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【#Real Voice】 「葛藤」 1年・伊勢航

東京生まれアメリカ・大阪育ちの伊勢航です。
まず簡単に自分のサッカーの略歴から説明すると、3歳からサッカーを始め中学・高校とガンバ大阪の下部組織でプレーし、高校2年の夏からJ3でやっていました。
自分の想いをさらけだす良い機会だと思うので、高校時代に感じていたことをありのままに書きました。私と関わりのある人なら少し驚く内容になっているかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
 
 
J3でプレーし、プロの選手と切磋琢磨する毎日はとても楽しく自分の成長を実感することができた。また素晴らしい監督と出会うことができ、サッカー選手としてだけでなく1人の人間として一回りも二回りも強い人になったと思う。
 
しかし、J3でプレーする日々の中でプロサッカー選手になるという夢に対する想いが徐々に薄れていった。こうなった要因は複数あるが、大きく2つあった。
1つ目はプロの世界でやっていける自信がなくなったこと。ユースでやっていたときはプロの世界は全て想像の世界だった。だけど想像の世界が現実になって、経験してみると予想より遥かに大きい壁があった。この大きい壁が自分にとっては絶望的だった。今の自分では絶対に超えられない壁だと思ってしまった。もし仮にそのタイミングで、大きい壁に対して闘争心を燃やすことができたら、現在は早稲田じゃなくてプロでやっていたかもしれない。
 
2つ目の要因は、サッカーの世界以外に触れてみたいと強く思うようになったこと。プロサッカー選手という職業はサッカーに全てを注がないとやっていけない仕事である。このことを痛いほど身に染みて感じ、当時高校生の自分はその覚悟を持てなかった。サッカーを嫌いになったわけではないが、今までサッカーしかしてこず、サッカーしかない自分に危機感を覚えた。だからこそ、ア式蹴球部に魅力を感じた。サッカーの組織ではありながらも人間的に大きく成長できると確信し、ここでサッカーをやりたいと強く思うようになった。

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高校3年になったタイミングでプロではなく大学でやりたいと決断したものの、親やコーチ、チームメイトなど誰1人にも言わなかった。というのもこの決断を言ってしまうことで、チーム内での自分の評価が落ちてしまうのではないかという心配があったからだ。この複雑な想いを抱えながらプレーすることはかなり苦しかった。プロの選手やプロになりたいと強く思う同期がベンチに座っていてプロ志望ではない自分が試合に出ている状況が多々あったし、自分がプロに昇格するのではないかという期待をもってくれていた人たちに申し訳なかった。
だが実際に、トップ昇格できないと強化部長に言われた時に安堵の気持ちと同時にとてつもなく強い悔しさが込み上げてきた。自分が望んでいたはずの状況になったのに、幼い時から夢見ていたプロサッカー選手になれないと他人に判断され今までたくさん練習してきた自分が否定された気になった。一度プロサッカー選手にならないと決めた自分に腹が立った。クラブハウスから寮に帰る道は一番長く感じたし、チームメイトに心配されるほど落ち込んだ。
 
 
大学生となり自分の将来について考えることが多くなったが、自分がプロサッカー選手になりたいのかどうかはっきりわからない。正直プロサッカー選手として活躍する姿を想像できない。
だが、プロサッカー選手に対する憧れは捨てきれてない。
小学校からやってきた同期がプロの世界で戦っている姿。
ユースの先輩・同期が大学でレギュラーとして活躍する姿。
ア式蹴球部の同期が関東の舞台で戦っている姿。
彼らを見ていると刺激をもらえるし、自分ももっとやらねばならないと思う。
 
大学4年間は長いようで一瞬である。2月からア式蹴球部の練習に参加しもう8ヶ月たった。大学卒業まで残された時間は3年と5ヶ月。高校時代味わった複雑な気持ちを持ったまま、卒業はしたくない。3年5ヶ月後プロサッカー選手になっているかもしれないし、プロサッカー選手になれないかもしれないし、途中でプロサッカー選手になることを諦めるかもしれない。自分の将来はどうなるかわからないが、決断を下した時にその決断を後悔しないように毎日を大切に生きていく。

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伊勢航(いせこう)
学年:1年
学部:社会科学部
前所属チーム:ガンバ大阪ユース

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