舞台が日常の中に溶け込むウィーンで、オペラの新しい演出レシピを考える佐藤美晴さんの話_あのとき、私は(飛行機に乗って)
はじめに
あのとき、私は(飛行機に乗って)とは、2021年から早稲田小劇場どらま館のnoteにて連載されていた記事企画の特別出張版です。海外を拠点に活動されている方を対象に、「学生時代、何をしていたか?」を聞いています。
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今回のインタビュー
③佐藤美晴さん(演出/オペラ・ムジークテアター)
オペラと出会ったのは大学の授業
ー佐藤さんが舞台芸術に興味を持ったきっかけはなんでしたか?
幼少時からクラシックバレエの音楽などが好きで、舞台芸術の仕事をしたいと思っていました。小学1、2年生から本を書いており、台本を書いたり演出のようなことを始めたのは小学校4年生ぐらいでしょうか。既存の作品を学芸会用にコンパクトに収める翻案のようなことを小学校の演劇クラブでやっていました。小学生時代からブロードウェイミュージカルにはまっていて好きでした。高校の時にクラシック音楽に触れるようになって、大学の授業ではじめてオペラに出会いました。
オペラの魅力は、外国語であっても音楽によって感情やストーリーが理解できるところです。例えば「ショーシャンクの空に」という映画で、主人公が刑務所内で、オペラの一曲を刑務所中に放送する場面があります。主人公は「なんて言っているのかわからないけれど最高だった」と言うんですね。その曲は、実際はモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の3幕「手紙の二重唱」で、イタリア語で歌われているのですが、その言葉の意味が全くわからなくても、この200年以上前に書かれた音楽になぜか心を打たれるのです。私もこの映画を初めてみた高校生の時には、これがモーツァルトだとか、イタリア語であるとか、全く知りませんでしたが、非常に感動しました。
ちなみに、一般的な日本人が能のテキストを聞き取れないのと同じように、ドイツ人であってもドイツオペラのテキストを全て聞き取れているわけではありません。しかし一部でも何かエッセンスが汲み取れれば、観客の想像力次第で、歌は味わい深い体験になる。このように、オペラは言葉を完全に理解していなくても、歌の力、オーケストラの力で、虜になる人がとても多い不思議な魅力があります。
大学3年生の時点では劇場の制作部に入ろうと思っていましたが、その時期にオーケストラサークルの繋がりでウィーンにお住まいの演出家の方に出会いました。「劇場の制作部に入りたい」と相談をしたところ「演出のアシスタントで入るならできるかもしれない」とお話をいただき、大学3年の終わりにはじめてプロのオペラの演出家の現場にインターンの形で入りました。
当時の私はオペラの演出家の仕事内容はよく分かっていなくて、プロデューサーと演出家の仕事内容の違いも現場に入ってから知ったんですよね。大学では学べなかったことを現場で学んでいきました。稽古場では、演出家と歌手とのディスカッションによって作品が鮮やかに立ち上がっていく現場をたくさん体験し、演出することの面白さがよくわかりました。指揮者と演出家が共に音と絵を作って舞台を立体化していくことはとても面白い作業ですし、世界中の個性溢れるアーティストたちと一緒に仕事をすることもとても魅力的でした。
ーウィーンの演出家の方に出会ってからドイツ語の勉強を始めたということですか?
そう。それまでは全くできませんでした。
ーなるほど......(現在大学3年生の私)
また、同時に大学の指導教授の勧めもあって慶應の大学院に進学しました。もう少し作品の専門性を持ちたいなと思って、修士論文では20世紀初頭のウィーンの舞台美術や演出の歴史について研究することにして、1年間ウィーンに留学しました。 その時の修論は今でもレクチャーで使うことがあるくらい、結果的に良い持ちネタになっています。
修士論文執筆途中に、東京芸大の大学院生から「フィガロの結婚」演出の機会を頂き、幸いその舞台が高い評価を得て、次の演出機会へと繋がっていきました。大学院に行って良かったと思っています。初めての演出に没頭できた貴重な時間でもあり、留学は研究に集中できる最高の機会でした。それから、夢をなくさせるのもあれですが、演出だけで食べてる人はほぼいないと思います。 みんな学校で教えたり、芸術監督やドラマの脚本など、他の仕事と兼任しています。私は運よく研究テーマのリサーチを続けていて、演出をしながら大学教員になることができました。
どこで「ご縁」を手に入れるのか
大学院の時の『フィガロの結婚』でデビューした後、ご縁で徐々に演出助手の仕事が入ってくるようになりました。海外の歌手とリハーサルするなど常に多言語が飛び交うような現場にいて、ここで自分が役に立つ仕事はなんだろうと思い、通訳の仕事も視野に入れながら語学力を身につけようと勉強をしていました。
新国立劇場のオペラ部門の助手を30歳ぐらいまでやっていました。それが生活の中心だったと思います。新国のオペラだと演出家も出演者も多くが外国人なので、英語やドイツ語を使って仕事する環境でした。アシスタントディレクターという肩書きで、テレビで言う AD さん。とっても大変な仕事でしたが、沢山の方々と出会えて充実していました!
