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「読まないでください」 2年・西堂久俊

「読まないでください」って言われると読みたくなりませんか?
ちょっとでもそう思ってしまったそこのあなた。僕の思う壺です。
別にそう思ってしまったわけではなく、ただ開いたあなた。
普通に読もうとしてくれて、ありがとうございます。
はい、今年もやってまいりました。西堂久俊の部員ブログです。
個人的にはこの企画は、面倒くさいと思う反面、好きでもあります。
去年もこんな事言った気もしますが、貴重な機会だと思うから。
しかも、書き始めると意外と楽しい。

しかし、生方ほどの文才は無いですし、佳哉ほど周りと一線を画した内容ではないです。
そんなに興味深くもないし、なんだか心にグッとくるようなものでもないかもしれません。
ただただ、綴ります。包み隠さず。僕の中にあるものを。
なにか届けば、伝わればいいかなと。決して多くはなくていい、少なくとも誰かに。


はい。ということで
今回のブログは2本立てでお送りしたいと思います。

1つ目が「我が好敵手」

2つ目が「最近思うこと」

それではさっそく行きましょう!



「我が好敵手」

僕には心の底から負けたくない好敵手がいます。
衝撃のカミングアウトに驚いている方もいるかもしれません。
「え?お前にもそんな感情あるんだ」
「好きなことを好きなようにやっているんじゃないの?」
そう思った人いるでしょ?
いやいやいや、あるんですよ。僕の中にも沸々としたものがあるんです。


さぁ、どうでしょう皆さん。

「あなたには好敵手がいますか?」

この質問に即答で「はい」と答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか。
こういった存在がいることを認めるのも、ましてや公言するなんてなんだか恥ずかしいですよね。
わかります。でも、そんなのどうでもいいくらいの好敵手が僕にはいます。
負けたくない存在。というより、なんか負けちゃいけないって心が叫んでいるような、そいつには劣るな、って思考とかの及ばないどこかから湧き出るなんとも言えないような、そんな存在。
もう1度考えてみてください。
「自分に好敵手はいるのか」
もしいるのならば、それはとてつもなく幸せなことなのではないかと僕は考えます。
だって、焚きつけてくれて滾らせてくれるんですよ? そんな最高な外的要因ありますか?
無いでしょ。僕は1分考えましたけど浮かびませんでした。
もうね、本当に存在してくれるだけで感謝。本当にありがとうって感じ。
そんな存在がいる僕は幸せ者だなと思います。
ただ、好敵手がいる幸運を喜び、感謝すると同時に、自分の弱さに嘆き、苦しむ自分がいました。外的要因でしかスイッチが入らない自分。自分ではスイッチを入れることができない弱俊に気づいてしまったのです。

我が好敵手であるそいつは、僕が関東リーグとかに関われている一方で、試合に絡めず苦しい時間を過ごしていました。僕の中に少しも優越感が無かったと言ったら嘘になります。
そんな矢先に怪我をした。悔しいというよりは苦しかった。何でだよって。そこからは尊い日常が本当に何となく過ぎてしまっていた。成長欲求や理想像とは裏腹に、何も積み重ねられていなかった。サッカーができないことは苦しかったけど、何故か置いていかれるとかそういう焦りはなかった。そんな心情の中、僕は怪我人期間を過ごした。
そんな怪我人期間のある日。夕方、既に日課と化した筋トレを終えた弱俊は、一休みとプロテイン片手に部屋でダラダラしながら携帯をいじっていた。何げなくTwitter見ていると急に眼に飛び込んできた。その写真が。どの大学のサッカー部も載っけているよくあるスタメン写真。そこには見慣れた顔があった。見慣れたっていうか常に頭の中にはいたやつだよ。そいつだよ、我が好敵手だよ。この瞬間は鮮明に覚えている。
「え、出てんじゃん」 それが第一声。声出ちゃったもん。本当に。
と同時に弱俊はすぐにYouTubeを開く。今は関東リーグYouTubeですぐ観れるからね(本当に運営の方々の尽力には感謝しかないです)。ちゃんと出てたよ。そいつ。13番つけちゃってさ。そいつは高校の同期で、苦楽を共にした。あの激動の3年間はそいつのおかげで成長できた。自分よりうまいし、強いし、速さは同じくらい。でもなんかとにかく自分より上だった。でもそんなに上ってわけじゃない。いつしか僕の中で好敵手になっていた。それまでは好敵手とかって、なんか子供っぽいしクセェだろって思っていたが、あいつより、、、って。あいつには負けたくないって。僕の核がそう思ってしまった。そう強く意識し始めたのは高校3年の春くらいからかな。ここだけの話、後期プレミアのアントラーズ戦の途中交代後に当時の監督にそいつと比べられて「雲泥の差だぞ」って言われて試合終わるまでひたすら泣き続けたということがある。その日の自己評価が高かったというのもあり、ナイアガラの滝かってくらい涙が溢れた。その時は弱俊お得意の開き直りでナイアガラの滝はしっかり枯渇させてやった。でも、人生で1番泣いた。それは自分の中でそいつがどれだけでかい存在かを物語っていたのだと今では思う。それまでは曖昧だったそいつとの差を明確に突き付けられた瞬間だった。今思い出しても、すっげー悔しかったな。そいつに限らず高校の同期たちの活躍は刺激になる。関西勢も頑張ってる。もちろん関東勢も。
高校の振り返りはこのくらいにして話を戻します。試合を観て、試合というよりはそいつを見てた。13番が躍動する度に自分が惨めになった。なんか見ながら、泣きかけたよ。涙流れかけた。でも、泣いてはない。マジで。念のためもう1回言う。本当に泣いてはない。

