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【#Real Voice 2022】 「利己の心、利他の心」 1年・木庭正太郎 

   
「他人のために行動し、喜んでもらい、そしてともに喜びや幸せを分かち合い、さらには自分にも幸せが返ってくる。それが私が求める理想」



この度、部員ブログを担当させていただくことになりました、早稲田実業学校高等部出身、商学部1年の木庭正太郎です。ポジションはGKです。


普段あまり物事を深く考えずにボーっと過ごしているため、なかなか『部員ブログ』に書くことを思いつきませんでした...。そこで、私がこの早稲田大学ア式蹴球部という組織に入って半年をかけて気づいたことを書きたいと思います。うまく言葉にできるかどうかわかりませんが、どうか最後までお付き合いください。

人との出会いと気づき


私はザ・平凡な人間だ。何か特技があるわけでもなければ、決して頭がいいとも言えない。サッカーは多少できるが、他のスポーツは全くできない。人前で話すのも得意ではない。はっきりした将来の夢もない。幼いころテレビで見たサッカー選手を見て「すごい」と思い畳が擦り切れるまでキックの練習をするくらい単純だった。  


私はこのような者だが、世の中には様々な人がいる。

例えば、スティーブ・ジョブズのようなものすごいカリスマ性のある人、見た目も中身も大勢から好感を抱かれる人、誰にも気づかれないところでひっそりと、しかし自分に厳しく努力を続けられる人、何かを他人のためにすすんでできる人、自分の夢に向かってがむしゃらになっている人...。みな美しく素晴らしいし、自分も1日でいいからそんな人になってみたい(笑)。逆に、人が嫌がることを平気でできる人、人に言われてもなかなか実行しない人、自分にまともに向き合えない人、うまくいかないことを他人や環境のせいにしてしまう人...。私も後者の面がかなりあるので他人のことを悪く言えないが、もちろん改善した方がいいだろう(自分に言い聞かせる意味でも)。そんな人たちが、こんな人になりたい、または反面教師的に自分はこうなっちゃいけない、と私を導いてくれた。だから今後も多種多様な人と出会い、深い関係を築き上げたい(話が横道に反れました)。


小学校にも、中学校にも、中学のころ所属していた三菱養和JYにも、出身校である早実にも、今所属している早稲田大学にもア式にも様々な人がいた。とんでもなく頭がいい人、人を引き付ける「なにか」がある人、サッカーがめちゃくちゃ上手な人、誰よりも努力している人...。自分ももっと以前から努力すればよかったと本当に後悔しているし、これからもっと努力していかなければいけない。


しかし現実として努力だけではどうしようもないものもあるだろう。もしかしたら生まれつきの体、生まれ持った才能、育った環境、親の教え...による違いなのかもしれない(そんなことを絶対に負ける言い訳にしたくはないが)。失ったものを悔やんだってしょうがないし、もともと無かったものを「なぜ無いんだ」と憤慨するのも馬鹿馬鹿しい。それだったら、先を見て新しいものを手に入れた方がいい。

そこで私は考えた。今から変えられて、チーム、社会に不可欠なもの。

「ライバルを上回れるもの」「自分の武器」それはなんだろう。

ア式に来てから今まで毎日のように考えつづけている。



自分のための献身性

模範解答ではないかもしれないが、ア式に来た当初、私が出した答えは「プレーで劣るならそれをカバーするだけの献身性でチームに貢献するしかない」ということだ。その結果、ライバルにも勝てるし、社会で必要な人材になれると考えた。献身性を発揮するのはピッチ内もピッチ外も関係ない。献身性を全ての場面で発揮すると決めた。ピッチ内ではGKという1番後ろからすべてを見渡せるポジションで常に仲間に働きかける、ピッチ外では人がやりたがらない雑用も率先して行う。その姿勢を続ければ「いつか私はチームに必要な人間になれる」と考えた。


読者の皆さんの中には、競争社会の中で生き残るために「貪欲さ」が必要だと考える人もいるだろう。私も最初にそう考えた。それなら献身性など必要ない。他人には目もくれず練習し自分の技を磨きさえすればいい。入部前の私も「自分が上にあがるためには貪欲になって何が悪い」そう考えていた。実際、貪欲に練習しライバルから吸収し試行錯誤しないと永遠に劣ったままだ。それでは何のためにア式に来たのかわからない。もちろん試合に出たいし、自分のプレーで多くの人に良い影響を与えたい。ただ、自分は正直GKとして背が小さい。これから背がいきなり10センチも伸びることはないだろう。基礎技術もまだ足りない。基礎技術は毎日練習すればかなり上達するが、身長はどうしようもない。また、仲間も必死で練習しているのだから、猛練習で改善するだけでは差はなかなか縮まらない。心技体の「技」と「体」だけでなく、「心」つまり「マインド」も以前とは一変させる必要がある。献身性がマインドの多くを占める。マインドも伴って初めて、チームに欠かせない存在になれると考えた。



利己から利他へ

しかし私の考えは甘かった。

もちろん、誰かが声を出して、味方に指示をしないと失点してしまうし、チームも負けてしまう。誰かが雑用をやらないとチームは順調には進まない。それがピッチ内にも影響して勝てる試合が勝てなくなってしまうかもしれない。ただ、そもそも献身性って何なのか。それは結局誰のための献身性なのか。考えが甘いし浅かった。