新国立劇場のオペラ現場に入ったきっかけは、早稲田大学大学院の授業でした。当時、早稲田、慶応、学習院の単位互換制度があり、この3つの大学の大学院生は授業を交換できたんです。他大学で学べて人脈も広がる、とてもいい制度でしたね。早稲田では劇場実習の授業があり、早稲田で教えていらっしゃる先生方のつてを使って、実際の現場にインターンとして入ることができたのです。日本で一番入りたい現場に入ることができ、非常にありがたい授業でした。そのインターンのおかげでその後新国立劇場での演出スタッフの仕事の発注を頂くことになり、その後演出助手の仕事を受注されるようになりました。
ー人とのつながりが仕事を依頼されるにあたって重要になると思うのですが、そういった人脈を掴むためにしていたことはありましたか?
そうですね、オペラの世界に関わっている人というのは多くないので、最初は誰に相談したらいいかわからず困っていました。当時、ある若手オペラプロデューサーの方が非常に興味深いブログをやっていて、それをいつも読んで現場のことを想像していました。大学4年生秋、いよいよ進路を決めなくてはいけない時に、思い切ってこの方にコンタクトをとりまして、進路相談のような形で話を聞いてもらったことがあります。その方が書いていた「演出とは何か」「プロデュースとは何か」などのブログが、当時の私にとって凄く響く内容だったんです。その方には当時すごく応援してもらいました。今度20年越しに演出としてお仕事でご一緒することになりました。
ー他のインタビューでも思ったのですが、舞台芸術は特にキャリアを進めるのに正統なルートが全くなく、縁で繋がるしかない世界だなと感じます。でも佐藤さんは大学4年生でその後20年続く縁を自分で手に入れていたのですね。
日本人としてどう演出するか
その後30代になるのを機に、演出助手を一時中断して演出活動を中心にしたところ、演出した作品を多くのメディアで取り上げて頂き、幸い五島記念文化賞オペラ新人賞を頂くことになりました。その副賞として1年間海外に行く奨学金を出していただけることになり、ウィーンとシュトゥットガルトとベルリンとイギリスに、転々と海外研修しました。
ー今度はドイツ語圏だけでなくイギリスにも行ったのですね。
私はドイツ、イギリス、イタリア、アメリカ、日本出身の様々なタイプの演出家と仕事してきた中で、自分はもう少しイギリスの演出を学びたいと思っていたので、イギリスに留学しました。シェイクスピア演劇の伝統、フィジカルシアターの伝統があり、エンターテイメントとシニカルな笑いもある。イギリスに1年間弱いたからこそ、外からドイツ語圏を見ることができました。ドイツの演出というのは、設定を根本から変えてしまう演出も多く、演出によっては、観客に故意に不快感を与えるものもあります。観客に対する演出家からの挑発によって、古典作品について考えさせる。エンターテインメントの逆ですね。こういう演出はいつも賛否両論を起こしますが、そのことによって観客も作品について新たに見つめ直すという側面があります。オペラ劇場はただ過去のものを陳列するだけの博物館ではない、アクチュアルなものである、というのが演出家たちの主張です。ただし、そのやり方にセンスが問われますね。演出には職人的な要素もあるので、演出技術がない人が作る舞台はひどいものです。
ー国や言語によってそれぞれ魅力や演出の傾向が違うのですね。ドイツが作品を疑問視する演出をしがちなのは、私もこの滞在を通して強く感じています。
研修先の国は学びたい演出家で選んだのですか?
