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「21年目」 3年・小林将也

毎年書かせていただく部員ブログ。去年と一昨年はその1年の振り返りみたいな内容を書いた記憶がある。

今年は何を書こうか。

あっという間に年が明け、2021年を迎えた。
どんな年になるだろう。
どんな年にしたいのだろう。

いろんなことが頭に浮かんだが、「大学サッカーラストシーズン」。
今、この言葉が自分の中には強く浮かんでいる。

この言葉の重みをこの3年間で感じてきたからなのかもしれない。
4年生とは。いや、「早稲田大学ア式蹴球部」の4年生とは。

おそらく特殊な体制の組織だろう。他の組織であればできないことが山ほどある気がする。
“ただの学生主体じゃない”、それがア式の強みだ。
その強さをどこまで引き出せるか。多様な入部形態を取り、多様なバックグラウンドを持った人間たちがこの組織には集まる。プロサッカー選手になるという思いを持ち活動する人間もいれば、自分のこれまでのサッカー人生での後悔に向き合う人間もいれば、ア式に憧れを抱き入部して今度は自分が憧れを与えようと活動する人間もいれば、この組織で成長し次のステージを模索する人間もいる。それだけの思いの幅があるのだ。その分まとまることは決して簡単なことではない。それでも、それぞれの思いが融合し、凝縮され、ひとつの形になった時、とんでもないエネルギーをこの組織は生み出す。そこに4年生が導けるか。やり方に正解はない。でも、チームの勝敗を含めた運営責任が4年生に課せられることは間違いない。


少し自分のことでも話そうと思う。
生まれは群馬県、そのまま群馬で育った。

部員の中には、自分が練習で着ている「GuFA」の文字が入ったシャツを見て、「GAFA、GAFA!」と勝手に世界トップクラスの企業たちを連呼してくる人間もいる。”u”が”りんご”に変換されている。ほんの一瞬、世界トップクラスまで行った気分を味わえる。悪くない。気になる方は「GuFA 群馬県」で検索を。


そんなどうでも良いことはほんとにどうでも良くて、自分がサッカーを始めたのは5歳のときくらいだった。
どこかに向かっている車の中で、サッカーをやるのか野球をやるのか、兄とじゃんけんで決めた記憶がある。2人で別々のことをやるのではなく、2人で同じことをやるというのはなぜか決まっていた。どっちが勝ってサッカーになったのかは記憶が定かではないが、そんなことがきっかけで兄と一緒にサッカーを始めた。

幼稚園はひたすらサッカーを楽しんでいたのだろうか。記憶があまりない。小学生の時は、基盤となる技術を学び、監督から勝負へのこだわりを学んだ。中学生の時は、結果が出ない苦しみと戦い、最後に結果を出すまでに長く時間がかかった。高校の時は、チームを優勝に導きたいと活動していたが、何も結果をもたらすことはできなかった。

自分で言うのも変かもしれないが、小学生の頃から高校まで、チームの中心として活動してきた。ア式にいる選手のほとんどがそうだと思う。

でも、自分が上手くプレーすることはあっても、チームに対して自分が何か基準を示し、そこにチームを引き上げていくような、いわゆるリードするようなことは全くと言っていいほどしてこなかった。なぜなら、嫌われるのが嫌だったから。単純な話だ。自分も人に何か強く言われることは好きではない。

自分が強く言われれば、周りに自分の未熟さを露呈してしまうことになるし、言ってくる人との会話に神経も使うし、今の自分から変わらなければいけないと認識しても何から変えたらいいのかわからない時だってある。でも、変わらなければいけない自分と向き合わなければいけない。それがとんでもなく辛い。

その辛さをわかっているから、その辛さを要求してくる人は、自分が生きてきた中での解釈だと「一度は」嫌われるから、でもどこか嫌われたくないと思っていた自分がいたから、そんな行動から逃げてきた。

正直に伝えよう。こんなことを書くのはどうかとも思うが。自分は孤独が嫌いだ。そして誰かに認められて孤独でない自分の方が好きだ。こんな書き方をすると、自分が他人に認めてもらいたい若干痛い人間のように見えるかもしれないが、それならそれでも良い。

