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【#Real Voice】 「人間万事塞翁が馬」 2年・藤本隼斗

書き始めるにあたって、最初に言っておきたいことがあります。正直このタイトルは格好つけちゃいました。というのも、他の人のタイトルが全部かっこいい感じになっていたので、自分もタイトルかっこよくしたいなと思い、ネットで調べてこの言葉にしました。色々な人にいじられる前に文中で触れておけばいじられにくくなるという作戦です。文章力がありそうなタイトルですが、全然ないので読みづらいと思いますが暖かい目で見てくれるとうれしいです。
 
人生は何が起きるかわからない。この言葉通りに自分の人生が進んできた。自分は気分屋で、その時の感情で、その場の決断をすることが多い。そのため、一度決めたことが次の日になったら変わっているということもよくある。要するに優柔不断だ。そのため、今までの人生で自分が1人で決断をして選択するということは少なく、周りの意見や情報を元に自分の意思を変えてきた。それが良かったのか悪かったのかはわからないが、今までの人生には満足をしている。ここで今までの人生の分岐点の話をさせてもらう。
 
小学1年生からサッカーを始めた。サッカーを始めるきっかけとなったのはS君との出会いである。S君と一緒にサッカーがしたいと思い、S君が入っていたクラブチームのセレクションを受けた。
そのチームは誰でも入れるわけではない。自分はサッカー初心者の状態でセレクションを受けに行った。上手くできるはずがなく、帰りの車でサッカーをほぼ知らない親に「やる気あった?」と怒られたのを覚えている。しかし、結果は合格。家族全員が驚いた。その合格理由は1人のコーチの推薦であった。自分としては、S君とサッカーができることになったので素直に嬉しかった。そこからサッカー中心の人生になっていった。
チームに入れたからといって自分のサッカーがすぐ上手くなることもなく、小学4年生まではBチームの中の一番下、最下層にいた。しかし、小学5年生に上がるタイミングで(コーチ推薦してくれたコーチではない)コーチが変わった。新しいコーチ(Oコーチ)は最初に「頑張るやつを試合で使う」と言った。自分はその時下手ではあったが、頑張っていた。コーチが変わってから、自分でも信じられないペースでAチームにあがった。試合にも出られるようになり、小学6年生の全国大会にもスタメンで出ることができた。
そして中学に上がるタイミングで柏レイソルの試験を受けることになった。柏レイソルには自分の実力では受かるわけがないと思っていたこともあって、試験に落ちたらサッカーはやめようと思っていた。しかし、結果は合格。サッカーを続けることになった。
そこから様々なことがありながら中学・高校と時は流れ、高校2年生になった。中学・高校は柏レイソルでサッカーをしていたため、サッカー推薦で大学に行くつもりであった。しかし、1個上の大場琳平先輩が早稲田大学にAO入試で合格していたことを知った。その時初めてAO入試という入試形態を知り、色々教えてもらった。そして、自分も高校3年生になり、早稲田大学のAO入試を受け、合格することができた。
 
ここまでが自分の人生の分岐点の話だ。振り返ると、おそらく自分は運がいい。分岐点という大事な場面で運を味方にすることができたと感じる。また、自分の人生の分岐点には必ず誰かがいた。自分の『1人で決断できない』という性格が良い方向に働いたのかもしれない。「周りの人のおかげで今の自分がいる」と言う人がよくいるが、まさにその通りだと感じる。そして一番言いたいこととして、人生は何が起きるかわからないということ。人生の分岐点の話の中で、逆説的な言葉が多かったと思うが、その数=予想外なことが起きた数だと思う。
小学1年生でS君と会っていなければ、サッカーを始めていない。
セレクションで1人のコーチが推薦してくれていなかったら本格的にサッカーができていない。
小学5年生でOコーチになっていなければ、試合に出られていない。
柏レイソルに合格していなければサッカーは続けていない。
大場琳平先輩がAO入試を受けていなかったら自分は早稲田大学に来られていない。
このように1つでも違ければ、今の自分はなかった。
人生は何が起こるかわからない。これからの人生も1つ1つの出会いを大切にし、予想できない人生を良い方向に持っていけるように生きていく。

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思っていた以上に長くなってしまいましたが、最後まで読んでくれた方ありがとうございました。
これからも自分らしく頑張ります。



藤本隼斗(ふじもとはやと)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:柏レイソルU-18


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