プロダクションと演出家で選びました。ピーターブルックの演劇のカンパニーにいらっしゃった笈田ヨシさんという日本人の演出家であり俳優がいらっしゃるのですが、ロンドンのENO(イングリッシュ・ナショナル・オペラ)では彼が演出した「天路歴程」というオペラ作品で研修を行いました。笈田さんは60代になってからオペラの演出を始められて今はもう90歳近いですが、現役で今もお仕事をなさっています。私がオペラ演出に興味を持ったきっかけが、ピーター・ブルックが演出したオペラで、華美な装置、装飾、大げさな演技を避け、簡素な舞台で人間そのものを見せる舞台でした。ピーター・ブルックと多くの共同作業をされてきた笈田ヨシさんの演出は、日本や世界の哲学をも感じさせる舞台で、深く美しい唯一無二の演出です。演出家が出演者を支配し作り上げる演出ではなく、出演者を導き、それぞれの花を開花させていくような演出をされます。演劇のプロセスの話なので、稽古を見てはじめてわかることが沢山あります。世阿弥から繋がる日本の舞台芸術と、西洋の舞台芸術のどちらの要素も融合されているようなまったく独特の世界で、彼のもとで学びたいという気持ちが私の中で大きかったです。ヨシさんからは多くを学び、私が最も影響を受けている演出家です。
ENOでは、日本でも多く演出しているサイモン・マクバーニー(※2)の演出するオペラ「魔笛」にも入りました。野村萬斎さんや野田秀樹さんも彼のコンプリシテで研修をされていますが、演劇におけるフィジカルについて考えているカンパニーなので、身体性と音楽について考える非常に良い機会になりました。
ー自分の演出術が見えはじめたのもこの留学があった後ぐらいからなのでしょうか。
そうかもしれないですね。私は特定の劇団出身とかではなく、いろんな場所を渡り歩きながら自分なりの演出を見つけるやり方なので、説明しにくいのですが、、、。海外に研修に出た演出家は、研修の後作品のスタイルが大きく変わることが多いです。おそらく海外経験で知らず知らずのうちに吸収した学びが作品に出てくるものだと思います。
私の一つのテーマとして、「日本人としてオペラにどう向き合うか」を考えた時に、松でも飾るとかちょっと和風にするとか...そういう外面的ではない内面の表現に興味があって、今もその表現を探っているのですが。
2016年にハンブルク歌劇場で初演された平田オリザ作・演出、細川俊夫作曲のオペラ「海、静かな海」は、福島の近未来を題材にしたドイツ語の現代オペラです。私はこのプロダクションでは演出助手で、ドイツで日本を舞台にした現代作品を作るという経験から非常に多くを学びました。日本人が制作する舞台は、以前は歌舞伎のようなスタイルが多かったのですが、近年は、より現代日本的な作品もヨーロッパで関心を集めるようになりました。とはいえ、ロボットやアンドロイド、寿司などのイメージを持たれやすいという事実もまだまだあるのですが。
ーでは日本人としてのアイデンティティのようなものは、どのような形で作品に現れるのでしょうか。
私が関心があるのは、深いところに眠っている無意識の部分です。誰かの夢であったりおばけが出てくる時など舞台上の曖昧な部分を、視覚的な情報や音楽を聞いたりしながら自分の想像力で補っていく鑑賞というのはヨーロッパでも日本でも変わらないと思います。例えば、昨年ウィーンで台本と演出をつとめたマーラーの歌曲を題材とした音楽劇は、村上春樹的な不思議なファンタジー世界でしたが、ウィーン出身の主演歌手は村上春樹の小説を全て読破していました。そんなに読んでいるとは私も驚きましたが、ヨーロッパでは村上は本当に人気なんですね。おかげで世界観がすぐに伝わり、仕事がとてもしやすかったです。私の作る舞台では、音楽から観客が勝手に想像できるような環境を整えて、夢の世界がつくれたらいいなと思っています。
今までの日本人の留学って、海外のものを一生懸命勉強して、海外のやり方を日本人が真似できるようになって持って帰るっていう内容が大半だったと思います。それはエンターテインメントとして悪くないですがどういう小道具を使ってどういう方法論でやったらいいのか、そこは私もまだ答えは見えてないですが。稽古場で、その演目で、やってみるしかない。やって行く中で見えてきたら、やっと何か言えるかなと思うんですけどね 。
ー私は普段オペラはほとんど見ないのですが、高校の時の芸術鑑賞授業で新国立劇場の『トスカ』(※3)を鑑賞したことがあります。音楽に詳しい人が客席に集まって、豪華なドレスを着た歌手が歌うというイメージが強いです。新しい演出がオペラで生まれているという印象がなかったので驚きました。
私が演出した魔笛は中高生向けでしたが、主役二人を高校生にしたり、親世代を昭和的な男社会をイメージして描いたりと、けっこう読み変えもしました。新しい試みをすることは、常にリスクも伴います。うまく行くかどうか作ってみないと分からないところもあります。既視感があるものをちょっと風味を変えるくらい、例えば普通のカレーはこうだけど今回はちょっとお醤油を混ぜようとか、和風にしてみようとか、それならば比較的リスクは少ないです。でもレシピを一から問い直し、作り直すのはシェフにとって挑戦です。
どこまで冒険を許されるかはプロデューサーが重要で、万が一評判が悪くても構わないからこの演出家にやらせてみようっていう度胸があるかどうか。ウィーンでもそれで失敗してる作品って結構あるんですが、そのようなリスクがあっても、新しくて面白いものが作ろうとしている、ポジティプな空気、姿勢がヨーロッパの劇場文化には少なからずあります。
ー例えば、ウィーンで一番有名なStaatsoper(ウィーン国立歌劇場)(※4)は、外観しか知らないと古風で正統派なものが多いように見えますが実際オーソドックスな演出のものとチャレンジしているものの割合はどのくらいなんでしょうか。
オーソドックスな演出はもう1/3以下だと思います。
ーえー!そうなんですか!