さらに考えが甘いだけでなく、自分が決めたことが続かなかったのだ

自分のためだけにやっていたから続かなかったのだ。声を出すことも、雑用をやることもすべて自分が上に行くためだった。いつのまにか、声を出すという動作、雑用をするという動作を自分のために「ただやるだけ」になって、「自分がチームに必要な人間になる」ことだけを考えた行為になっていた。それが他人にどういう影響を与えるのか考えていなかった。本当は他人のためにやらなければいけないのに。

例えば、後半のラスト10分、みんながきついとき、自分もきついから声の量が減ってしまう。気分的にちょっと面倒だったから雑用を人に押し付けてしまう。自分のことだけを考えていたから自分に甘くなり、自分の弱さに負けて、逆にチームに迷惑をかけてしまった。これでは本末転倒だ。つまり、利己主義的な考え方だったのだ。

利己主義とは「自己の利益を重視し、他者の善行を軽視、無視する考え方」と辞書にある。

自分が楽をしたいから逃げてしまった。これは自己の利益を優先したことになるだろう。きついから声を出すのをやめてしまった、面倒だから雑用を他の人に押しつけた、これは他者(チーム)に迷惑をかけている。


つまり、それまでの献身性は自分のための献身性で、他人のための献身性ではなかったのだ。

その結果、自分の利を優先してしまったのだろう。

これが正式入部が決まるまでの私だ。


他人のための献身性

利己的な偽りの献身性に気づいた明確な転機はない。「ア式に来た当初に決めたこと、最近できていないな」とふと思っただけだ。強いて言うならば、入部を許可していただいた日に新人監督の先輩から「入部がゴールじゃない」という言葉をかけられ、「そういえば今まではどうだったかな」と振り返って気づいたのだ。

その時以来、もっと物事を深く考えるようにした。

そもそも私が目指す、チームが必要とする、社会が必要とする献身性って何だろう。利己主義って、利他主義って何だろう。今でも必死に考えている。



高校3年生になってからも、高校の顧問、森泉先生に、献身性、利他主義などなど口酸っぱく言われた。もしかしたらサッカーに役に立つかも、と、ちゃんと聞いていたつもりだが、正直、自分の中では「まぁ、こんな感じじゃね??」みたいな漠然とした捉え方で聞き流してきたのかもしれない。自分の中で、咀嚼して整理して実際にやってみて、ダメならやり直して...というサイクルではできていなかった。


まずは、正解なのかはわからないが自分なりの答えを出してみることから始めた。


正直、綺麗事のように聞こえる。とくに献身性、利他主義のところ。頭で理解するだけならできるが実際にやるのは相当大変だ。そもそも自分を犠牲にしなければいけない。しかし大切なことだ。今やっているサッカーでも日常生活でも、これから出ていく社会でも。


私が1番大切だと思うのは、利他の心で行動すれば、結局自分に良い結果が返ってくるということだ。(逆もしかり。)

人はよく「悪いことをしたらバチが当たるよ」と子供に言う。子供はその言葉で悪さをしなくなる。バチが当たるのが怖いのだ。一見おまじないのように聞こえるが、私はこの考え方は正しいと思う。

少し飛躍するが、例えばAさんが困っているのを私がわかっていて助けなかったとする。Aさんはどう思うだろうか。普通は「あいつがもし今度困っていても助けてやらない」という感情になるだろう。逆に私がAさんを助けたら、Aさんは「この前助けてくれたから今度あいつに何かあったら助けよう」と考えるはずだ(もしかしたらそう思わない人もいるかもだが)。

サッカーでも同じだ。練習で手抜いているやつを、試合でカバーしたり守ったりするのは複雑な気分だ。もしかしたら躊躇してしまうかもしれない。最後の1歩で足を出さないかもしれない。逆に一生懸命やっている人には懸命なプレーで応えるだろう。必死になって点を取り、ゴールカバーをし、シュートブロックをするかもしれない。


このように相手がよっぽど奇特な人じゃない限り、自分の行動によって、相手の自分への接し方が変化するのだ。

自分が困った時に助けてほしいのであれば、自分は常に他人のために行動しなければいけないと私は思う。まずは自分が率先していやな顔せず行動する。文句を言われないぐらい働く。次に他人と一緒にやる。結果が出たら一緒に喜ぶ。責任は全部自分がとるくらいの気持ちで役割を全うする。そうすることで、他人は自分の努力に対して報いてくれるはずだ。



私の理想

他人のために行動し、喜んでもらい、そしてともに喜びや幸せを分かち合い、さらには自分にも幸せが返ってくる。それが私が求める理想だ。

綺麗事なのかもしれないし、「社会はそんなに甘くない」と言う人も必ずいるだろう。だが、これが実現できればそれに越したことはない。理想を追い求め、しかし追い求めすぎて周りが見えなくならないように、これからもサッカープレイヤーとして1人の人間として、ア式で成長していきたい。



冗長で拙い文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

木庭正太郎
学年:1年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部

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