見出し画像

「部員Aはとりあえず。」 4年・小山修世

 大学生という時間はとても貴重だ。それは、これから始まる長い社会人生活を前に、「学生」として自由に時間を使える最後の準備期間。本当に自由、何をしたっていい。そこで僕はサッカー部に所属し、「部活が中心にある4年間」をデザインした。正解かどうかは分からない。ただの僕の選択。でもどうしても大学でも本気のサッカーを続けたかった。
 とはいえ、僕がクワ(鍬先祐弥)やヒョンジュ(梁賢柱)のようなすごい選手にはなれなかったのは現実だ。彼らがア式蹴球部の、更には大学サッカー界の顔となるスター選手ならば、僕はただの部員A。そこに対して悔しい気持ちはもちろんある。でも、そんな無名部員Aである僕も確かにこの4年間を生きていて、その中には自分だけの経験が、そしてその経験から得た気づきがあった気がする。


小山修世はたいしたやつじゃなかった

 これに気づけたのは大きかった。今までは、周りよりサッカーができると思い上がっていた。しかし現時点で、この組織では一度もAチームの試合に出ることができていない。先述した通り、無名の部員Aだ。大学サッカーのレベルってこんなに高いのかよって感じだ。その上、この中で活躍した一部の選手しかプロになることはできないなんて。そう考えると、メッシってどれだけすごいんだよって。初めてどん底に落ちて、身をもって上には上がいるし、更にもっと上もいることを知った。僕はなんてちっぽけな世界で生きてきたのだろう、と。そしてそんなことを考えているうちにふと、もしかしたらこのデッカいサッカー界すらも、広い人間界のほんの一部でしかないのかもと思うようになった。
 それからはなるべく世界を広げようとしてみた。他の道を選んだ友達をご飯に誘って近況を聞いたり、YouTubeで大金持ちの成功法を覗いたり、時には様々な道の第一人者が登壇するイベントに参加したりもした。お洒落なお店でバイトして資金を貯めてドイツにビジネスを学びに行った司、アメリカに行って価値観が変わったらしい良起、読書好きな哲学者コバ、母校でコーチをやってるピョンス、お酒好きなマヒロとサークルで幹事長を務めていたテンマ。彼らは僕に新しい世界を見せてくれた。それらは今まで知ろうともしてこなかった世界で、本当にキラキラしていた。そして、それぞれの世界もやっぱりデカくてまだまだ奥が深そうだった。それから改めて自分に目を向けてみると、僕はあまりにもちっぽけだった。何者でもなかった。部員Aどころか人類Aだった。今まで自分をそこまで俯瞰して見たことがなかったから、怖くて寂しくなった。でも同時に、この先の人生は「視野を広く持って、今この瞬間の自分を疑い続ける」ことを意識していこうと、そしてもっともっと色んな世界に足を踏み入れていこうとも思えた。
 これに気づくことなく、ちっぽけなプライドを持ったまま社会に出ていたらと思うとぞっとする。


