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【#Real Voice 2023】 「這い上がる」 1年・西井大翔

僕のサッカー人生を振り返ると、始めてからずっと華やかな時期など無く、とても、いいものとは言えません。逆境に立たされてはなんとか乗り越え、乗り越えてはまた逆境。この繰り返しでいつもぎりぎりだったと思います。このブログでは、そんな僕のこれまで(中学時代から)を振り返りながら、これからに繋げていきたいと思っています。最後まで読んでいただけると嬉しいです。


僕は、中学、高校と静岡学園でサッカーをしてきた。きっかけは小学6年の時にテレビで見た静学のサッカー。
6年後自分があの舞台に立ち、感動を与えたい。
そんな希望を抱いて、僕の静岡学園での6年間は始まった。いざ入学してみると、思った通り周りの人はレベルが高く、先輩にも同級生にも世代別代表に選ばれるレベルの選手がいた。それまで、そんなレベルの選手とサッカーをしたことがなかったので、すごく刺激的で、ここで6年間必死にサッカーに取り組めば絶対にうまくなれると確信した。

しかし、現実はそう甘くはなかった。うまい同級生はどんどん上のカテゴリーに上がっていくが、自分は全然上がれない。試合にもなかなか出られない。もどかしい気持ちを抱えながら、どうすれば上に上がれるのか。どうしたらもっとうまくなれるのか。毎日そんなことばかり考えて生活していた。


人よりもやるしかない。


そう思った僕は、シュート練習をしたり、パス練習をしたり、ドリブル練習をしたり…皆が帰った後も、一人でひたすらボールを蹴った。周りからは、
「そんなにやっても意味ない」「自己満だ」
などと言われることもあったし、自分でも正直そうかもしれないという思いはあったかもしれない。確かに、周りにはたいして練習をしていないのに上にいる人もいたし、練習したからといって上に行けるとは限らなかった。
でも周りの人より才能が無く、平凡な僕が上に行きたいならやるしかなかった。
幸い僕はサッカーをすることがとても好きだったので、全く苦にならず、むしろ毎日が充実して楽しかった。
そんな生活を続け、気がついたら少しずつ試合に出られるようになっていった。中3の中体連では、7番をつけて試合に出場し、得点を挙げ、チームに貢献することもできた。結果は全国ベスト4と悔しい結果だったが、やれば意外とできるのだと自分の中では、少し自信になった。また、この中学でのサッカー漬けの日々が、僕のサッカー人生の基盤になっていると思う。



中学での活動が終わるとすぐに、主力メンバーは高校の練習に参加し、中には、高校のBチームやAチームの練習に参加する人もいた。僕は少し遅れて高校の練習に参加させていただいたのだが、僕の参加したカテゴリーは高1の下のチーム、つまり高校の中で1番下のレベルのチームだった。さらに、練習試合ではその中でも最後の試合に出るような状況が続いた。もっとできる、という悔しい気持ちを抱くと同時に、自分はたいしたことはないのだと思い知らされた。


高校生になってからは、部員が約260人いたり、うまい選手が外部からたくさん入ってきたりして、さらに競争は厳しさを増した。高1のルーキーリーグでは、同じポジションの選手のケガなどもあり出場し、優勝に貢献することはできたものの、その後は、所属したカテゴリーでほとんど試合に出ることができなかった。高2のはじめには左膝の膝蓋骨脱臼のケガをし、4か月の離脱。
練習ができない、復帰した後もコンディションが上がらない、試合に出られない。
なかなか厳しかったなと思う。そんな時期を支えたのは中学の頃の経験だった。
どんなに苦しい状況でも、上に行きたいなら毎日ちゃんとやり続けるしかない。
その思いを胸にひたすら練習をした。そのおかげか、選手権には絡めなかったものの、Bチームとしての目標であるプリンスリーグ昇格のための参入戦にはスタメンで出られて、高校最後の年になんとかいい形でつなげられた気がする。


そして始まった高校3年、1個上の先輩方のおかげで僕たちはプレミアリーグという最高の舞台で戦うことができた。僕自身もAチームに所属することができ、厳しいスタメン争いが始まった。毎日が闘いの日々。1日でもダメな日があればスタメンから外れることは普通だったし、1度チャンスを逃したら当分チャンスは来なかった。僕はコツコツ練習してきたおかげか、チャンスをつかむことができ、前期は継続的に試合に出ることができた。高校年代最高峰の舞台で、自分がプレーできていることに正直興奮していたし、1年前までほぼ公式戦に出場することすらできていなかった自分にとって想像できない姿だった。でも満足はしていなかった。
もっと上に行きたい。活躍したい。点を決めたい。
そんな気持ちを抱きながら毎日練習した。その後は、サイドバックをやった時期を経て、ある悲劇的な敗北を境に、なかなか、試合に出られない時期もあったが、うまくいっているときも、うまくいかないときも(うまくいっているときはほとんどなかったが)やり続けた。そして小学校の頃から目標にしてきた選手権の県予選が近づいてきた頃、プレミアリーグ後期のセレッソ大阪戦、何節か遠ざかっていた、スタメンで試合に出ることができた。
ここが勝負だと思った。実際、コンディションもよかったし、やれる気がしていた。


しかし、その試合で再び左膝の膝蓋骨脱臼。
選手権出場は絶望的になった。
どうしてこのタイミングなんだ。今まで費やしてきた時間は何だったんだ。と、その日は家に帰って一人で泣きそうになった。
チームは県大会で負けてしまい、僕の高校サッカーは終わった。
結局小学生の頃の目標は達成することができなかったが、今では、常に上を目指して取り組むことができた静学での6年間は間違いではなかったと思う。そしてまた、この経験がこれからの自分を支えていくのだとも感じる。


そんな高校時代を経て、今、早稲田大学ア式蹴球部に所属し、また大学でもサッカーをやらせてもらっている。
ランテストに受かり、約4か月ぶりの練習で離脱、その後、公式戦出場時間はここまでで約30分。大学でも非常に厳しい状況にいる。
しかし今までもそうだった。順調にいったことなんてなかったし、順調じゃなかったからこそ成長できた。平凡な僕が這い上がるためにはちゃんとやること、人一倍やること。中学でも高校でもそうやってステップアップしてきた。また、その結果報われないときがあることも知った。でもやらなければ上には行けない。プロにはなれない。だから僕はこの4年間、可能性を信じて上を目指し続ける。応援して、支えてくれている人のためにも。


西井大翔(にしいひろと)
学年:1年
学部:商学部
前所属チーム:静岡学園高校


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