![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115466116/rectangle_large_type_2_a3a50534c29d863757445b37e910f41b.jpeg?width=1200)
【#Real Voice 2023】 「実りある運」 1年・小林佳太
この度部員ブログを担当します。
スポーツ科学部1年の小林佳太です。
私のサッカー人生で最も濃いと感じた高校時代とア式に来るまでの想いを綴りたいと思います。
稚拙な文章ですが、よろしくお願いします。
『運』
その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせのことを指す。
私は自らのサッカー人生においてつくづく思う。
『運』がよいと。
それはなぜか。
理由は2つある。
1つ目は、私のサッカー人生がラッキーの連続だということ。
6歳からサッカーを始め、今年で13年目。何不自由なく楽しいサッカー人生を送れている。
中学はFC多摩というクラブに入った。思うように試合に出場することはできなかったが、夏の全国ベスト8、そしてチームメイトには現にプロの舞台で活躍しているやつが2人いたりと、贅沢な環境でサッカーをさせてもらっていたと思う。
高校では、幼い頃からずっと夢みた選手権に出るために、
『たまたま目があったから。』
というとんでもない理由で声をかけてもらった帝京高校に入学した。(ちゃんと実話です笑)
1年生の時は、ルーキーリーグですら予選から全国まで通して20分しか出られなかった。だが、レベルの高い環境で日々サッカーをすることは楽しかった。
2年生になり、スタメンに定着することができた。
開幕戦ではコーナーを、ももトラップから膝でシュート。何故か相手の股を抜けて初スタメンで初ゴール。勝ち越し弾で勝利。3年間で唯一のゴールを決めた。
選手権は全国には届かなかったが、インターハイでは全国を経験でき、リーグ戦も多く出場することができた。(この頃はハマりで坊主を半年したり、部室掃除したり、ずっとラインマンをしたりと、サッカー外でも思い出深い年でした。)
色々な経験をした。
全部ラッキーの連続。かなり『運』がよかった。
こんな感じでずっとサッカー人生を過ごしてきたので大きな挫折を感じたこともなかった。
辛くてきつくても、楽しいが勝っていた。
そして2つ目の理由は、チームメイトに恵まれたこと。高校3年生の1年間。それを大きく感じた。
![](https://assets.st-note.com/img/1694039892022-OoDqMQFHPo.jpg?width=1200)
今までで1番濃く、辛く、楽しかった1年間。
インターハイ決勝。
この時私はベンチにいた。予選のメンバーからスタメンを外れたのは私だけだった。悔しかったが、元々違いを作れる選手でもなかったし、スタメンでも序列は下だったため「なんで」とはならなかった。
試合が終わった瞬間
「サッカーやめようかな。」 と口にしていた。
サッカーをしてきてこの言葉を初めて本気で口にした。
全国2位になったことの達成感でもないし、試合に出れないことの不貞腐れでもない。
自分でもわからないが、サッカーをやめようと思った。
親にも大学ではサッカーをしないと伝えた。
別にサッカーのことは嫌いになっていない。
なんならスタメンに復帰して、選手権とプレミア昇格に貢献し、サッカーをやりきりたいという決意が生まれた。
9月10日vs昌平戦
インターハイから約1ヶ月後。スタメンに復帰することができた。
1位と2位の直接対決。お互いの成績から見ても勝った方がほぼ優勝が確定する試合。
絶対に負けてはいけない試合。
あの光景はもう思い出したくもないし、正直トラウマになってしまっている。
後半10分あたりだったと思う。
私に提示されたのはレッドカード。
私のミスからDOGSOによる1発退場。
そのフリーキックで失点。
1-2で敗戦。
大戦犯だった。
試合が終わってから、ダウン、片付け、最後のミーティング、ずっと泣いていた。
人目を憚らず大泣きした。
家に帰ってからも泣いた。寝れなかった。
最終節を終えた結果として、昌平が勝ち点41。私たちは勝ち点38。
勝ち点差は3だった。
やりきると決意した大好きなサッカーがあの日以降、紅白戦ですらボールを受けるのが怖くなるほどきついものになった。
だが、あの時もチームメイトがずっと支えてくれた。慰めてくれる人、その日にLINEをしてくれた人もたくさんいた。あえて厳しく言ってくれる人もいた、いじってくれる人もいた。
ボールを受けるのは怖いままだったが、少しずつ私の心の重荷を和らげてくれた。
あの日以降は試合に出ても途中から。大半がベンチ外だった。
選手権では予選準決勝で國學院久我山に敗戦。私は早稲田大学の受験で試合会場にすら行けなかった。
プレミア参入戦では2位のため2試合になった。2試合目に敗戦し参入はできず、引退した。
引退しサッカーが日常から無くなった時、強い違和感を覚えた。
あれだけ離れたかったサッカーがまたしたいと思った。
なにより昌平戦での退場。憧れだった選手権の舞台は予選で敗退。入試とはいえ、番号ももらえず、会場にすら入れなかったこと。
こんな中途半端でいいのか?と考えるようになった。
やるならやりきりたい、そう考え、ア式のランテストを受けることにした。
しかし、ランテストまであまり時間がなかった。
そんな中、毎週火曜と木曜にチームメイトが何人も練習に付き合ってくれた。一緒に走ってくれた。
1人では戦えない私を支えてくれた。
ランテストは2回目でなんとか合格できた。
意図せず出会った仲間にここまで助けられ続け、常に刺激をもらい、成長できた。
私は仲間にとても恵まれた。
この巡り合わせも『運』だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1694039923337-5qivtlfcez.jpg?width=1200)
そして今に至っている。
ア式にきて半年、未だになれないことが多いが、ア式でサッカーをする選択をしてよかったと心底思う。サッカーのレベルも高い。サッカーだけすればよい訳ではない。多くを求められる。多くを学ぶことができる。多様な価値観を知ることができる。
社会人の一歩手前、学生生活の最後にこのような組織に属することができているのは貴重なことだ。
なにより、こんな自分勝手な私を受け入れてくれている同期にも恵まれた。
私はここでも『運』がよい。とてもありがたい。
サッカー人生ラスト3年半。
もう一度やると決めたからにはやりきる。楽しむ。高校のように中途半端には終わらせない。
最後笑って終われるように。
![](https://assets.st-note.com/img/1693977382879-BNMiz3gRgp.jpg?width=1200)
◇小林佳太(こばやしけいた)◇
学年:1年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:帝京高校
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?