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【#Real Voice】 「環境と意志」 1年・成定真生也

今年、一浪して入学しア式蹴球部の一員となった。

これまで楽しくも辛くも、充実した一瞬の日々を過ごしてきた。

ふと思う。 

なぜ、今私はア式にいれるのか。
今の私を、何が作ったのか。

この答えはあるようで無い気がした。

「早稲田に受かったから。」

「割と本気でサッカーしてたから。」

確かにそうかもしれない。

でも。

これまで数々の選択と行動をしてきて、そしていくつもの組織に属してきた。
その選択と行動、そして属した組織によって私が早稲田にいない可能性など多いにあるはずだ。
そしてそもそもサッカーさえしていない可能性だってあるだろう。

では一体何が、私をここまで導いたのか。

良くも悪くも私は大学受験を浪人という形でも経験したが、
大学生になり受験を振り返った今、私は答えに少し近づけた気がした。

「全ては取り巻く環境自分の意志に左右される」と。

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高校は神奈川にある日本大学藤沢高校に通っていた。

名の通り日本大学の附属校で、世間的にも「そのまま大学に上がるんでしょ?」と思われるかもしれないが、その通りだ。
学年の大半の人がそうだった。
そして、私が所属していたサッカー部ではスタメンの選手のほとんどがサッカーで進路を決めていた。

高3の選手権前、進路が決まっていないのはメンバーの3年生で自分ただ1人。

こんな状況であったのを覚えている。


そのまま大学へ上がれば良いのに。
サッカーで決めれば良いのに。

当時の私はチャレンジを選択してしまったのだ。

その結果、1人になった。
その結果、浪人した。


「附属で上がらないか。」
「練習参加の誘いがある。」
「サッカー推薦はどう考えてる。」
「AOか、落ちたら一般受験だぞ。」

選択肢はあったのかもしれない。

でも、私の意志に迷いはなかった。

私の選択は間違ったのだろうか?
それはわからない。

ただ、1つ言えることはある。

あの時もし、受かる選択をしていたら。
あの時もし、自分の意志を貫いていなかったら。
あの時もし、周りと同じ進路を選択していたら。

今、私は早稲田にいない。


絶対にいない。


今の自分がいるのは、紛れもなく、高校時代に周りに左右されず意志を貫いた自分がいたからだ。

周りに左右されない強い意志が、当たり前を打ち壊す強い意志が、
今の自分を作る要因になるのだと私は強く感じた。


ここまで聞けば、環境ではなく意志が全てかのように聞こえるかもしれない。
環境が今の自分を作るどころか、むしろ環境が邪魔をし、自分の意志にある程度の「強さ」を必要とさせていたようにも聞こえるかもしれない。

だが、私の浪人期間はまるで違った。

浪人期間は、「環境の当たり前に助けられる。」
そんな1年だった。

高校の中でそこそこ勉強ができる程度で、心のどこかで受かるんじゃないかと思っていた自分を、受験というものは見事なまでに打ち砕いてくれた。

駿台予備校で最難関大や医学部を志望する受験生たちを初めて目の前にした時、私は「自分がしてきた勉強は勉強ではなかった」と思い知らされた。

高校3年間はほぼサッカーしか頭になく、テスト期間になれば勉強はするが練習はもちろんのことあり、予備校にすら通ったこともない。
1日のほとんどを勉強に注ぐなんてことを人生で一度もしてこなかった。

でも、今考えれば、浪人期間は当たり前のように1日のほぼ全てを勉強に費やしていた。

なぜこれができたのか。

また「絶対に合格してやる」みたいな意志が理由か?
そうじゃなかった。

「周りを見れば」、自然と自分がそうなっていった。

そう、私は環境に動かされていたのだ。

周りから聞こえるシャーペンの音は鳴り止むことはなく、
自習室では使い古された参考書と賢く整ったノートが人の数だけあり、
まるでお守りかのように人それぞれが難関大の赤本を置いている。
顔も名前もわからない、でも勉強している誰かが、いつもどこか近くにいた。

勉強せざるを得ない状況へと導く要因が、私の周りにはたくさんあった。


するといつしか1日を勉強に費やすようになり、そしてそれが僕にとっての「当たり前」に変わっていった。

これが環境の大切さだ。

サッカーしかしてこなかった私を、
環境は「勉強することは当たり前」な人に作り上げた。


「環境と意志」

どちらもが要因だと気づいた。

ある時は環境が私を動かし、ある時は意志が私を動かす。

属する組織によって自分を取り巻く環境は変わり、自分にとっての「当たり前」が変わる。
そして自分がとる選択と行動は自分の意志によっても左右される。 

この「環境と意志」のバランスが、今の自分を作る。
私はそう強く感じた。


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ア式には洗練された選手が沢山いる。

トップチームの練習を見ればプロレベルの選手がいて、
良いプレーを当たり前のように、質の高いプレーを当たり前のようにこなす選手がア式にはゴロゴロといる。

そしてプレーだけでなくピッチ外で主体性を持ち、ア式を支えている人、社会とのつながりを生み出している人も沢山いる。

練習前後には監督やコーチ、選手の言葉があり、そしてどんな練習をするべきかを毎日のように考えている人がいて、そのメニューを円滑に進めようと行動している人がいる。
これまで何気なく観客の1人でいた早慶戦は、これだけの準備の下で行われるのかと気付かされる。
公式戦も学連を中心とした学生主体で行われ、細かなルールに基づく補助学がいて試合が成り立ち、勝利に向けてカテゴリー問わず全力の1週間を過ごす。
これまでかと自主練習する選手がいれば、まるで当たり前かのように真摯に身体と向き合う選手がいる。

ここでは書き切ることができないほどの役割があり、人それぞれ特徴を持つ。

部員である私の知らないところで
今もア式の仕事をしている人がいて、
そして当たり前のようにこのブログを掲示してくれる人がいる。


これが今、私の属する組織だ。

私を取り巻く環境だ。

言うまでもなく、最高の環境である。


これからが楽しみで仕方がない。


「ある時はア式に染まり、ある時はア式にすらブラされない意志を持つ。
高い基準の当たり前を持ち、意志ある選択と行動をする。」

これが今後の人生を左右するだろう。


「選手」としても、質の高いプレーが当たり前になるように。

「1人の人間」としても、当たり前のように主体性を持ち、ア式を支え、そして社会とのつながりを生み出せる人になるように。


最高の環境で、最強の意志を持つ人間に。

4年をかけて私はなりたい。



成定真生也(なりさだまきや)
学年:1年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:日本大学藤沢高校

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