金ちゃん(4年・金田佑耶)とこの話をして、「いろんな人間がいる。でも、それを認識できてるならそれがコバなんだと思うよ」なんて優しい言葉をかけてもらった。何か相談事があったら、金ちゃんのところに行くと良い。心が癒される。

嫌われたら孤独になるーーー
そんな考えが、リードするという行為そのものから自分を遠ざけてきた気がする。

ア式に入ってもそこまで自分が意識していなかったこともあって、その考えの状態が続いたまま、2年の月日が流れようとしていた。

でも、2年目を過ごしているときに感じていたことがある。
それは「同じチームの中に違う2チームがある」ということだ。
FC(社会人チーム)ができて、FCはFCで、トップチームはトップチームで。そんな感じだった。
サッカーの中身も違えば、目指しているところも違う。そう思えた。
でも、自分の中では、最後の2週間だけはひとつのチームだった。One Teamだった。

率直にその時から、「同じチームの中に違う2チームがある」という状態を変えなければならないと考えるようになった。これだけタレントがいる早稲田がなぜ勝てないのか、模索していたから、そう考えるようになった気もする。

最初はア式にいる他の誰かに、その状態を変えてもらうことの方がずっと楽だと思った。

でも、ア式にいて、自分で何か新しいことを始める人間、自分で何かを発信する人間、自分でここに向かうぞとチームに道を示す人間、そういった人間を見ていて、その人たちが必ず道を切り拓くのだということに薄々気づいていたのかもしれない。そして、そういった人間が、見違えるほどの変化を起こしていることに、ある種の憧れを持っていたのかもしれない。

だから、
「自分でやらなければいけない」
そう考えるようになった。

そうなった時、自分には圧倒的に不足している未熟さがあった。
「それまでの自分が、組織を今ある状態から引き上げる人間ではなかった」ということだ。

単純にこのままではまずいと思った。

そんな時、ア式での3年目のシーズン(今シーズン)を迎えた。
とんでもないエネルギーでチームを引っ張る4年生の姿がそこにはあった。

「日本一を毎日積み上げる」活力おじさん(早慶戦パンフから引用だから多分怒られない)。for the teamとは何たるかを示し続けるチーム運営の核。チームを勝利に導くア式の頭脳。常に声を張り上げ仲間のプレーを後押しする4年生、熱く部員をモチベートし続ける4年生、Bチームにいながらも、ひたむきにチームと向き合う4年生。

様々な側面において4年生からの厳しい要求がこの1年飛び交っていた。

でもこれまでの人生で体験してきたのとは裏腹に、そんな4年生を嫌ったことは自分の中では一度もなかった。

もちろん、同じ部員だからという側面も大きいかもしれない。距離が近く、常にコミュニケーションを取れる環境があったからかもしれない。

でも一番はおそらく、4年生が一番チームと向き合っていたから。
思い返せば、あの”最後の2週間”も、4年生の向き合う姿勢からチームの雰囲気が作られていた。

「自分がやらなければいけない」じゃなくて、「自分が一番向き合わなければいけない」

4年生を見ていて、勇気をもらった。
自分の未熟さと向き合うことにドキドキしながら、大プロデューサーの元、ここまで行動し続けた。

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21年目にして、20年間わかっていながらも触れてこなかったことを変えようとしている。

そこにはいろんな怖さがある。あえて書かないが。

反対に、その怖さを上回るくらい、このチームを導きたいという思いがある。
そして、これまでの期間で醸成されたこのチームを背負うという覚悟がある。

ようやくひとつの土台ができたのかもしれない。
正解がない中で、これから正解にすることができる選択肢を得ることができたのだから。

でもまだまだこれからだ。やるべきことは山ほどある。
ここから先に何を積み上げるのか。行動し続けよう。
その先にまた違う景色が広がっていると信じている。

自分が人生の22年目を迎えた時、順調にいけばシーズンが佳境に入っている頃だろう。
また部員ブログを書くのかはわからないが、このブログを見て、「20年間、意外と自分って小心者だったな」と笑えるくらいになりたいな。


さあ、今シーズンも残り2試合というところまで来ました。
リーグ戦での借りはもうここでしか返せません。
難しい今シーズン、最後まで走り抜こう。


うん、楽しみでしかない。

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小林将也(こばやしまさや)
学年:3年
学部:先進理工学部
前所属チーム:高崎高校


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