっていたサッカーが仕事という環境になることで楽しめなくなるかもしれない。常に結果を追い求める彼は結果が出ずに苦しむかもしれない。そんな辛い時、苦しい時に私は彼に辛いと、苦しいと言って欲しい。人に頼って欲しい。拓己は強い人間じゃないから。素晴らしい人間性を持つ拓己の周りには拓己以上に優しい人間、私以上に拓己のことを知っている人、応援している人、心配している人がいるから。そんな人に頼って欲しい。だって、拓己は弱い人間だと思うから。
 
 
 
そんな彼と共に同じチームで活動できるのは残り3ヶ月もない。現在、清水の地でリハビリをしている彼と一緒にプレーすることはもしかしたら難しいかもしれない。それでも、拓己はもう一度戻ってくると皆の前で言っていた。ならば、私にできることは、拓己の言葉を信じて、ピッチで待つことしかできない。

ーもう一度同じピッチでプレーするためにー

最後に拓己へ。
「8年間ありがとう。拓己に何度も救われました。控えめに言って大好きです。一生応援してます。拓己のいる場所にもう一度、必ず追いつきます。」

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平松柚佑(ひらまつゆう)
学年:2年
学部:社会科学部
前所属チーム:山梨学院高校


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