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「人生で1番泣いた日」 2年・余合壮太

最近、いや2年前くらいから、サッカーに関して「悔しい」という感情が薄れていってしまっている。例えば、試合に負けた時やメンバーに入れなかった時、悔しいと思う人がほとんどだと思うが、今の自分は現実を受け入れすぎて「悔しい」感情があまり湧かない。

過去を振り返ってめちゃくちゃ悔しかった時を思い返すと、高校2年生の選手権千葉県予選決勝で流通経済大学付属柏高校に1-2で負けた時まで遡る。この日は、多分、人生で1番泣いた。3年生を絶対に選手権に連れていきたかった、なんで流経なんかに負けるんだ、そういう涙だった。

高校2年生は、自分の中で最もサッカーが成長した年であると自負できる。それも、「悔しさ」という感情が糧になっていたからである。当時、1年生時にサイドバックしか経験してきてなった自分を、監督はいきなりセンターバックとして起用し始めた。最初は、何もわからず、ミスはするし、声も出せないしで、酷かった。その上、高1の時のセンターバックは、原さんと杉岡さんでどちらもプロへ行くほどの選手で、自分のセンターバックとは比べ物にならなかった。案の定、チームの調子もよくなく、プレミアリーグの前期は最下位で終わった。この状況の一因が自分たち(もう1人のセンタ―バックも自分と同じ1年次サイドバックでいきなりセンターバックを任された2年)であることがとにかく悔しかった。自分たちが、もともとセンターバックとしてプレーしていた3年生たちを差し置いて、新参者のセンターバックとしてトップチームで出てることが気に食わない人は多かったと思う。実際に、直接的に言われてはいないが、「なんであいつらが出んの?」だったり、「今日も負けないかな~」だったりということを聞いていた。再度言うが、とにかく悔しかった。だから、苦手なことにとことん向き合った。ヘディングは、キーパーコーチにバカ高いパントキックを蹴ってもらったり、声を出すようなキャラじゃないけど、味方を動かして守備することも覚えていった。あの時期は、自分が成長しているということを肌で実感していた。それを試合でも示せるようになり、愚痴をこぼしていた3年生も自分たちトップチームを応援してくれるようになった。
だから、絶対に選手権に3年生を連れていきたかった。3年間目指してきた選手権という舞台に立てずとも一生懸命応援してくれる3年生に応えるために、と今まで自分のことをだめだと思っていた3年生を見返してやりたい気持ちがこの1戦に向けた自分を滾らせていた。そのシーズン最高のパフォーマンスができたと思う。だから、より一層悔しかった。だから、めちゃくちゃ泣いた。

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そんなある意味まじめで、ある意味尖っていた自分も、高3の時の2度の疲労骨折などを経て、責任転換や逃げることを覚えてしまった。

実際、今も、チームの調子がいいのに自分がスタメンで出れるわけがないと、勝手に現状を受け入れてしまっている自分がいる。自分の力でスタメンの座を勝ち取っている選手が同期にいるのにも関わらず。

残りのサッカー人生、忘れていた「悔しさ」を糧にし、成長し続けたい。



余合壮太(よごうそうた)
学年:2年
学部:社会科学部
前所属チーム:市立船橋高校


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