あまり知られてないのですが。ただ、ウィーンだからオーソドックスなのが残っていますが、ドイツ語圏の多くのオペラハウスはモダンなプロダクションが多いですね。
ーオペラの演出に演劇の演出家が最近よく呼ばれるのも関係がありますか?
そうですね。ダンスの演出家を起用すると身体性を使う演出になるように、面白いことをやるんだったらもう別の分野の人を呼んでこようという流れがあります。逆にオペラにずっと向き合っている演出家は割と過激な演出の方しか呼ばれないことは残念です。
舞台が日常の中にある生活
実は、ウィーンではオペラに出演もしているんです。
ーええ!?歌うのですか?
ううん。歌わない役があるんですよ。
ーどういう経緯で出演に至ったのですか?
元々劇場のチーフドラマトゥルグを知っていたのですが、ある時に出演者のオーディションがあって、声をかけられて受けたところ通りました。その後、コンスタントに依頼をいただき、私は演出の勉強になることもあって、出演活動もしています。アクロバットやダンサーなども登録しています。
ーそんな役割があるのですね!初めて知りました。
誰かが病欠の時に代役として入る場合、演出助手が代役の人をつれて舞台裏のツアーをやり、出番のポイントだけ教えてもらって、それですぐ本番です。オペラの出演も日常の中にあるんですよね。リハーサルの後に帰宅して、夜ご飯を家で作って食べた後に、夜公演に出演したり。そこがウィーンの素敵なところだと思っています。
出演の仕事と同時に、劇場演出スタッフの仕事も並行しています。ここでは演出助手の補助などをする仕事です。
ー日本では舞台芸術はむしろ非日常に近い営みですよね。お客さんも非日常を求めて劇場に来ますし、スタッフも公演中は日常より忙しくなるはずです。しかし、ウィーンは音楽の都と言うだけあって、オーケストラ、歌手、スタッフが自分の生活と公演を両立しながら働ける方法を実現しているのですね。日常のまま舞台をつくることができるような働き方にはとても憧れます。
インタビュー日:2023年5月2日
あとがき
私がウィーンに降り立った初日の感想は、「こんな絵本の世界みたいな国ほんとにあるのか」でした。特にシュテファン大聖堂やその付近の街並みは笑ってしまうほどどこもかしこもバロック建築で、自分はこの街に似合わないなとすら思いました。当たり前ですが土地感覚は全然ない上、昼間からビールを飲む人たち、歩行者を気にせず猛スピードで走行する自転車(ウィーンは自転車優先)、劇場に行っても皆ワインを片手に談笑しています。私は2週間のウィーン滞在で、土地には慣れたものの馴染むことはできなかったなと感じました。
佐藤さんのお家に行く際もどの建物か分からず周辺をおろおろしていました。
このインタビューが終わった後、普段は見ることのできないウィーン国立歌劇場の中のスタッフのいる裏側や稽古場を見る機会がありました。それまでウィーンの白い街並みやバロック建築などをはじめとした綺麗な部分しか見ていませんでしたが、スタッフ同士の会話や大きな舞台袖で大勢のスタッフが作業している様子はまさに日常でした。公演準備をする人々の様子をこの目で見ることができ、歌劇場の建物の中にある温度や手触りが感じられた時間でした。いつか佐藤さんが演出するオペラをあのStaatsoperで鑑賞してみたいです。その時には、私は幕間でワイン片手に談笑するようになっているかもしれません...(笑)
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