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【#Real Voice 2022】 「エゴイスト」 1年・瀧澤暖
今回部員ブログを担当させていただきます、北海道コンサドーレ札幌U-18出身、瀧澤 暖 (たきざわ だん) です。
いきなりですが、
「エゴイスト」
この言葉を聞いてどんな印象を受けるでしょうか。
どちらかというと、悪い印象を抱く人の方が多いと思います。
驚く方もいるかもしれませんが、
私はこの「エゴイスト」という存在に憧れています。そういう存在でありたいと心から思っています。
今回のブログでは、「なぜ、エゴイストでありたいと思うのか」について本心を綴ります。
エゴイスト
サッカー界ではよく耳にする言葉だ。
そうでない人も1度は耳にしたことがあるだろう。
インターネットで検索するとそこにはこう記されている。
「利己主義者。他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動する人のこと。」
分かりやすく言うと自分勝手、わがままということだ。
しかし、エゴイストという言葉はもっと冷徹な印象である。
他人を考えることをせず、自らの利益を求める利己主義者。
このような人のことが好きな人は、到底いないと容易に想像できる。
私自身は日常生活において、利己主義な人間だとは決して思わない。
他人の不利益が生じてまで、自らの願いを叶えようとも思わない。
電車に乗ってきたおばあちゃんには、必ず席を譲る。
一般的に見て、周囲の人に対し無関心な方ではあるが、自分勝手、わがままな人間ではないと言い切れる。
しかし、サッカーにおいては別問題だ。
私は幼少期から生粋のFWである。
いつになっても自分でゴールを決めることが最優先事項であり、ゴールネットを揺らす瞬間こそが、人生の中でこの上ない至高の瞬間である。
今まで1度もサッカーを嫌いになったことはないが、それはゴールを決めるという瞬間があったからだと思う。ゴールを決めるためなら、辛く苦しい時間も容易く乗り越えることができた。
いきなりだが、あるサッカー漫画でこんな言葉があった。
「味方にアシストして1-0で勝つより、俺がハットトリックを決めて3-4で負ける方が気持ちいい」
これを聞いてどう思うだろうか。
平和主義に価値を見出し、全ての子どもが等しい教育を受け、協調性をもつ人間を育てる。
このような、日本という国で育てば、
チームの勝利を何よりも優先させる。
多くの人がそう考え、味方にアシストして1-0で勝つことを望むだろう。
どれだけ自分がゴールを決めたからといって、チームが負けてしまったら元も子もない。
この考え方が一般的だろう。
私も十分に納得できる。
しかし、
「ハットトリックをして3-4で負ける方が気持ちいい」
私の中ではこちらが正しい。
感覚的なものであるため、なぜ正しいのかは説明できない。いくら考えてもわからない。
それでも、確実に自分の感覚に間違いは無いと言い切れる。
このように、私自身サッカーにおいてはエゴが強いと思う。
ゴール前でボールを持ち、近くにフリーの味方がいても、強引にゴールを狙う。
何度同じシーンを迎えようとも、同じく自らのエゴを優先してしまうだろう。
もちろん、チームメイトから、「味方使えよ」と言われる。
監督、コーチからは、「なぜ味方を使わないんだ」と罵られる。
ある時には、そのとき起きた状況を事細かく説明され、味方を使うことの確実性を押し付けられる。
当たり前のことだ。
得点数を競うスポーツをやっている中、絶好の得点機会を無視して、自我を優先してしまうのだから。
結果、外してしまうのだから。
しかし、チームメイト、指導者に限らず、最後には口を揃えてこう言葉を添える。
「決めればいいよ」
自由、平等を掲げる集団を生き抜く必要がある世間(日本)では、エゴイストは見放されるであろう存在だ。
しかし、サッカーという世界の中ではそれが覆されることもある。
サッカーは結果論であるからだ。
多種多様な戦術が交錯する、一見難しいスポーツに思えるかもしれないが、
「相手チームより多く点を取れば勝ち」
非常にシンプルだ。
どんな個性を持った選手、戦術を起用するのか、チームによって様々であるが、
どれも、
いかに得点を取るのか
いかに失点を抑えるのか
これを目的としている。
そのため、どれほどエゴを強いたとしても、結果で示すことができれば、全てが肯定される。
私にとって、日常生活ではこんなにも素晴らしいことはない。
自我を押し通すものは、迷惑野郎として扱われ、社会から見放される。
しかし、サッカーという世界では、結果を残せばエゴイストが肯定される。
なんて素晴らしい世界だろう。
私はサッカーに出会えて本当に幸せだ。
これまでエゴイストについて書いてきた。
では、私はどうだろうか。
私は、自分がなりたい理想のエゴイスト像と、現在の自分はかけ離れていると考える。
思い描く理想像とは、
「利己主義者。他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動する人のこと。」
私の場合、これに「だが、結果で示す。」
この一言が加わる。
どれだけ自我を優先しようが、結果を残す。
そんな理想のエゴイストでありたい。
だが、虚しいことに現状は到底及んでいない。
クラブユース選手権
最高学年として迎える最後の全国大会。
昨年の夏、私は決勝のピッチに立っていた。
結果は0-2で敗戦。
コンサドーレ札幌U-18としては20年ぶりの決勝の舞台であり、北海道のレベルから考えると誇らしい結果だったのかもしれない。
祝福の声も沢山頂いた。
悔しかった。
嬉しいという感情は全く無かった。
それも、チームが負けてしまったからではない。
点を取れなかったから。
大会を通して7試合に出場。
取ったのは初戦のPKで1得点のみ。
チームメイトからは冗談交じりにこの結果をイジられていたが、苦笑いもできないほど悔しかった。
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Iリーグ明治戦
私は今年1年の大方を、Iリーグ(インディペンデンスリーグ)を戦う4年生主体のチームで過ごした。
ピッチ外では、和気あいあいとしている4年生。
ピッチ内では、目の色が変わる。
誰よりも体を張りゴールを守る。
足がつるまで走り続ける。
ベンチから枯れるほどに声を出し、チームを盛り上げる。
そんな4年生が大好きだった。
この日も4年生は、運動量が豊富な相手に対して、死に物狂いで戦っていた。
だからこそ、私のゴールでチームを勝利に導きたかった。
決定機を幾度となく外した。
0-1の敗戦。
今までにない悔しさを味わった。
試合に負けて涙を流したのは、小学生の時以来だった。
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このように私は、
ゴールを決めきれない。
チームを勝利へ導けない。
いつもチームメイトに救われてばかり。
苦しいときにチームを救えない。
その割に、ゴールへの執着が強く、エゴを優先してしまう。
そんなのエゴイストであるはずがない。
エゴイストに憧れた、迷惑野郎。
まさに、冒頭に書いたわがまま、自分勝手そのものだ。
しかし、今はそれでもいい。
そう考えている。
もし、
アシストに喜びを感じていたら、
常に味方に助けを求めていたら、
ゴールへの執着がなくなってしまったら、
私が私でなくなってしまうから。
私の目指すものはまだ先にある。
私は今、道半ばにいる。
私がFWである以上、ゴールを目指し続ける姿勢は変わらない。
ゴールを決め、チームを救う。
結果で示す。
誰からも認められるエゴイスト。
そんな存在でありたい。
そしていつか、6年間お世話になったクラブに、結果で恩返しをしたい。
◇瀧澤暖◇
学年:1年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:北海道コンサドーレ札幌U-18