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【#Real Voice】 「全力の"喜怒哀楽"」 4年・倉持快

節目の年と呼ぶにふさわしい1年間でした。
 
大学4年目にして、
22歳になる年にして、
今まで知らなかった自分に出会えた1年間でした。
 
大学1年生のときは、
ましてや去年までは、
想像もできない1年間でした。
 
 
 
 
 
 
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「内々定です。弊社の一員として活躍してくれることを期待しています。」
 
 
2021年6月1日。
いまでも忘れないこのフレーズ。
 
第一志望の会社に内定をいただいた。
 
これまで小さい頃から頑張ってきたこと、
苦労してきたこと、
それらを伝えるために努力したこと。
 
全てが報われたと感じられる瞬間だった。
 
両親、祖父母など、多くの人が祝ってくれて、
私自身も最高の気分だった。
 
 
 
 
メンタル状態がプレーに直結するタイプの倉持。
 
この最高のメンタルコンディションの中、
サッカーの調子も上向き。
 
6月中旬以降の関東リーグ、
自分で言うのもなんだが途中出場で中々のプレー。
 
 
 
 
 
 
 
しかし、うまくいかないことも起こる。
 
続く関東リーグ明治戦で途中出場ながら途中交代。
俗に言うインアウト。かなり屈辱的。
 
 
悔しさだとか虚しさだとか、
こういう局面でよく湧き出る感情が、
当たり前のように自分にも襲いかかってきた。
 
 
 
 
思い通りにプレーできなかった自分への悔しさ。
評価されなかったと感じた虚しさ。
 
 
 
 
当然、気分は落ちた。
 
 
 
このときはサッカー人生でよく経験した、
いつも通りの感情だと思っていた。
 
 
次の練習になればまたやってやろうと、
やる気が出てくるものだと思っていた。
 
 
ただ、このときはすでに、
これまでのサッカー人生における、
いつも通りの自分ではなくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
次の火曜日、いつも通り家を出て東伏見に向かう。
切り替えて頑張ろうといつも通りグラウンドに出る。
 
 
 
 
 
 
しかし、何かがおかしい。
 
 
これまでのサッカー人生における、
いつも通りの自分ではなかった。
 
 
 
一言で言うと、つまらない。
サッカーが楽しくない。
 
 
モチベーションが上がらないとか、
そんな次元ではなかった。
 
 
一度感じた悔しさ、
評価されなかったと感じた虚しさ、
これらを挽回しようとする力が、
このときの自分からは一切出てこなかった。
 
 
サッカー人生における、
いつも通りの自分はいなくなっていた。
 
 
 
 
この日から、
ひどくつまらないサッカー生活がスタートした。
 
 
 
乗り慣れたいつもの電車、
東伏見の風景、
ボールを蹴る仲間たち。
 
 
全てが遠い世界のように見えて、
そこに自分はいないかのように錯覚する。
 
 
 
みんなの前で笑っている自分を、
全力でプレーしようとする自分を、
退屈そうに客観視するもう1人の自分。
 
 
 
そんな日常をただこなし、繰り返す。
 
 
 
 
何が原因かもわからなかった。
 
 
 
 
ただただ過ぎていくつまらない日々に、
嫌気だけがしていた。
 
 
 
 
「悔しさこそ成長に繋がる」
 
サッカー人生から学び教わったことが、
こんなにも難しいことだったのかと実感する。
 
悔しいときのモチベーションは、
勝手に出てくるものだと思っていた。
 
 
 
ア式の4年生として、こんな浮き沈みをしている時点で問題外なのは感じていた。
こんな自分になるとは想像もしていなかった。
自分の弱さを突きつけられた。
だからこそ、焦っていた。
 
 
 
 
 
なにが変わったのか。
一旦、自分の状況を整理した。
 
 
思いつくのは1つだけだった。
 
 
 
就職が決まったこと。
 
 
 
 
言い方を変えると、
サッカー選手になることを諦めたこと。
 
 
 
もしかしたら、
はじめから気づいていたのかもしれない。
 
 
 
ただ、進路が決まったことに満足して、
見ないようにしていた部分。
 
 
 
サッカー選手も目指す、就活もする。
ずっと言ってきたことだった。
 
 
 
大学3年で声がかからなかったら就活に専念する。
大学に入った時点で決めていたことでもあった。
 
 
 
