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【#Real Voice】 「チームを勝たせるエースストライカーになる男の物語」 2年・奥田陽琉

まず初めに、新型コロナウイルスと戦っている医療従事者の方々や自分たちの公式戦の場や練習する場を作ってくださる方々、支えてくださる全ての方々、心から感謝申し上げます。
 
小学4年生からFWとしてプレーしてきた。中学から、自分か細谷真大か鵜木郁哉が多く点をとってきた。だが、高3になる頃には、その2人は、2種登録をしていて、練習にいないことや試合にいないことが多くあった。そしてプレミアリーグ1節では、その2人なしで負け、2節は、真大がいて、その真大が決めて勝った。

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それまでチームが勝てばなんでもいいタイプだった。自分のプレーがどんなに悪くても勝てば喜んだし、自分が決めても負けたらちっとも嬉しくなかった。FWっぽくない考え方だなと思う人もいるかもしれないが、これが自分だった。でもこの出来事が自分を少し変えた。もちろん勝って嬉しかったけど、2種登録の2人がいないと勝てないチームなんじゃないか、自分がいなくても2人がいれば勝てるんじゃないか。チームメイトから出た、2人がいれば勝てるという言葉。それにプラスして、1節には、相手FWのハットトリックで負け、大学サッカーの開幕戦では、筑波大学の森海渡がハットトリックを決めていた。
 
無力すぎる自分が、悔しかった。
 
FWなのに自分がしていることは、チームのために献身的に走ること、体を張ること。もちろんこのプレーも必要だけど、FWに一番求められているプレーである
 
ゴールを取ること
 
に対して全然パワーを注ぎきれてなかった。
 
点を取ることがどれだけチームのためになるかを考えられてなかった。

 
それなのに、自分のストロングはゴールを取ることではないとどこかで逃げ続けてきたものに気づいた。

おそらくここら辺から
 
コツコツが勝つコツ
 
にプラスして、
 
チームを勝たせるエースストライカーになる
 
と掲げ始めたのは。そこからは、点を取るということに全てを注いで、結果的には、プレミア得点王を獲得できたが、チームとしては何もタイトルを獲得することができなかった。得点王取ったからいっかとは、一瞬たりともならなかった。もちろん得点王を取れたのは嬉しいが、チームが勝たなきゃ意味ないし、優勝しなきゃ意味がない。自分が掲げているのは、ただの「エースストライカー」ではなく、「チームを勝たせるエースストライカー」だから。
 
小さな頃からの夢である高卒でのプロにはなれなかった。プロになるのは、絶対的な武器を持ってる選手だから。FWならば点を取るのが1番の武器でなければならない。自分には、その1番大切な部分がまだまだ力不足だった。
 
そんな時、早稲田大学の練習に参加し、推薦の話をいただいた。自分を必要としてくれるのが嬉しくて、他の大学やJリーグを探さずに行く決意をした。
 
2020年度 総合型選抜Ⅱ群(アスリート選抜入試)、いわゆるスポーツ推薦で早稲田大学スポーツ科学部に入学をし、ア式蹴球部に入部した。早稲田のサッカーのスポーツ推薦は、他の大学に比べて少なく、3人である。そのため、チームの軸となる部分を獲得していく。その中でも自分は、武田太一君、ゴリ(加藤拓己)くんに次いでFWとしての推薦を出してもらった。
 
特にゴリくんは、高校1年の時に憧れていた選手だった。何に憧れていたかというと体型とオーラ。180センチ80キロの強そうな体型とあのFWっぽいあのオーラ。こんなのが相手にいたら怖いだろうなと思って、ちょうど怪我をしていたこともあり筋トレばかりしていた。そんなゴリくんと練習会で会った時は、写真を撮ってもらった。しかもこの年は、ゴリくんが歴史的残留の立役者。5冠したあの明治からも点を取り、勝利。早稲田の絶対的エース。こんな人と来年は争うのかと本当に楽しみだった。

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そして入部し、関東リーグの開幕戦でデビューしたけれど、怪我で離脱した。開幕戦から出れたから、これから必ずチャンスが来ると思っていた矢先の怪我。そこからゴリ君の活躍もあり、リーグ戦2位、アミノバイタルカップ2位。後一歩のところで優勝ができていなかった。そして自分は、早慶戦で復帰。筑波戦でリーグ初ゴールを決め、アタリマエにカップに出て、3試合連続ゴールを決めたが、準決勝で法政に敗れ3位。ア式としては、悔しいシーズンだった。
 
今年は、自分がチームを勝たせると誓ったシーズン。でも前期のほとんどは、ゴリ君が出ていた。990分中100分くらいしか出れなかった。でもゴリ君の4年生としてという責任とエースとしての覚悟。それは、プレーに感じていた。でもこれが基準であり、これを超えて試合に出るぞとずっと燃えていた。そんな矢先にゴリ君は大怪我をした。診察結果が出た日、ゴリ君の熱い思いを自分とコマッぺ(駒沢直哉)に話してくれた。

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「お前らが勝たせてくれ、4年に最高の景色を見せてやってくれ」 

この言葉が、自分に刺さった。
 
そして、もう1つのことが自分の頭には浮かんだ。
ゴリ君が2年の当時、絶対的エースの武田太一君が夏前に大怪我をして、スポーツ推薦のFWがゴリ君しかいなくなったことを。そしてゴリ君に、期待、重圧、責任、プレッシャーなどたくさんのことがのしかかった。でもそれらをパワーに変えて絶対的エースに成り上がり、歴史的残留に大きく貢献した。
 
2年前と似たようなこの状況。
 
俺が4年生をこのチームを勝たせたい。ゴリ君が今まで背負ってきたものは、自分が全部背負う。どんなに苦しくても辛くても進み続けなければならない、ゴールを取り続けなければならない。それをやり遂げた先にチームを勝たせるエースストライカーというものが見えてくるはずだ。俺は、FWだ。プレーじゃない。結果。
 
もちろん簡単なことではないし、強い意志を持ったところで、いきなり活躍できるわけではない。自分的にいうとコツコツが勝つコツ。ハイキューの北さん的にいうと毎日やんねん、ちゃんとやんねん。結果を出すには、日々の積み上げでしかない。結果を残すためにやり続ける。
 
そして明日は早慶戦。大学サッカー最高の舞台。
点取って、「バモース!」と叫び、みんなが駆け寄って来る。観客は、立ち上がり盛大な拍手や俺の名前を叫ぶ(今は心の中で)。みんなと喜んだ後、時さんにゴールパフォーマンスを撮ってもらい、呼ばれるベンチを見る。監督が「おくで~ん」と叫ぶ。たくやくんが「OK陽琉!」と叫び、もとき君が「陽琉ナイス!」と叫ぶ。そしてベンチにいるみんなも「陽琉!!」と叫ぶ。そのゴールで勝利して、俺がヒーローになる。

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奥田陽琉(おくだひりゅう)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:柏レイソルU-18


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