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モーレツ!オトナになりたくない!〜新社会人の戯言〜

新社会人になった今年、生まれてから幼少期、学生時代を過ごした平成が終わり、令和に変わる。



社会人になる、というだけで人生のターニングポイントなのに、元号が変わるということで、学生の自分と社会人の自分の間に引かれた線が、色濃いものになっていく。


「お前はどうしたい?」

私の会社では、日々この問が繰り返されると入社前から繰り返し言われて来た。

私、どうしたいんだろう。

できることなら、大学生の頃に戻りたいかな。

大学四年生は嫌だ。社会人になる自分が苦笑いでバトンを待っている姿がちらつくから。
三年生の頃だって、サークルも引退して、嫌が応にも将来について考えなくては、もしくは考えているフリをしなくてはならない。

大学二年生の頃はどうだろうか。

あの頃は良かった。
サークルに打ち込んで、常に頭の中はそればかり。日に焼けた肌は、その努力を証明するような勲章にも思えた。喜怒哀楽、すべて全力。先のことなんて考えずに、ただ、がむしゃらに前だけ見て走ってた。その時は分からなかったけど、今ふりかえったら、とても眩しい。


お前はどうしたい?

・・・懐かしい、その頃に戻りたい。

もちろん、こんな答えは求められちゃいない。

未来だ。

どんな未来を思い描いていて、そのために今、自分が何をしたいか、何が出来るか、さらにはそれを実現するという意思確認。そういうことを聞かれている。

しかし、過去のことを振り返り、そこにとことん沈みきるというのは、なんとも形容しがたい快楽がある。どれだけ戻りたいと願っても、もう戻れないと分かっているゆえなのか。


「懐かしいってそんなにいいものなのかなあ」
「さあ」
「やっぱりオトナにならないと分からないんじゃない?」

クレヨンしんちゃん『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のワンシーンだ。
オトナたちが昔の懐かしいにおいに魅了されている姿を見た、かすかべ防衛隊の会話。
オトナたちは子どものことなんか忘れて、昔を回顧することに夢中になっている。

小さい頃は、オトナたちが子どもに返ったように遊び、ひろしとみさえがしんちゃんを忘れてしまう場面が強烈に記憶に焼き付いて、怖くて仕方なかった。

『懐かしい』という感情は、子供には得がたい、オトナだけの特別な感情なのかもしれない。

その時代をすごしている時には気づかずとも、振り返ってみた時に、なんてことない日常の一ページだったものが急に尊く思えて来る(少し補正もかかりながら)。


全力で打ち込んだサークル活動も終わりを迎え、就職活動を通して社会人になるという現実と向き合わなくちゃならなくなった。

就職活動を終えてから、卒業までは本当に言葉のとおり一瞬だった。
大好きな人たちと旅行に行き、アルバイトをして、また旅行に行き、オールで酒を飲んで、昼寝して。

さして特別なことではない。
大学生はみんなすることだ。

だけど、

社会人になったら、もうこんなこともできなくなるからね。
社会人になるまでにやっておきたい。
社会人になんてなりたくないよ。

私は、オトナになる、ということに言葉にしがたい嫌悪感を抱いていた。
歳を重ねても、どこかで自分だけは絶対にオトナになんかならないと本気で思っていた。

いよいよ子どもからオトナになるのか、なってしまうのか、という不安を搔き消すように、そんな言葉を免罪符みたいにしてやりたいことは何でもやった。


実感が湧かないまま、ふわふわとした感覚で袴に袖を通し、卒業式を終えた。
大好きな後輩達に送り出され、アルバムやプレゼント、そして花束を両手いっぱいに持って、翌朝の小田急線に揺られた。

あっという間に入社式。嫌だ嫌だと思っていたものの、意外に悪くない。頭を使いすぎて帰り道では音楽を聴くことすら出来なかったけれど、充実感があった。

初めての華金に尊敬する素敵な同期と飲んだプレモルは今までにないほど全身に染み渡ったし、ハイヒールで大都会を闊歩する自分のこと、嫌いじゃない。

だけど、初めての上長との面談。

その質問が来た。

「これから、どうしたい?」

冒頭でこの問いに対して、私はどうしたいんだろう?と書いたが、実の所、成し遂げたいこと、叶えたい世界だって、私にはちゃんとある。
たしかにある。

それを実現しようとする上で、今の環境に不満なんかない。才能に溢れた同期、失敗を推奨して優しくバックアップしてくれる先輩。十分すぎるくらいだ。

けれど、「あの懐かしい大学生の頃に戻りたい」。それがすぐに頭に浮かんだから、慌てて奥にしまい込んだ。

口から出かけた言葉を飲み込み、体良くそれらしい言葉を切り貼りして取り繕って、なんとか終えた。
けれど終えた途端に力が抜けて、なんだか泣きたくなった。実際には、涙は流れない。


いつの間にか懐かしいという気持ちを感じられるようになっていること。

ビールがおいしいと思えること。

本当の感情を押し込めて、それを誰かの言葉で偽って、無かったことにできること。

泣きたくなってもグッと我慢できてしまうこと。

全部が、たしかに自分が大人になっていることの証明に思えた。

毎日いっぱいいっぱいで、過去のことを振り返る暇なんてない、確かにそりゃあそうだ。でもふと力が抜けた一瞬の隙に、甘く、愛おしい過去に思いを馳せることがやめられない。

「ちくしょう!なんだってここはこんなに懐かしいんだ!!」

正気を取り戻したひろしが、懐かしさに溢れた場所を惜しみつつ、元の世界を取り戻そうとする時、涙ながらにこう言う。

過去への執着。
それはもう泣いてしまうほどの。

でも、それでも前に進む、走る。
進みたい、走りたい。

野原一家は、タワーの頂上から懐かしい匂いを霧散し、この世界を20世紀に戻そうという計画を止めようと、走ってタワーに向かっていく。

しんちゃんは、転んでボロボロになり、鼻血を出しても走り続ける。タワーを着実に登る。

未来を生きることは走ること。

辛くて、息も上がるし、何回も諦めたくなる。けどその先には今まで見たことのない景色が広がっているし、達成感に包まれる。

過去を振り返って生きるのは、何度も言ってきたように、幸せだ。
しかし、そんなノスタルジーの中をいくら探しても、走った後の爽快感のようなものはない。あったとしても、それは記憶でしかない。



お前はどうしたい?

時々、思い出に後ろ髪を引かれながらも、まだもう少し走ってみたい。

いつか、あの頃の私のように、オトナになることを怖がる子たちに、オトナもそう悪くないよ、と言えるように。

しんちゃんが懸命に走る姿を見て、多くの人が心を動かされ、未来に生きたくなったように。

2、3年後の私が今の自分を振り返って、その眩しさに目を細められるように。

転んだり、傷ついたりしながら、たまに後ろを振り返って、涙を拭い、走り続けてみよう。言いようのない不安と戦いながらも、自分の中のオトナと向き合い、走り続けてみよう。


そう思う。




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