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【#Real Voice】 「灰色の自分」 3年・余合壮太

こんにちは。
口を開けば文句が出てくる余合です。
かっこつけたまとまりのないクサい文章かと思いますが、らしくないなと笑いながら最後まで読んでいただけると幸いです。

最近、ふとした時に考えてしまうことがある。それは、「違う世界線の自分」である。これを読んでる人も1度は考えたことがあるんじゃないだろうか。人生が選択の連続であるが故に「違う世界線の自分」は無限に広がっている。

例を挙げるとするならば、
「あの時怪我をしてないでサッカーが出来ていた自分」とか、
「早稲田大学の自己推薦入試に落ちて中京大学で死に物狂いでプロを目指す自分」とか、
「ア式を選ばずにサークルに入ってthe大学生をしてる自分」とか、
「FC東京のジュニアユースに落ちて林君(4年・林隆生)と同じ小石川中等教育学校に進み勉強一本で生きていく自分」とか、
「そもそもサッカーじゃなくて野球が生活の中心にある自分」とか。

挙句の果てには、「女に生まれてきた自分」を想像しながら、ア女にいたら無双してるかなとか、バロンドールとか取れるんじゃねとか思ってしまう始末である。他にも、「兄弟姉妹がいた場合の自分」「菅田将暉の顔で生まれきた自分」など挙げだしたらきりがない。(別に兄弟が欲しかったとかじゃないし、両親の愛を一身に受けられたことが何よりも幸せであることは重々承知の上です)

こんなことを考えてしまうのは、人間の本能でもある「ないものねだり」の一種なのだからだろうか。

「女に生まれてきた自分」以降の自分は、選択の余地はなく、現実的でないことを望んでいるため、紛れもなく「ないものねだり」だ。

でも、違う。可能性のあった、選択されなかった方の自分は、ないものではない。

では、何が「違う世界線の自分」を考えさせるのか。多分、この時期になって、自分は何者かを考えることが増えた。そして、自分が今、何者にもなれなかった中途半端な人間であることが原因じゃないかと感じた。

思い返すと、大学に入る前までは、自分が中途半端な人間なんて感じることなんかなかった。
中学は、FC東京の下部組織に入り、中学受検もして都立御三家の中学校に通う日々。FC東京の方でも、3年間出続けたわけではないが比較的出場時間は長かった方だと思う。しかも、多分誰も覚えてないし、らしいことを全くしてないから書くのが恥ずかしいレベルだけど、3年のシーズン当初に調子が良かったこともあって副キャプテンなんかもやっていた。中学校の方も、決して高い成績というわけではないが、確か偏差値63?の中で、中間ポジションは維持していた。FC東京の同期がみんな公立だったこともあり、自分は学業も頑張っていると錯覚していた。
これは、高校に入っても同じだ。ユースに上がれず、ユース年代最高峰のリーグに所属する市立船橋高校を選んだ。サッカー面では、確かに最初は苦しんだが、2年からはスタメンで、多分、この年で1番公式戦に出てたと思う。2年の終わりに監督から、「気にしてくれてるクラブもある」と面談で聞いていたので、多分そこそこには活躍していたのだろう。3年は、骨折とかもあり、上手くいかないことも多かったが。学業面でも、中学に比べて、周りのレベルが下がったこともあったけど、学年のトップ5には常に入り続けてきたし、授業中寝ることもあったが頑張っていると思っていた。評定も4.6あったし。

しかし、早稲田に来て、自分がここまで中途半端であったことを思い知る。サッカーでプロを目指すと公言している選手は、体のケアから自主練習、ピッチ外の行動まで、プロになる覚悟が感じられた。スタメンで出ていても、決して驕らず、サブの付け入る隙を与えない。スタメンで出ていることを納得させてしまう選手ばかりだ。
学業面でも、講義についていくのでいっぱいいっぱいだ。何かを学び得ようとする余裕なんかない。それも、大学以前の前提知識に差があることを痛感した。これは、最近始めた就活でも実感する。知識があるから言葉がポンポン出てくる。自分はそれを感心することくらいしかできない。グループワークでも、すぐに意見が飛び交って自分が入る隙間なんてなく、意見を求められたら、「○○さんと同じです。」と言ってしまうことも多々ある。実際、部内にも、英語ペラペラで話すやつがいたり、講義以外の資格に挑戦して好成績を収めているやつもいる。そんな本当の意味でのトップレベルの環境に来て、初めて自分がどっちつかずの半端者ということを理解した。

本気でプロになりたい、俺はプロになるという覚悟の持った自分はもういない。かといって、学業を頑張ってきたと自信を持って胸を張って言えるような自分ももういない。白黒はっきりしていない自分。

人は、白黒はっきりつけたがる。
この白黒はっきりしてないのが嫌で、白黒はっきりとした自分を「違う世界線の自分」で想像していたのだろうと思う。



でも、「違う世界線の自分」を想像するのはやめた。
白黒はっきりさせなくたっていい。
中途半端な自分を受け入れる。それも1つの良さだと。
そもそも社会で日の目当たるような人間は一握りだし、ほとんどが突き抜けた何者かにはなれない。

灰色だからこそ白と黒が理解できる。尊敬できる。かっこいいと思える。

だから、白や黒を追求する人を応援できる。支えられる。

そんな存在でありたい。


同期のみんな、夢を叶えてくれ!

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余合壮太(よごうそうた)
学年:3年
学部:社会科学部
前所属チーム:市立船橋高校


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