 
 
 
ただ、自分が考えていた以上に、
 
想像していた以上に、
 
 
自分はサッカーが大好きで、
サッカー選手に憧れていた。

 
 
 
 
 
そして、これもまた想像以上に、
 
 
1つの目標を失った自分はもろく、弱かった。
悔しさを糧に這い上がっていく力を失っていた。

 
 
 
 
それでも、
自分が選んだ就職という道を後悔することはなかった。
 
これはなぜだかわからない。
 
たぶんこれを後悔したら終わりだと、
直感的に思っていたのだろう。
 
 
 
こんなことを考えている間にもア式でのサッカー生活は続いているわけで。
 
 
 
目標がないなら作れば良い。
 
 
ア式でのサッカー生活を色濃いものにするためには、ア式のために動くことが大切なのかと考えてみたり。
 
そのためにはと、4年生としての行動だとか、
プレーだとかを意識してみたり。
 
 
 
ただ、だめでした。変わらない日常が続くだけ。
 
 
 
 
 
 
 
ちょうどそんな時期の出来事。
 
 
 
 
福西さんがクリティカルマイスターという名称でア式のスタッフに。
この説明のときの外池さんの言葉。
 
 
「クリティカルはロジカルの反対の言葉。
 経験からの核心的なアドバイスをしてもらう。」
 
 
 
ロジカルの対義語ってイロジカルてきなのじゃなかったっけと疑問に思う自分。
 
 
さっそくグーグル先生に聞いてみる。
 
 
案の定、ロジカルの対義語はイロジカルと出てくる。
 
 
ほーらみろ。
 
 
まあでもなんか引っかかる。
外池さんが適当なこと言うわけもないし。
 
そこで、もうちょっとグーグル先生を頼る。
 
 
出てきた。
 
 
ロジカルシンキングとクリティカルシンキング。
 
思考法を代表する2つらしい。
全然知らなかった。
 
たぶん知らない人もいると思うので、
説明も付け加えておく。
 
てか自分だけ知らなかったのも恥ずかしいから、
みんな知らないでくれって願いも込めて、
簡単に説明を書く。
 
 
【ロジカルシンキング】
物事を要素ごとに分解し、筋道を立てて論理的に捉える思考法。
 
【クリティカルシンキング】
その考えが正しいのか、前提を疑い検証する思考法。
 
 
なるほど、たしかに逆っぽい。
 
クリティカルシンキングなどというものがあったとは。
 
さすが外池さん。
 
 
そしてこれ、
いまの自分にも使えるんじゃないかと。
 
 
ア式でのサッカー生活を色濃いものにするためにどうすれば良いのかを考えるのをやめた。
 
 
つまらないサッカー生活ならア式にいなくてもいいのではと考えてみた。
 
 
使い方が合っているのかはわからん。
 
 
とりあえずこの情報をきっかけに、
自分なりの捉え方で考えてみた。
 
 
うーん、
 
つまらないと感じるサッカー生活を過ごしていても、ア式をやめようという考えはこれっぽっちも出てこない。
 
 
 
思い浮かぶのはア式で共に過ごしてきた仲間たちの姿、思い出だった。
 
 
 
 
驚くくらい真面目な同期と4年間頑張ってきて。
本当にみんな優しいから、
きついときは手を差し伸べてくれて。
だからこそみんな苦労しているとこは見せなくて。
全員が自分の役割に必死に向き合って。
最高の同期に囲まれたのだなあと改めて実感して。
 
 
 
 
仲良くなるとすぐふざけだす後輩ばかりで。
なぜか特に仲良くなるのは特にふざけたやつらで。
そんな後輩とのふざけが大好きで。
でもやるときはやる、頼りになる後輩で。
かわいい後輩ばかりだなあと改めて実感して。
 
 
 
 
 
 
そして気づいた。
 
 
思っていた以上に、
自分が考えていた以上に、
 
 
自分はこのア式の仲間が大好きで、
仲間と感情を共有する瞬間が大好きだったのだと。

 
 
 
 
 
 
 
サッカー人生での目標を失った自分を、
ア式に繋ぎ止めるものはア式の仲間だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
仲間の偉大さを、改めて思い知らされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてさらに気づく。
 
