見出し画像

【#Real Voice】 「なぜア式でトレーナーをするのか」 2年・渡邉栞里

去年は部員ブログを書いていなかったので、お初にお目にかかる人もいるかもしれませんが、今回を機に私について知ってもらえるとありがたいです。
 
 
 
 
「なんでア式でトレーナーをやってるの?」
 
 
 
そう思う方が多いと思うので、その理由と今の私の思いを綴っていきたいと思います。
 
 
私がトレーナーを目指したいと思い始めたのは、中学2年生まで遡る。
陸上部で毎日練習に励んでいたが、ひどい怪我にならなければ別メニューになれないという悪い風潮があった。顧問の先生にはケアをしておくようにと言われたものの、ケアの方法は特に教えてもらえなかった。「スポーツに怪我はつきもの」という認識はあったが、ある日疑問を抱いた。
 
 
 
「知識として、セルフケアの方法を知っていたら、もっと怪我を防げた選手は多かったのではないか。もっと軽傷で済んだのではないか。」と。
 
 
 
その後、母の知り合いから整体師さんを紹介してもらい、施術をしてもらうになった。
そこで自分はアスリートになる才能はないが、
スポーツが好きであることと、誰かを支えることが好きであることから、アスリートを支える立場が向いているのではないかと考え始めた。
また、以前からくすぶっていた「セルフケアなどの知識があれば。」という思いと、「怪我をしない選手は強い」という認識から、
 
 
少しでも怪我をするアスリートを減らしたい。怪我の予防がしたい。
 
 
という思いが強くなった。その思いを抱えたまま、高校生活を送っていた。
自分なりにトレーナーについて調べてみてもあまりイメージがわかず、曖昧なままだった。それでも、自分のやりたいことができそうなスポーツ系の学部に絞って受験した。
第一志望の大学には入れず、受かった大学に行くことにした。
 
 
 
しかし入学してみると、入学式初日からもう大学に行くことが嫌になってしまった。
それは「高めあえる存在」がいないと感じたからだ。
そのうえ、大学なのに高校のような過保護さや、自分の理想とのギャップも大きかった。
 
 
正直、その大学に4年間も通える自信がなかった。それは両親も感じていたようで、浪人をしてもいいと言ってもらえた。
 
 
しかし、自分の中では元々浪人はさせて貰えないという約束であったことや、今大学を辞めれば「逃げグセ」がついてしまうのではないかという不安から、なかなか決断できずにいた。
今までこれほど強く学校に行きたくないと思ったことがなかったこともあり、かなり戸惑っていた。
 
 
 
そんな中、まだ様子を見るため大学に通うと言った私に、
母は「答えは決まってるんじゃない?」と言った。
その通りだった。自分の気持ちを誤魔化すことはできない。
 
 
こうして私は、入学して6日間で退学し、浪人することを決意した。
幸いにも、その大学で職業や資格についての知識を得ることができ、自分がなりたいのはアスレティックトレーナーだと知ることができた。

画像1

浪人中の年の初日の出


浪人生活は2度と経験したいとは思わないが、とても充実していた。
自分の周りには「高めあえる存在」が多くいた反面、「自分の弱さと向き合うことの苦しさ」を痛いほど実感した。
容赦なく叩きつけられる現実と、何度も身をえぐるような思いを味わった自己分析。
自分の情けなさに対する苛立ち。今まで、本当の意味で自分と向き合うことをしていなかったのだと痛感した。
 
 
 
そして受験が終わった時、私は「やっと自分の弱さに向き合うことから解放される」と勘違いをしていた。そんなはずはないのに。
 
 
そんな私がア式に来たのは、浪人期の友達からどの競技のトレーナーになりたいのかと質問され、
 
 
「私はサッカーのトレーナーになりたい。Jリーグでトレーナーとして活動したい」
 
 
と直感的に思ったからである。
自分でも競技歴もない、観るのが好きというだけの、サッカーという競技が出てきたことに驚いた。ア女ではなくア式に入りたいと思った一番の理由は、練習風景を見学した時、選手やスタッフ関係なく、活動している人が輝いて見え、
「私もこの環境の中にいたい。ここならきっと多くのものを得て、成長できるだろう」
と思ったからだった。
 
 
 
ア式で活動するうちに、輝いて見えたのはみんな本気で取り組み、自分の弱さから逃げす向き合い続けているからだ、と気づいた。そこで初めて、自分の弱さに向き合うことから解放されるなんて勘違いだと知った。むしろ、それは終わりのないものであるが、同時に大きく成長するタイミングでもあることが分かった。

画像2

初めて公式戦のベンチに入れさせてもらった時


そして現在。
 
 
ここまで長々とトレーナーになりたい理由を書いてきたが、
正直、自分が掲げた「Jリーグのトレーナーになりたい」という夢に対して本当にそうなのか、断言することはできない。
 
 
「え?」と思った人も多いだろう。しかしそれが率直な私の今の思いである。
というのも、先輩からJリーグの現場のリアルとして、「現場に若い女性は入れたがらない。入れたとしても受付スタッフくらいで、アウェーへの帯同は基本的にしない」ということを教えてもらったからだ。
前例がないからといって不可能ではないが、現実を知らないからこそ、夢見ることができている部分だったと気づかされた。
 
