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【#Real Voice 2023】 「サッカー小僧の高校3年間」 1年・柏木陽良

はじめまして。こんにちは。
岩手から出てきて4年目、未だに関東の夏の暑さに慣れていない
スポーツ科学部1年の柏木陽良です。
この度、部員ブログを書かせていただきます。
文章を書くことがとても苦手なので拙い文章になってしまうかもしれませんが、読んでくださると嬉しいです。

この部員ブログを書くにあたって私の高校3年間を振り返った時に、私は逆境に立たされていたことが多くありました。
1年に1度は苦しい時期があり、あまり自分の話を自分からすることの無い私は1人で抱え込むことが多くありました。
しかし、私はその数々の逆境を乗り越えて、成長してきたと自負しています。



ユースに入りたての頃、外部からきた私は内部から上がってきた選手に比べ、体が小さく、サッカーの実力も劣っていました。
岩手にいた頃は怖いものなしだった私にとっては挫折とまではいきませんが初めての経験でした。
練習では自分が1番ミスをするし、球際や競り合いでも勝つことができない。
1年生の中でもAチームに絡む選手が何人かいるなかで、遅れをとっていると感じていました。

このままではいけないと感じた私は、ひたすら練習に打ち込みました。
全体練習が終わっても自主練習。
オフの日もサッカー。
多分日本の誰よりもサッカーをしていたと思います。
その時間は悩んでいることを忘れられたし、サッカーが大好きな私にとって1番楽しい時間でした。
そうして自信を取り戻していった私はAチームに絡んでいけるようになりました。


「外部から来ているんだから助っ人だと思ってもっとやらないと。プロだったら活躍できなきゃクビだぞ笑。」


当時の監督と練習後に話していた時に言われた言葉です。
笑いながら言われましたがとても自分に刺さりました。
この時からより覚悟を持って練習に取り組んだ事で9月の開幕戦からスタメンを勝ち取ることができました。



新シーズンが始まってからの2ヶ月間は、私にとっては思っていたものとは違ったものになりました。
慣れないサイドハーフに任されるようになり、次第に出場分数も減っていきました。
1年生の中に自分だけ混ざって出た試合もありました。
納得がいかず、不満が溜まっていく日々でした。

この時、この状況を脱するために私はサッカーをより知ろうとJリーグや海外のリーグ、そして自分の試合を見ることを始めました。
ボランチとして試合に出るために、結果を出していくために何が必要か。
授業中や試合の移動中、ベッドの上。
場所を問わず、常にサッカーの試合を見るようにしていました。

これを始めてから、ボランチに必要なアタマの部分が成長したと思います。
そうして、前期の前橋育英戦からはボランチとして試合に出るようになりました。
サッカーがより楽しくなり、ボランチというポジションがより好きになっていきました。

また、この時期はスタッフにもたくさん助けてもらいました。
特に満男さん(小笠原満男コーチ)にはボランチとしてのアドバイスを多くもらい、自分のプレーにつなげることができました。

(ちなみにFKやキックの精度はレベルが違いすぎて参考にあまりなっていません。)



3年生の春の終わりごろ、人生初の怪我をしてしまいました。
膝の内側側副靱帯損傷。
最初の1ヶ月はひたすら固定していました。
することがほとんどないのに練習場に行かないといけない。
行ったらみんなが楽しそうにサッカーに取り組んでいる。
本当に見たくもない。
はじめのうちはサッカーができないのになんで練習行かなきゃ行けないんだろうという気持ちで頭がいっぱいのままリハビリをしていました。

トップチーム昇格を目指している自分にとって3年のこの時期にサッカーができなくなることは本当に苦しかったです。
トップチームの練習に長期間参加する選手もいれば、大学の進路が決まる選手も出てきているのに自分は何もできていない。
頭の中は焦りと不安、怪我をした悔しさだけ。
今まで怪我をしてこなかった私にとって1番きつい時期でした。

この時期は本当に多くの人から力をもらいました。

夏のクラブユース全国大会に間に合わせようとメニューを考えたり、サポートをしてくれたスタッフの方々、

遠くから支えてくれた家族、

そして自分を待ってくれていたチームメイト。


「支えてくれたみんなのために強くなって戻ろう。」


この一心でリハビリに前向きに取り組めました。
精神的に大きく成長できた出来事でした。

このようにどんな逆境に立たされてもそれを乗り越えるために努力することができたのは、絶対プロになるという目標があったことや多くの人のサポート。

そして1番はサッカーが大好きだから。

サッカーをすればどんなことも忘れられる。
サッカーが楽しくてたまらない。
逆境を乗り越える度にサッカーに出会えて良かったと感じることができました。


ア式蹴球部に来てからも正直きついなと思ったことは何回かあります。
仮入部期間、1年の仕事、など。
サッカーでも試合で勝てないことがあったり、今だったら膝の怪我のことだったり。
きっとこれから先もさまざまな壁にぶち当たると思います。
しかし、私には高校3年間で数々の逆境を乗り越え、その度に成長することができたという経験があります。
大学4年間でもその経験を糧に向き合い、成長できるように努力していきたいと思います。



最後に自分の夢について書きたいと思います。
私は日本一のチームでプレーしたいと思い、常勝軍団と呼ばれる鹿島アントラーズのユースに入りました。
本気でトップチーム昇格を目指し、努力し続けた3年間。
しかし、プロになるためには実力が足りず、目標は成し遂げることはできませんでした。
本当に悔しい。
でも絶対諦めない。

私はこの夢を叶えるために早稲田大学ア式蹴球部を選びました。
この4年間が最後のチャンスという覚悟でここにきました。

ア式蹴球部はサッカーのレベルはとても高く、ピッチ外では規律にとても厳しい。
そんな伝統ある組織です。
先輩達はみんな優しく、同期も良い奴ばかりです。
こんな素晴らしい環境に身を置くことができて、とても幸せだと感じています。

ユースの時も環境は素晴らしいものでした。
しかし、いくら環境が揃っていてもプロになることはできない。
あとは自分自身がどれだけ本気でこだわって取り組めるか。
誰よりも絶対にプロになってやるという強い気持ちでサッカーに取り組めるかだと思います。

この4年間を経て、必ずプロサッカー選手になり、活躍する。
サッカー人生で関わった方々、自分の夢を応援してくれている家族に恩返ししたいです。
そして、ア式蹴球部を選んで良かったと胸を張って言えるよう努力していきます。

柏木陽良(かしわぎひいろ)
学年:1年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:鹿島アントラーズユース


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