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【#Real Voice】 「失意の先にある決意」 1年・安斎颯馬

今回ブログを担当させていただく安斎颯馬です。
自分は文章があまり得意ではないので、今回はありのままの気持ち、サッカー人生を文字に書き写したので温かい目で見ていただけると幸いです。

さて、皆さんはこれまでに「壁」に直面したことはあるだろうか?
私が小学1年生の頃、兄の影響でサッカーを始めた。当時は区大会の1回戦で勝てば良い方であった。その後移籍などを経験し、小学5年生の時に初めての都大会出場。ここで1つ目の壁に直面する。グループリーグを突破し迎えた決勝トーナメント1回戦。0-8の惨敗。上には上がいるのだと思い知らされた。
そして2つの壁はすぐやってきた。小学6年生、全日本少年サッカー大会都大会。2回目の都大会にして、見事決勝に駒を進めた。しかし、結果は0-8。全国大会出場を決める試合、そして都大会で2度目の0-8での負け。言葉も涙も出なかった。

その後、FC東京U-15深川に所属。自分はご飯の量がなかなか食べられずしんどかったことや走り合宿など苦しいことがたくさんあったが、それでも楽しいことも多くあり充実した生活を送っていた。3年間の集大成である日本一を決める高円宮杯。私たちは決勝まで駒を進めた。そして白熱の戦いを繰り広げた結果2-2 PK5-6。自分自身2-1でリードしていた延長後半ロスタイムに交代。交代後に追いつかれ逆転PK負け。日本一には届かなかった。

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大きな希望と夢を持って進学した青森山田高校。待っていたのは想像以上の試練の続きだった。なかなか試合に出られない日々。高校2年生時に2度の骨折と手術。そして突如現れた新型コロナウイルス。多くの試合や大会が中止となった。それでも、なんとか開催してくださった第99回全国高校サッカー選手権大会。優勝することしか考えていなかった。優勝するために多くのものを犠牲にしてきたし、3年間この時のために苦しいことも耐えてきた。結果は決勝2-2 PK2-4。それでも届かなかった日本一。人生で一番悔しく、苦しかった。試合終了直後ロッカーにも戻っても、帰りのバスでも、ホテルの夕食会場でも涙は止まらなかった。家族、仲間、応援してくれる全ての人に申し訳なかった。この悔しさは一生忘れないだろう。

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このように私のサッカー人生は壁の連続であった。それでも今までこの壁を乗り越えてきた。ただ悔しさをバネに乗り越えたというのは私にとってはただの綺麗事である。サッカーを本気で辞めたいと思っても立ち直れた理由は「待つこと」である。実際には選手権後など何日間もボールに触れなかった。考えるのも嫌だった。しかし、時間が経てばボールを蹴りたくなる、またサッカーがしたいと思えた。おそらく、心の底にあるサッカーが好きという火はどんなことがあろうと自分の中から消えることはなかった。

ここで私が伝えたいのは、
大きな挫折や壁にぶつかり悩んでいる時、
やりたくないならやらなくてもいい。
やる時が来ればまた立ち上がり努力をすればいい。

これは決して逃げることではない。次に進むための充電期間である。ただし、やると決めたら立ち上がって今まで以上に努力をしなければならない。よく時間はないというが、それは自分次第だと思う。時間が物事を解決していくこともあれば、時間が成長させてくれることもある。大事なのは自分だけにあった自分自身の時間の使い方をすること。焦らず意思を持って自分のペースで自分の道を。そうすれば超えられない壁は存在しない。必ず報われる日が来る。ブレずに自分を信じ続けることで道は開けると思う。

最後に、私はこの春、夢であるプロサッカー選手になるとともに一人間としての社会価値を上げるため、サッカー以外にもさらなる可能性の場を広げるという野心を持って早稲田大学に入学した。もちろん、可能なら高卒プロになりたかった。しかしプロになるには実力が足りなかった。正直今でもプロになりたかった気持ちは強い。それでもここにきて半年、素晴らしい日々を過ごせているし、充実させられている。だからこそ、この4年間で自分がなぜ早稲田大学に進学したのかを常に自分に問いただし、どう価値を見出せるか、社会に貢献できるのか愚直に考え、それを体現していきたい。そしてサッカーでは、ひたすら誰かの心に尽くす。見てくれている人に活力、感動、勇気を与えられる選手になる。仲間と「日本一」を取る。自分が日本一に導く。そして必ずプロサッカー選手になって自分の手で証明させたい。

早稲田大学、そして
早稲田大学ア式蹴球部を選んで良かった、と。

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安斎颯馬(あんざいそうま)
学年:1年
学部:社会科学部
前所属チーム:青森山田高校

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