いろんなものがこみ上げてくる。
まとめると、「なにやってんだろ、俺。」
支えてくれている人、応援してくれている人たちに申し訳なくなった。
特に両親。離れた東伏見の地から謝った。ごめんって。実際に伝えてはないけど。
でも、そんなのはただの良心の呵責で、それを思うことで自分の心の安定を図っただけ。防衛機制のようなものかもしれない。そう、こんなところにも弱俊がいた。
ただ、その時弱俊は誓った。もう支えてくれている人、応援してくれている人に申し訳ないとは思わない。そのような感情に苛まれるような行動はとらないと。そこからは大好きな筋トレにもより一層真剣に取り組み、復帰後の自分をイメージしながら有意義な取り組みができた。これも我が好敵手のおかげだった。そんな存在がいたからこそ今の僕がある。それを振り返った今、再び感謝の思いでいっぱいになった。これまでそいつ呼ばわりしてきたそんな彼は佐藤圭祐(専修大学)だ。この場を借りてもう1度言う。本当にありがとう。これまでこの文章の中でそいつ呼ばわりしてごめん。そしてこれからも切磋琢磨していこう。

我が好敵手よ




「最近思うこと」

最近よく思うのは、「結局は人じゃね?」ってこと。僕は以前まで、僕らはサッカー部なんだしサッカーが1番大事でしょ。ピッチ内で圧倒的に示せていればそれでいい。そう考えていました。特にプロを目指す人間なんかはそういった思考になりやすいようにも感じます。
でも、僕らはサッカー選手である以前にまず人間だよな。人としてのパーソナリティは無視していられないなって。ピッチ内だけの人間にはなりたくないな。そう思うようになりました。自分ができることなら与える側の人間になる、誰かのために。目の前の損得勘定で動いてしまわないように。その時は自分にとってマイナスしかないかもしれない。時間食うし、それやって意味あんの? 俺に得ねーし。みたいなことは沢山ある。でも、因果応報って言葉がある。誰かのためを思って行動をしたなら、誰かが自分のためを思って行動してくれるよ。その先にある見返りを求めるわけじゃない。良いじゃないか、その時自分に得が無くても誰かのためになれているなら。巡り巡って返って来るのだと。悪いことも良いこともそうなんだ。そういう考え方で生きていたい。まだまだそういう生き方には程遠い自分がいて、目の前の損得勘定で動いてしまいます。結局、自分優先。ここにも弱俊がいました。
去年同様に高校時代の監督の言葉になりますが、
「サッカーがなくなった後に何が残るのか。人としての部分が問われている。」
それが結局プレーヤーとしての成長にも繋がるんだなと、今になって刺さる。何であの時の刺さんないんだか。相当幼かったのかな。刺さってるってことはちょっとはマシになれてるのかな。まだまだ未熟ですが、そんなことも考えます。
ここ最近で僕の中で起こったこのパラダイムシフトは、今後の自分にとって非常に大きなことだと思います。こう思えたのもア式蹴球部にいたからかもしれない。これまでの人生では無かったア式での色んな経験がそう思わせてくれたのかもしれない。こう思えただけでも僕はもうア式に来てよかったって言えます。

さらに、僕が「結局は人じゃね?」って思う理由が今年の4年生の姿です。
僕の中には
「4年生と少しでも長くサッカーがしたい」「4年生のために頑張りたい」
そういった明確な意思が芽生えていました。なんでって聞かれるとなんだか言語化しづらいですが、例えば常に誰よりも盛り上げて引っ張ってくれているBチームの長感が半端ない(僕の中で)修世君(小山修世)の姿。常に200%のデラ君(小野寺拓海)の姿。練習が始まったら過去出会ったことのない熱量で取り組む副将の晃士君(山田晃士)の姿。圧倒的な発言力でチームをまとめプレーでも引っ張る主将の杉君(杉山耕二)の姿。そんな姿が後輩をそう思わせているのかもしれません。これらはほんの一部に過ぎません。今挙げた、4年生のような人材を生み出したのは4年生という集団だと思います。後輩にこう思わせる4年生は本当に素晴らしい学年なんだなとつくづく実感します。単純に憧れたし、自分たちもそうなりたいと思わされました。本当にカッコイイ。




秋も深まり、2年目の終わりが見えてきた。グラウンド周りの大量の落ち葉を掃きまくって、「え?もう時間?」と思っていた1年前が今でも鮮明に思い出される。ほんのちょっと前だったかのように。ア式で過ごす大学生活はとんでもなく早く進むように感じます。
もうすぐ大学生活の折り返し地点を迎えると思うと、プレッシャーを感じずにはいられません。あと1年ちょっとで4年生になる。僕らの学年はどこまでいけるのだろうか。今の4年生に届くのだろうか。プレッシャーはある。それすらも楽しもう。やってやろうぜ。ア式の同期たち。(下の写真、橋山、中村、西尾がいません(笑))

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これまで、ブログ内で度々出てきた弱俊君。そんな彼と決別すべく、これから奮闘する日々が続くでしょう。去年の一喜一憂久俊とはなんとかお別れしましたが、まさに自分との戦いです。頑張ります。弱俊ぶっ飛ばします。


ここまで長々と綴ってきましたが、ここらへんで終わろうと思います。
冒頭でも書きましたが、誰かに何か届けば、伝わればいいかな。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた来年!



西堂久俊(にしどうひさとし)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:市立船橋高校


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