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【#Real Voice 2022】 「ネガティブの極み」 1年・石井玲於奈

こんにちは。FC東京U-18出身で商学部1年の石井玲於奈です。

私は1年目(1年目というのは、中学1年、高校1年、大学1年の年を指している。)が良くない年になっている。そこで今回は、来年以降が今年みたいにならないように辛かった1年目をどのように過ごしてきたのかを再確認していく。

決して読者に同情してもらいたいと思っているわけではなく、経歴だけでは伝えられない石井玲於奈という人間がどういう人間なのかを知っていただきたいと思っている。



中学1年

小6の2月まで千葉県選抜も含めてFWをやっていたが、4月から私はCBの選手になった。私はDFでスカウトされたらしい。知らなかった。小6の時に、FC東京のジュニアユースの監督との面談で好きな選手を聞かれ


「ルカク、イブラヒモビッチ。デカくても足元があるから」


と答えていた。だからてっきりFWをやると思っていた。点を取ることが楽しかったのにゴールから遠いポジションになりサッカーを楽しめなくなった。


「私より速い選手が先に動くのにどうやってついていけと?不利すぎ。」

ずっとこう思いながらプレーしていた。


サッカー面だけでなく、学校生活もそこまで楽しくなかった。担任の先生が厳しく行動が制限されている日常だった。私のクラスだけ他のクラスと違う独自の決まりが多くて何かしらで怒られていたから学校生活がつまらなかった。


学校でもサッカーでも思いっきり楽しめずこの頃から病み始めた。


この年は、三角骨と腰椎分離症の初期で4カ月のリハビリ期間。ちなみに腰椎分離症はCBで裏にロングボールを蹴り過ぎたために起こった。



高校1年

年を重ねていくごとに自信はなくなっていき、自分に価値なんてないと思うようになった。


中学でオール5を取った時、周りの人が「勉強もサッカーもできてすごいね」と言ってくれた。


この時私にはこれしかないと思った。文武両道こそが私の存在価値を示してくれるのだと思った。だから、FC東京のユースと早大学院(早稲田大学高等学院)という道を選んだ。しかし、自分で自分を苦しめてしまった。学院での成績は平均、ユースではBチーム。この現状に対して果たしてこれは文武両道なのかと疑問を抱いてしまった。どちらも中途半端になっている気がした。平均でもいい、1年だから仕方ないと割り切れれば良かった。上には上がいる。私は考えすぎてしまい、自信をなくし病んだ。


練習中に雷が鳴れば私に当たってくれと何回も思った。


生きたくても生きられない人がいることはわかっている。軽はずみに言っていいことではないとわかっている。


けれど、「楽に死ねるなら死んでもいい」と思った。何もかもうまくいかなかった。


負の連鎖は簡単には止められない。サッカーの調子が上がってきてBの公式戦に出場し続けるかと思いきや、人生初のレッドカードからスタメン落ち。


そして、退場したその3日後、人数合わせでFC東京のトップチームに練習参加することがあった。初めてで緊張していたが、失礼のないように言動や行動には気をつけていた。しかし、私は練習に最後まで参加することはできなかった。

ゲームの前に長谷川監督からそれぞれポジションを伝えられた時、

監督→〇〇(私とは別のユース選手)「右サイドバックに〇〇。」

〇〇→監督「……はい。」

監督→〇〇「声小さいな。」

監督→石井、〇〇「ユースで挨拶習わないのか?」

石井→監督「いや、習います。」

監督→石井「お前、やる気あんのか?」

石井→監督「あります。」

監督→石井「ねぇよ。」

石井「えっ……。」(動揺してしまい、目線が下にいく)

監督が私に近づいてきてビブスを脱がされる。

「お前やんなくていいや。出てって。」

背中を押され退場。練習後泣きながら謝りに行く。

石井→監督「すみませんでした。」

監督→石井「緊張もあったかもしれないけど話してる時に目線を外したのが嫌だった。もっとユース選手には元気にやってもらいたかった。」

 