 
この仲間たちとア式で過ごす時間も、
終わりに近づいているのだと。

 
 
 
 
 
 
 
 
サッカー人生の終わりを意識しないようにしていた自分は、ア式での仲間との時間の終わりも意識しようとはしていなかった。
 
 
 
 
リアルに近づくア式の仲間との終わりを
意識したとき、1つの願いができた。
 
 
 
 
 
サッカー人生の終わりを、
この最高の仲間と笑って終わりたい。

 
 
 
 
 
 
 
 
それからのア式でのサッカー生活は夢のようだった。
 
 
 
サッカーを楽しんでいたのではなかったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
この仲間と過ごせる時間、
 
"喜怒哀楽"を共有できる瞬間が、
 
自分にとって最高だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
単純なことだった。
1つの大きな想いがあるかないかの違いだけだった。
それもわかっていたはずの仲間の大切さ。
ただ、ここにたどり着くまでは長かった。
 
 
 
目標のない自分の無力さも知れた。
来年からは社会人。
目標なんて見つからない、
つまらないことも増えるだろう。
 
 
 
そしてそんなときは、
ア式の仲間たちを思い出すだろう。
 
 
 
この経験ができたから。
1人では無理なことも仲間がいれば頑張れることを実感できたから。
周りの人たちが自分にとって1番の原動力であると実感できたから。
 
 
 
 
また彼らと喜べるよう、
彼らに負けないよう、
彼らの期待に応えられるよう、
頑張るだろう。
 
 
 
 
ア式の仲間だけではない。
 
 
 
嬉しい報告をすると自分以上に喜んで、
自分が喜んで良いのかわからなくなることもある。
そんな母親の光景を思い出したり。
 
嬉しい報告をするとクールそうに聞いていながら、
口角が少しぴくぴく上がっている。
そんな父親の光景を思い出したり。
 
まじめでなんでもこつこつ頑張るタイプで、
自分にはないものがあると毎度尊敬させられる。
そんな妹の頑張りを思い出したり。
 
お調子者だけどサッカーに一途で、
サッカー人生が終わるからこそ余計応援している。
そんな弟の頑張りを思い出したり。
 
みんな何かしら頑張っていて、
何かあるとすぐ飲みに誘って楽しませてくれる。
そんな地元の友達を思い出したり。
 
 
挙げればきりがない。
 
 
 
 
1人での無力さを知り、
1人ではないことを知った。
 
 
 
それがわかったから。
これからの社会でも頑張れる。
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、この経験を経て改めて、
 
全力で"喜怒哀楽"を表現できる
ア式の環境のありがたさを知った。
 
"喜怒哀楽"を共に分かち合える
ア式の仲間の尊さを知った。
 
 
 
 
関東リーグ最終節、法政に勝って"喜んだ"経験も。
 
試合前日、メンバーから外れて"怒った"経験も。
(その節は申し訳ありませんでした。)
 
早慶クラシコ、劇的敗戦をして"哀しんだ"経験も。
 
4年早慶戦、みんなで最高に"楽しんだ"経験も。
 
 
 
 
全てがかけがえのない瞬間となった。
 
 
 
 
 
つまらないサッカー生活を経験した自分にとって、
"喜怒哀楽"を全力で表現できることが幸せだった。
"喜怒哀楽"を仲間と共有できることが幸せだった。
 
 
 
 
たとえそれが思い通りにいかなかったことでも、
全力で頑張った先にある全力の"喜怒哀楽"、
この瞬間がかけがいのないものだった。
 
 
 
 
 
 
 
でもまあ、最後くらいは、
 
 
ア式の最高の仲間たちと"喜んで"終わりたい。
 
全力の"喜"を共有して終わりたい。
 
 
 
つまらないサッカー生活から救ってくれた仲間たちと、ア式でのサッカー生活の心の支えになってくれた1つの目標に向けて。
 
 
 
 
 
 
全国制覇して全力で喜んで終わる。
最高の仲間と全員で笑って終わる。
 
 
 
 
 
 
まだまだシーズンは終わらない。
まだまだサッカー人生は終わらない。
 
 
 
 
 
 
最高の舞台で最高の仲間と最高の終わりを。




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倉持快(くらもちかい)
学年:4年
学部:人間科学部
前所属チーム:桐光学園高校


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