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「私のサッカー人生という物語の主演は。」 4年・清水駿

サッカーを始めて、はや17年。
日にちにすると約6330日だ。
私のサッカー人生は終幕を迎えようとしている。
振り返ると波乱万丈で、怒涛の日々だった。
ただその思い出のほとんどは自分だけではなく、誰かと共にいる光景だ。

最近ふと思う。
今までの出会いは本当に奇跡なんだと。

よりレベルの高い環境を求めて飛び込んだ、高校時代。
プライド高く、クセの強いヤツらばかりだった。
朝早くからのラン。午後練でのラン。真夏の死ぬほど暑い日の何本もの練習試合。
他にも苦しいことが多くあったが、乗り越えられたのは、隣にいた仲間の存在だった。
苦しい時に手を差し伸べてくれたり、先陣切って背中で示したり、辛くても走り続けたり。
こんな集団は初めてだった。

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高2の夏から行ったブラジル留学。
言葉の壁がある中で、すぐに親しくしてくれた。
一緒に映画を見たり、シュラスコを食べたり、下品な言葉を教えられたり。
彼らの存在が無ければ、留学は地獄になっていたかもしれない。

別に皆がみんなサッカーがうまいわけではなかったし、下手な人もいた。
でもサッカーに対して全員が同等の愛をもち、本気さを持っていた。
気にくわなかったら、思うことがあったら伝える。
ピッチを離れれば、また一緒になってふざけあう。
どこか他人行儀だった私を変えてくれた。

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帰国後は、1学年下がって再スタート。
同い年とは正反対の学年だった。
とことんふざけ、監督に怒られることもしばしば。
でも本当に仲が良かった。
彼らは1つ上からきた私をすぐに受け入れてくれ、オーバーエイジといじるヤツも何人かいた。
1人の選手に対し全員が真剣に考え泣くこともあったし、大事な試合の前日に想いがあふれて泣く選手もいたし、試合に勝って泣く選手もいた。それは自分も然り。
泣いてばかりだと思う人もいるだろう。私もそう思う。
でも言い換えれば、愛に満ち溢れたチームだということだ。

「仲間のために戦う」
ありきたりな言葉かもしれないが、これが本当に力になった。
仲間を本気で想うことの大切さを彼らは教えてくれた。

このチームのために戦えたことは私の誇りだ。

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そして大学。
いろんなバックグラウンドを持った選手がいた。
スイッチが入ると止まらなくなる熱男。いつもふざけてるけどピッチじゃ頼もしすぎる筋肉マン。身を粉にしてチームをマネジメントしてるスーパー主務。ランニングマンが下手くそなキャプテン。三度の飯よりアイドルなオタク。
挙げだしたらキリがないほど強烈な個性を持った仲間に出会えた。

多様な個性を尊重し合いながら、同じベクトルを向いて進む。
それを遂行することの大変さとやりがいを学べたと思っている。
その中で一切の妥協を許さず、厳しく言い合う環境は今までになく、それにしんどさを感じる時もあった。
いろいろと責任を感じてしまうと、逃げたらいいやん、と囁いてくる自分もいた。
それでも共に励まし合い、支え合いながら切磋琢磨した日々は、弱い自分に負けなくてよかったと思わせてくれた。
結局のところ仲間に救われたのだ。

そんな仲間と1日でも長くサッカーがしたいと強く思う。


これまで長々と綴ってきたが、何が言いたいかというと、
たくさんの人に支えられ今の私がある、ということだ。

別に特別なことを言っているわけではない。何なら当たり前すぎることだろう。
ただ多くの仲間が、私の視野を、価値観を広げてくれた。
自分一人では、自分の知っている小さな世界で縮こまっていたと思う。

高校選択はサッカーで全国に出たいという想いから京都橘を選択し、大学選択もサッカーと勉学を両立できていたから早稲田への道が開けた。
本来なら出会わなかったであろう人たちを、サッカーが繋げてくれた。そう感じる。
そんな京都橘・ブラジル・早稲田ア式での日々が、そこで出会った仲間たちが、私という人間を作っていったのだろう。


今年は「繋がる」という言葉がよく使われる。

その姿はいろいろあると思う。
苦しんでいる仲間の背中を押したり、共に手を取り合って戦ったり、先陣を切ってチームを鼓舞したり。
人それぞれ姿は違うと思う。

「繋がる」ということは、言葉や口にするのは簡単だ。
ただ、本当に苦しい状況になった時に繋がることは容易ではないと思う。
そういった状況になると、人は自分のことで精一杯になる。周りが見れなくなる。
如何にしてそういう苦しい時に、仲間と繋がることができるか、それこそが一番大事だと思う。

本当に苦しい時こそ、周りを見渡し、手をとり、共に前に進む。
これができるようになることで、本当の意味で強いチームになったと言えるのでないか。
そのためには仲間を知り、敬い、そしてどんな時でも想い続けるほかないと思う。

私は幸運にも、仲間に恵まれた。
このチームにできないことはない。
そう思わせてくれるほど強い繋がりがあると思っている。


何度も言うように、私はサッカー人生を歩む中で、多くの仲間に出会ってきた。
これまでの人生のほとんどを捧げてきた本気のサッカー人生は終わる。

この約6330ページにも及ぶ、清水駿のサッカー人生という物語の主演は、他の誰でもなく、仲間たちだと声を大にして言おう。
私は助演で十分だ。私は彼らに活かされてきたのだから。
このサッカーで得た繋がりを、命果てるまで持ち続けたいと強く願う。

この先、社会という新たなフィールドではどんな仲間たちに出会えるのか。不安もあるが、それ以上に楽しみである。

ただその前に残りの約2か月、いや、明日には終わってしまうかもしれない私のサッカー人生。
これで終わっていいのか。不完全燃焼じゃないのか。
常に自問自答を繰り返して、明日も愚直にゴールを目指す。
この仲間とできるサッカーを噛み締めながら生きる。


最後まで全員で繋がり続けよう。

そして走り続けよう。

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清水駿(しみずはやと)
学年:4年
学部:政治経済学部
前所属チーム:京都橘高校


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