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「形式とかじゃなくて」 4年・鈴木怜

私たちが1年生のときの4年生は厳しかった。
練習の用具の準備、片付けをはじめとした1年生の仕事に対して、どんな些細なミスも許さなかった。何度も集合しては厳しい言葉をかけられた。1人1人に強い個性と威圧感があった。そんな4年生のことが私は苦手で、近くにいると落ち着かなかった。寮の食堂に4年生を見つけ食事のタイミングを遅らせたことや、大浴場の入り口に4年生の履物をみつけUターンしたこともあった。けれど、あの4年生が作り出す雰囲気があったからこそうまくいったこともある。なにより、練習中に隙を見せることが許されなかったため、誰もが目の前のプレーに集中せざるを得なかった。必ずしもそれがいいとは限らないが、あの時はそれでうまくいっていたのだと思う。そして、その雰囲気を作り出すことは簡単なことではない。自分が4年生となった今、時々考えることがある。こんなとき、あの4年生たちはどんな立ち振る舞いをしていたのだろうかと。
あの先輩たちはもうチームにはいない。でも、その姿を見てきた私たちのなかに少しでもその存在があるのであれば、今もなおチームのどこかに存在し続けているといえるのかもしれない。そう思うと、自分の中に存在しているのはあの4年生だけではない。日本代表に選ばれるような選手のプレー、チームを引っ張っていた人間の立ち振る舞い。この組織に入ってから、学年関係なく手本となるようなことはたくさん盗んできた。その人たちは今も自分を介してこのチームに存在していると言える気がする。これは私だけではないと思う。私が見てきた先輩たちの姿もまた、そのさらに先輩たちの姿をどこかに投影したものであるはずだ。そうしてさかのぼっていけば、どこまでいけるのだろうか。何十年も前にア式を背負い戦っていた人たちの姿もまた、今なおチームのどこかに存在し続けていることになる。
早稲田大学にア式蹴球部が生まれたその時から現在に至るまで、先輩から後輩へ、時には後輩から先輩へ、さらにはグラウンドを訪れたOBから現役生へ、再びチームへ戻ってきたスタッフから部員へ、バトンのように受け継がれてきたもの、それはプレーで、立ち振る舞いで、コミュニケーションで、示され続けてきたものなんだと思う。その中の、今このチームにいる私たちが、自分もそうなりたいと思える姿、それが次の代へと残っていくもので、ア式蹴球部員をア式蹴球部員らしくしているものなのではないだろうか。そうだとすると、その「ア式らしさ」は人によって違うし、時の流れの中で変化していくものということになる。けれども、この部に所属する全員がなりたい姿を目指し、体現し続けることで、それが途絶えることはない。


早稲田大学ア式蹴球部は歴史のあるチームだと誰もが口にする。関東大学リーグ1部優勝27回、全日本大学選手権優勝12回、総理大臣杯優勝2回、天皇杯優勝4回という成績は、他大学の追随を許さない。この歴史を知っているのと知らないのとでは胸のエンブレムの重みが違う。ユニフォームを着てピッチに立つときはいつも身が引き締まる。しかし、その歴史が私たちに、目の前の課題を解決するヒントを与えてくれることはない。部則にしてもそうだ。代々受け継いできた規則を守っているからといって、理想の姿になれることはない。私たちの先輩の姿、想いがチームの中に残り続けているのだとしたら、「ア式らしく」前に進んでいくヒントは日々の活動の中にある。私たちはそれを受け取る当事者でもあるし、それを伝えていく当事者でもある。


私がこのチームで活動する時間は残り少ない。その時間は、そのまま、サッカーに本気で向き合う残りの時間でもある。7歳から今までずっとサッカーを続けてきた。これまでの話はア式蹴球部に関する話だったが、もちろんこの4年間以外にも様々なことを感じてきて、学んできて今の私がある。サッカーをやめてもそれがなくなることはない。けれど、その中で少しでもこのチームに残せるものがあるとして、それを残していくことができるのは、おそらく今ある時間だけだと思う。後輩に何かを教えようとは思っていない。むしろ、後輩からはいつも多くのことを学ばせてもらっている。私の姿をみて、何か少しでも感じ取れるものがあったとしたら素直に嬉しいし、自分自身のためにも、最後までなりたい姿を目指し続けようと思う。



鈴木怜(すずきれい)
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:駒澤大学高校


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