人付き合いの難しさと楽しさ

 僕は割と話すのが好きなタイプで、今まで友達作りには困らなかった気がする。現に、ア式でも割とすぐ仲の良い同期はできた。でも、僕の同期にはこれまで出会ったことのないような考え方の人も多くて、全員と理解し合うのは簡単ではなかった。話していて伝わっている感覚がないし、相手の言っていることに共感ができないのだ。しかし、そんな同期と時間を共にしながら自分を見つめ直してみると、「確かに今まで友達作りに困ることはなかったが、それは僕が自分と似た人や自分を認めてくれる人とくっついてその他を排除していたからだ」ということに気づいた。つまり、自分と違うことを主張する人間を、癖が強いだとか頭がおかしいと言って僕の世界から遠ざけていただけだったのだ。
 そしてその気づきの延長で行き着いたのが、「人は違って当たり前である」という考え方だった。これは、人はそれぞれ生まれ育ち、更には人生経験まで異なっているのだから価値観はズレていて当たり前、無理に共感する必要はない。ただ共感できなくてもそれを認め、それを刺激に自分の価値観を磨いていくことが大切であるというものである。
 そう考えるようになってから、僕は同期1人1人を改めて理解したいと思うようになった。会話の機会を増やし、聞き手に回って同期の考え方に触れてみた。今度は全てに共感することはできなくとも受け入れることはできた。それどころか、そこに至った理由を聞けば、その価値観を理解できることも多くあった。すると付き合い方が少し変わった。相手のことが理解できるようになって、より仲が深まる瞬間が増えた。その積み重ねが信頼関係を生むことに繋がり、いつしか互いの弱みも開示し合える間柄になった。そう思っているのは僕だけかもしれないが。
 とここまで、いかにもできるようになったように書いてきてしまったけれど、実はまだまだ排他的になって人を遠ざけてしまうこともある。むしろ同じサッカー界に生きる、4年間週6で会ってきた同期全員でさえ、やっと理解し合えたくらいの未熟者だ。今まで得意だと思っていた人付き合いは、実はこんなにも難しいことだったのか。他の人のことを理解できて、心の距離が縮まる瞬間ってこんなにも楽しかったのか。
 ア式に来て、様々な考え方に触れることができたからこその気づきだと思う。


仲間は大切

 気づいていたつもりだった。でも改めて気づかされた。僕は仲間と共に生きている。
 キツかった罰走もタニ(谷口智洋)が隣で僕より死にそうになりながら走っていたから、フラれて落ち込んでいた時もフミヤ(鈴木郁也)とユーヤ(金田佑耶)が慰めてくれたから、強い相手にボコボコにされて諦めそうになった時も最後まで諦めないスギ(杉山耕二)の姿が頭に浮かぶから、日曜日の夜に同期で飲みに行くのが楽しみだったから、オフの日はGR(高校サッカー部の仲間達)のみんなが一緒にバカしてくれたから、、、僕はここまで来れた。
 他にも挙げればキリがないけれど、4年間を振り返るといつも側で仲間が支えてくれていた気がする。そしてこれはとても幸せなことだと今感じている。何故なら、この先いくら勉強をしてお金を稼いでも、仲間を買うことはできないから。そんな貴重な存在が、僕にはいるのだから。だから、僕はこの環境と仲間になってくれたみんなへの感謝を忘れない。この広い人間界にたまたま同じ時期にこの国で生まれ、サッカーをここまで続けてきた。そんな限りなく低い確率で出会い、そして深まったこの縁を僕は生涯大切にしていきたい。
 これもア式で出会った仲間と苦楽を共にし、時にぶつかり合いながらここまで来たからこそ改めて確認できたこと。


 他の道を選択していれば、また他のことに気づいたかもしれない。留学していれば、寝る間も惜しんで勉強していれば、新しい趣味を見つけていれば、、、。色んな道を選んでいた自分を想像してみるのは楽しいし、きっとそれぞれの道でも人生のバイブルになるような素晴らしい気づきに出会えたはず。でも僕はこの「ア式蹴球部でサッカー漬けの日々を送る」という道も、悪くなかったと思えている。すごくシンプルでありきたりだけど、今の僕にとって良い気づきが得られたと思うから。そして、そう納得できたならそれでいいというのが僕の考え方だ。何故なら、人生の主役は結局自分でしかないと思うから。人生って死ぬ時に誰かが点数をつけて歴史に残してくれるものではなくて、最終的には自己満足なモノだと思うから。


 とはいえ、ここに記した気づきがこの先の人生で本当に大切かどうかは、未来を生きたことがないから分からない。しかもまだ引退したわけじゃない。残り僅かな部活生活でまた新たな気づきがあるかもしれない。
 だから「とりあえず」。とりあえず今この瞬間は、僕はこの気づきを大切にしながら生きていく。

画像1



小山修世(こやましゅうせい)
学年:4年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?