人生初の退場から中2日で2度目の退場を受けた。この時のメンタルはズタボロだった。何も楽しいことはなく、嫌なこと・苦しいことを考えなくて済む睡眠が唯一の幸せ。早く寝る時間になれと1日中思っていた。

この年は重度の捻挫と鼻骨骨折で4ヶ月のリハビリ期間。


大学1年

ア式蹴球部に来てから8ヶ月が経っているが、そのうち5ヶ月は怪我で離脱している。脳震盪から始まり、踵の打撲、第5中足骨の骨折と怪我が続いた。骨折をした時、やはり1年目はこうなってしまうのだと感じた。サッカーをしていない期間は今までで1番だが、メンタルは今までで1番いい。最もつらかった年が過去にあったから思っていたよりも早くこの現状を受け入れることができ、無駄な時間を過ごさずに済んだ。たしかに怪我が続いたことは今までと変わらない。しかし、中学、高校よりも充実した生活を送れているのは実感できている。峻(1年・谷村峻)にも「ユースの時より笑顔が増えた」と言われたし、母にも「玲於奈の笑顔久しぶりに見た」と言われた。サッカーができなくてもメンタル面で昔より成長できていて非常に嬉しい。


重たい悩み

自信をなくすきっかけになったものも人生を楽しめなくなった原因もすでにわかっている。


それは「身長の伸び悩み」である。


身長に関しては誰よりもこじらせていると思う。本気で私の悩みである身長について書くとなれば、参考文献を加えたりして論文のようになってしまう。私の悩みの酷さはユース時代から聞かされている峻が良く知っている。峻は、身長の話だと私が余裕で1時間話せることを知っているから身長に関する話題を避けていた。もしかしたら日本人の平均身長くらいの私の身長(173cm)でなぜ悩む必要があるのかと思う人がいるかもしれない。そこでがっつりではなく軽く理由だけ説明しておく。

 

大きく理由は2つある。


1つは、センターバックというポジションをずっとやっていたこと。他のポジションより身長が重要視されるポジションに置かれ続けたことで嫌でも身長を気にしてしまった。中3の時CBで代表に選出されたことでCBでの固定が強くなった。


もう1つは家族や親戚の存在である。私の周りの人の身長を以下に記す。


父183cm

長男189cm

次男180cm

従兄弟1 183cm

従兄弟2 185cm

親戚のおじちゃん190cm


ただただ悲しい。しかも、兄2人は高身長でイケメン。兄2人はポジティブなのに私はネガティブ。5人家族で私だけ目が良い。兄2人は名前に「慶」が入っているのに私は入っていない。全然違う。私は捨て子なんじゃないかと思った日が何回あったか……。遺伝の怖さを知った。

周りの人が小さければそこまで悩み込むことはなかった。しかし、毎日家に帰ると大きいのがいる。身長に関して考えたくなくても強制的に考えさせられる。会うたびになんで俺だけ?って思ってしまう。


「現実を受け止める」

 

私の悩みの解決策はこれだけ。簡単……なはずだった。たくさんの人に相談してもスッキリできない。メンタルケアをしてくれるところにも行ってもダメ。結局他人に救いを求めても気持ちは楽になっても完全には受け入れられない。今の身長での成功体験を自ら引き起こさない限り完全には受け入れられず、身長を気にする毎日を過ごし続けるのだと思う。


最後に

私はネガティブである。ポジティブになろうと試みたがまだ直せない。だから、今回の文章もネガティブな感じが出てしまっていると思う。ポジティブな文章を書くことができず読者の方には申し訳ない。

暇があれば自己分析してしまう。だから自分の何がいけないのかはほぼわかっている。けれど、わかっているのに直せないから重症なのだと思う。自分の悪い所はいくらでも思いつくが、良い所は少しくらい。いつか悪い所より良い所を多くしたい。

石井玲於奈
学年:1年
学部:商学部
前所属チーム:FC東京U-18

 


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