 
その時、先輩から「しおりが行きたいのはWEリーグ?」と聞かれたが、私が行きたいのはJリーグだと言えなかった。後で自分のしたいことをしたいと言えないのは、今までの自分を否定してしまったようで、言えなかったことをとても後悔した。
 
 
それと同時に、正直ア式に来た意味とは何なのか、非常にショックを受けた。この夢は、受験の次に立てた、これからの人生における最大の夢であり、そこからすべて逆算して人生設計を立てていたからだ。自分にとっての、ア式で活動する根幹の理由が揺らいでしまった。
 
 
 
「本当に私はここにいるべきなのか。いてもいいのか。」
 
 
 
毎日活動に参加しながら、いつも考えていた。ア式にいる人たちは全員本気で活動している。そんな中、こんな中途半端な思いを抱えている自分がいてもいいのか。
その人たちの邪魔になっていないか。
いっそ、自分なんてできることも、貢献できていることも少ないのだから、いなくなった方がみんなのためになるのではないか。
 
 
 
ア式を去るという選択肢は、その時点では単に自分の弱さからくる「逃げ」の選択肢であることは薄々感づいていた。その一方で、自分が何をしたいのか分からなくなってしまったのも事実だった。
 
 
毎日、モヤモヤした思いを抱えながら練習に行き、やり過ごす。
あまり感づかれたくなかったから、周りに合わせて笑っていた。
でも、気を抜くとすぐに「これでいいのか」という思いが頭をよぎった。
 
 
「今日は何をしたのか?何ができたのか?」
「特に何もしていない。新しくできるようになったこともない。」

 
 
そんな自問自答を繰り返しては、
 
「本当に自分の存在は必要ないのではないか。私がやっている仕事も、別に自分しかできないことではなく、他の人でもできること。私がいなくても、十分に現場は回るのではないか。」
 
 
そんな思いが強くなるばかりだった。無駄に時間だけが過ぎていくようで、
存在意義が見出せないまま所属するのは、これほどに辛いことなのかと実感した。
逆に、人は誰かに存在意義を認めてもらうことで、誰かに必要としてもらえることで、
大きな原動力を得るのだとも思った。
 
 
その時期は精神的なストレスもあったのか、体調を崩してしまったりもしながら、しばらくその葛藤が続いた。
そして考え続けるうちに、少しずつ自分の答えが見えてきた。
 
 
 
ある日、たまたまJ3で初の女性で主審を務められた方のニュースを見かけた。
とても衝撃を受けたのと同時に、その人の存在にとても勇気づけられた。
 
 
自分が目指すものにも、少し希望があるのかもしれない、と。
 
 
 
その方の経歴を少し調べると、女子のワールドカップで主審を務めているような凄い方だった。その一方で、それほど凄い人でもJ3なのか、とますますJリーグの厳しさを感じた。
そこでまず、自分がサッカーにこだわる理由を言語化して説明できるべきであると気づいた。しかし、未だに説明できない。
 
 
裏を返せば、サッカーにこだわる必要はなく、もっと広い視野で他の競技にも興味を持ってみてもいいのではないか
と考え始めた。今まで海外は特に考えていなかったが、選択肢のひとつとしてアリなのではないかとも思った。
 
 
 
そう考えると、自分が描いた夢を諦めなければならないのか、何のために浪人までしたのか、なんでア式に来たのか、と絶望した気持ちから、少し救われた気がした。
 
 
 
そこからは、あえて選択肢を絞らず、いい意味で気の赴くおもむくままにやっていけばいいと思うことができた。将来的に、結婚や出産というものよりも、トレーナーとして活動することを優先できるのかも分からない。もっと言えば、4年生になった時ア式にいるかどうかさえも分からない。
 
 
それでも、ア式は社会に出てから最も必要であろう「人として」の部分を常に求められる、自分が成長できる組織だから今も所属している。これが私の今の存在意義だ。もちろん、怪我の予防をしたいという思いは変わっていないが、前よりも意図的に視野を広げられたと思う。将来トレーナーとして活動していきたいかは、4年になった自分に任せればいい。
あえて今は考えないと決めた。
 
 
このように方向転換が可能であることは、専門学校ではないからこその強みだと思う。
知識や技術は専門学校のほうが早く上達するだろうが、その反面やりたいことが変わった時に柔軟な対応は難しいだろう。このことは大学受験の時に姉や周囲の人に聞かれ、気づくことができた点だ。気づかせてくれた人たちには本当に感謝している。その視点があるからこそ、今の決断に至ることができたのだ。
 
 
 
 
今年は公式戦のベンチに入らせてもらったり、練習のアップを任せてもらったりする機会が増えた。
その中で、自分に任せてもらえていることに対する責任の重さを理解できておらず、独りよがりになっていた時期もあった。逆に、責任の重さを少し理解してからは、プレッシャーに押しつぶされてしまうこともあった。
 
 
 
今でも先輩方を見ていると、まだまだ私は責任の重さを理解しきれていないのだと思う。
先輩方はもっと大きなものを背負って立っている。私は足元にも及ばないが、少しでも近づけるように、先輩方から学び、自分なりに努力し続けるだけだ。
 
 
 
最後に、自分のやりたいことをやらせてくれ、いつも応援してくれる両親には本当に感謝しかない。誰よりも私のことを理解してくれ、応援してくれている家族に恥じない行動をとり、少しでも何か恩返しができるようにする。

画像3



渡邉栞里(わたなべしおり)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
出身校:京都女子高校

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?